
巨漢の強敵、ボルシチ。一体ルーク達はどう戦う
quartz
*第八話・お尋ね者とたずね者4*
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「どうしよう」 困惑するルークの耳に、 「うぅ……くそぅ、イテテテ」 リックの声が聞こえた。 頭を撫でつけながら、倒れていたリックはのっそりと身体を起きあがらせる。 砂埃まみれの服を叩きながら、意識が朦朧(もうろう)とした顔つきで、こちらを見てきた。 「リック、目が覚めたの!」 そう言ったルークの顔をじっと見つめていたリックは、急に眉間を寄せた。 「くそぅ、さっきの女の子達の名前、みんな忘れちまった」 その発言に、今度はルークが顔を顰(しか)めた。 何か言おうと口を開くより早く、リックが急に跳ね起きて言った。 「おい、あれ……」 ルークはハッとして正面に顔を向けた。 迫り来るボルシチに、魔法で対抗しようとしているリスベルは、呪文を唱えている。 再び、幾匹もの氷の竜を右手から解き放ったが、ボルシチは鉄球で一匹一匹竜達を叩きのめし、前進する。 「ありゃあ、まずいな」 「リスベルを助けなきゃ」 そう言ったと同時、リックは痛むのか「あぁ、くそう」と頭を押さえる。 その様子と、リスベルの方を交互にみたルークは、蒼爪にギュッと力を込めた。 ――俺がなんとかしなきゃ。 言い聞かせるように一匹頷くと、ルークは駆けだした。 「おい、ルークっ」 止められるのも聞き入れず、ボルシチに向かって走っていた。 今やボルシチは、リスベルに掴みかからんばかりの状態だった。 ルークは叫び声を上げながら、ボルシチの背中目掛けて蒼爪を振り下ろした。 背後から聞こえた声に、ボルシチは肩越しに振り返る。 ルークの動きは、ボルシチが蒼爪を避けようとするよりも早かった。 蒼爪はその鋭利な爪先を、巨漢の大きな背中にのめり込ませ――袈裟懸(けさが)けのような斜めの傷をつくった。 ボルシチが痛みに呻き声を上げる。 鬼の形相がルークに向けられた。 「くそう、忌々(いまいま)しい子猫め」 怒号を吐きながら、ボルシチはルークを突き飛ばす。 不意の出来事に、態勢を整えていなかったルークは、転がるように後方へ飛んだ。 ちょうどリックのいたところに――リックに受け止められるような形で、ルークは漸(ようや)く転がり止まるも、仰向けにひっくり返る。 「おいルーク大丈夫か」 「景色が、まわってる」 心配そうに問うてくるリックの言葉を耳元に聞きながら、ルークは目を回して頭を揺らした。 「フクウェン(風の轟き)!」 リスベルが呪文を唱えた。 ゾゾゾと耳の鼓膜を圧するような不気味な風音が、どこからか聞こえてくる。 悲鳴のような音、獣の鳴き声のような音、様々な風の音が聞こえてきたかと思うと――まるで被さるようにそれらの風がボルシチを襲った。 突風と砂埃とで、風に覆われたボルシチの姿は見えなくなる。 ……鉄球がドドンと地面に落ちる音が聞こえた。 その瞬間、風の威力がおさまっていく。 ルークとリックは、小さく開けた目で、状況を把握しようと努力した。 そんなふたりの目に、ふと白い物が映る。 再度そこへ顔を向けると、荒れた風の中から白い手袋をしたような手が現れ――リスベルを乱暴に掴み上げた。 急に魔法の風が柔くなる。風たちは広場のあちこちの通りへ吹き抜け、やんでしまった。 傷だらけのボルシチが、捕まえたリスベルを見てニタニタ笑いを浮かべていた。 「魔法使いは呪文を唱えなきゃ、力が発揮できないわな」 リスベルは首を絞められ、苦しそうに呻(うめ)く。 「ううう……」 「おっと、まだ喋れるか」 嫌な微笑を浮かべると、ボルシチは更に手に力を込めた。 リスベルは自分の首をひっかくように手を動かし、口をパクパクさせる。 「リスベル」 ルークは意識がぼんやりと戻ってはいたが、まだ頭がぐらぐらしてはっきりしなかった。 「くそう、こうなったら。 矢が通用しねぇんだったら、体当たりだ」 耳にそう言うリックの声が聞こえた。 ぼんやりとした目に、駆けていくリックの姿が見える。 そうして巨漢にぶつかっていったかと覚えば、その腕にしがみつき、ナイフを振り回している。 「……リック」 ルークは頭をはっきりさせようと、こめかみを押さえ、小さく左右に振る。 そして瞼をギュウっと閉じて、開いた。 先ほどよりも目の前がはっきりとした――その視界に、リスベルを掴み上げたボルシチが映ったが、リックの姿が無くなっていた。 ルークは何度も瞬きをして、探す。 そしてリックを――リックの足が、正面の瓦礫の山の下にあるのを見つけた。 けれどその瞬間、ガラガラガラと音をさせ瓦礫がさらに崩れ、リックの姿はもうほとんど見えなくなってしまった。 「さてそこの子猫、元気の良いお仲間は動かなくなっちまったぜ。 ここにいる魔法使いの友達も、そろそろ終わりだ」 ボルシチの視線がルークに向けられる。 座り込んでいたルークは、震えながら立ち上がった。 立ち上がると右手の蒼爪を見、そして、巨漢ボルシチの方へと歩いた。 「リスベルを……リスベルを放せ」 震える声で、ルークは叫んだ。 リスベルは最早ぐったりとしていて、抵抗する力もなくなってきているようだった。 そんなリスベルを、ボルシチはリックが埋もれる瓦礫の上に放(ほう)り投げる。 「お望み通り」 そう言って、ボルシチは笑った。 ルークは奥歯を噛みしめ、目を細めて唸(うな)った。 怖くて逃げ出したい気持ちは通り越し、今や、怒りに身体中の毛が逆立ち震えていた。 「立派だねぇ……このボルシチ様を目の前にして、できる顔じゃない」 ボルシチは片手で地面に落としていた鉄球を拾い上げた。 そして鉄球を振りまわして加速をつけると、ルーク目掛けて投げてきた。 ルークはひょいと一度目を避けた。 けれど二度三度、何度も間を置かず自分を攻撃してくる鉄球に、さすがについていけなくなる。 鎖を手繰り、鉄球を手元へ引き寄せながら、ボルシチが言った。 「逃げてるだけじゃ、俺を倒せないぜ。 俺は気が短い、悪いがそろそろ終わりにさせてもらおう」 鉄球を振りまわすと、ボルシチはルークに狙いを定める。 「お遊びはこれまでだ……おっと。手が滑った」 加速のついた鉄球が、不意にボルシチの手から放れる。 ボルシチ本猫も思いもしなかった機会に投げ飛んだ鉄球は、鎖ごと目前に飛んできた。 ……鉄球はルークに命中した。 鉄球は本来の威力こそなかったが、ルークは身を倒され、地面に強く左半身を打った。 地面と鉄球とに挟まれて、ルークは動かなくなる。 「俺としたことが、己の武器の扱いに失敗するなんて。 投獄生活が長かったせいか……くそう」 苛立(いらだ)つようにそう言うと、ボルシチは鉄球を手繰り寄せる。 鉄球の下にあった、動かない子猫と、凹んだ地面とが露わになった。 「ミンチになってるかと思ったが、そうでもなかったか」 ボルシチは鉄球を首に掛け、地面に横たわるルークに近づいてきた。 そうして、しげしげとルークを見下ろす。 ルークの姿は、旅服こそ破け、穴があいていたが――身体には大きな穴があいているわけでもなく、大量の出血もなかった。 「俺の鉄球をまともに受けて……まだ生きている」 わずかに上下するルークの身体の動きを見て、ボルシチは眉間を険しくさせた。 やや首を傾げると、観察するようにルークの姿を見やる。 そうしてふと、ルークの右手に嵌(は)められた蒼い輝きに目を留めた。 ボルシチの目が細められる。 「これは……」 それ以上を口には出さず、ボルシチは蒼爪に見入った。 ルークは虚(うつ)ろな意識の中、目を開けようとしたが思いとどまった。 すぐ側に、あのボルシチが立っていて、凝視されているのを気配から感じ取っていた。 ――俺、まだ生きてる。 身体は硬直して動かすことができなかった。 左半身がズキズキと痛む。 じーんと響く痺れのような痛みが、蒼爪を嵌めている右手にあった。 ――蒼爪で、助かったのかな。 ぼんやりと、ルークは咄嗟にした行動を思い返していた。 迫る鉄球に、逃げること、防ぐ術を考えず、ルークは蒼爪を構えていた。 結果、蒼爪は鉄球のトゲを受け止め、打撃のみをルークの身体に負わせた。 「俺に傷を負わせた、忌々しい蒼爪」 急にボルシチの低い声が耳に聞こえた。 「間違いない、あの男の蒼爪だ。 ……だがどうしてこの子猫の手元にあるのだ」 言葉のひとつひとつに怒りを滲(にじ)ませて、ボルシチは誰に問いかけるでもなく言い続ける。 「死の淵まで俺を追いやっておきながら、殺すでもなく立ち去っていった。 例え同族であろうと、知ったことか。 あの男に受けた侮辱(ぶじょく)は今も忘れん」 そう言うと、ボルシチは首に掛けていた鉄球をはずし、振り回し始めた。 ルークの耳に、ぶんぶんと加速を増していく、風を切る音が聞こえた。 その音に、ルークは目を見開く。 「粉砕すれば気が晴れよう。 子猫、お前も一緒に送ってやる……これも蒼爪の因果、恨むならあの男を恨め」 ボルシチの嫌な声音が、ルークの毛を逆立てた。 「今度は手元を滑らさず、確実に仕留める」 鉄球が勢いよく、投げ放たれた。 その刹那、ふと周り全ての動きが――ルークには時間が止まったように見えた。 どこからか、問いかけが聞こえてくる。 『その蒼爪は、何のためにある』 ルークはその言葉にハッとした。 そして小さく、それが当たり前のように呟いた。 「目の前の、敵を倒すため」 言葉を発した瞬間、ルークは自分が、自分でなくなっていくような気持ちになった。 それと同時、身体中に力が溢れる。 "蒼爪"にギュッと力を込めると、ルークはもの凄い勢いで駆け出していた。 全ての動きが元に戻った。 ルークは飛んでくる鉄球を避け、巨漢へ立ち向かった。 不意の出来事に驚くボルシチの顔を後目(しりめ)に、蒼爪を振り上げた。 ……今のルークは、それをする事に何の迷いもなかった。 蒼爪が深く確実に抉(えぐ)る感触を、指先に感じた。 繋がっていたものが、目の前で二つに離れる――ボルシチの太い右腕が、地面に落ちた。 ボルシチは、持っていたはずの鉄球が大きな音を立て落ちたことに、不思議そうな顔つきをした。己の振りかぶった右腕を見る。 そしてあるはずの自分の右腕が――地面に転がっているのに気づき、大声を上げた。 「俺の腕が……子猫、貴様」 ボルシチは見開いた目をルークに向けた。 かと思うと、ルークへ左手をのばし、掴みかかろうとした。 「握りつぶしてやる!」 ルークの身体が、自然と、反射的に攻撃を回避する。 ボルシチの大きい動作は、今のルークにはまるでスローモーションのように見えた。 自分へとのばされた大きな左手を目標物に定めると、ルークは身体を捻らせ、先ほどと同じように蒼爪を振り上げ、下ろした。 吹き出した朱色の飛沫(ひまつ)が、蒼爪を濡らす。 ルークの顔にも、鮮やかな朱(あか)が飛び、毛並みを染めた。 悲鳴と言うよりも怒りの声でギャアアとボルシチが叫ぶ。 驚いたように目を見開いたボルシチは、落ちた左手に視線を落としながら、荒い息をした。 その様子を見やりながら、いつもとは違う、低い雄猫の声が、ルークの口から出た。 「もうお前はお終いだ」 ボルシチは顔を上げる。 表情のない子猫ルークの顔を見やると、ボルシチはこめかみに筋を立てて、唸るように言った。 「冗談じゃねぇ。俺が、お前のようなガキに殺されてたまるか!」 ボルシチはそう叫ぶと、捨て身でルークを潰しに迫った。 片方は腕が、片方は手のない身体をもってして、ボルシチは襲ってきた。 攻撃をひらりとかわすと、巨漢は壁に体当たり――大きな穴が空いた。 崩れた壁から起きあがると、ボルシチはまたルークの方へと攻撃を仕掛けてくる。 辺りは壁屑の破片が転がり、砂埃と血の臭いとが混ざり合った風が吹き荒(すさ)ぶ。 ボルシチがルークに攻撃を避けられ、広場に隣接する建物の壁や、地面に倒れ転がるたびに、ものすごい地響きと破壊音がした。 その音に、意識を失っていたリスベルが弱々しく目を見開き、目覚めた。 「……ルー、ク」 リスベルは、顔だけを、音のする方へと動かした。 両方の腕から赤い滴をしたたらせ何かを破壊しようとする巨漢の猫と、華麗にも見える動きで相手を錯乱させる小さな姿。 虚(うつ)ろな意識の中、巨漢の猫がボルシチだということを認識しはじめたリスベルは――襲われている小さな猫がルークであることに気付き、おもむろに身体を起こした。 「子猫め……子猫め……」 呟くような低い声で、ボルシチは言葉を繰り返していた。 ボルシチの顔は出血のせいで、徐々に血の気をなくしている。 怪我の具合からして、いつ倒れ死んでもおかしくない。 しかしボルシチの身体は、休むことなくルークを殺そうと動いていた。 ルークの方は、死に物狂いで繰り返される攻撃に、疲れ始めていた。 肩を上下させ、黄色い目は瞬きもせずボルシチに向けられている。 「このままでは……ルーク」 起きあがると、リスベルはローブのポケットから、小瓶を取り出した。 小瓶の中にある黄色い錠剤薬を一粒てのひらに出し、口の中に放り込む。 薬を飲み込むと、リスベルはゆっくりと瓦礫の上から降りだした――なるべく音を立てないよう、地面に着地した。 ボルシチは血走った目で睨みつけると、またルークへ襲いかかってきた。 旅服をひるがえし、ルークは、怒れる雄牛の如く突っ込んでくるボルシチの攻撃を避ける。 先ほどまでルークの背にあった家屋が、激突され大きく崩れた。 「逃げて、ばかりか……」 ボルシチの恐ろしい声が、ルークの耳を刺激した。 不意に、巨漢が振り返った。 あわや潰されそうになったルークだったが、すんでのところで回避した。 ボルシチは先ほどまでルークがいたところに、ドスンと地響きを立て倒れた。 けれどすぐに、顔を上げ、蒼爪を睨みつける。 「今度こそ……今度こそ、蒼爪諸共」 さすがに動き疲れたか、体力の限界か、ボルシチの動作は鈍くなりつつあった。 高鳴る心臓を握りしめるように胸を掴んでいたルークは、荒げた呼吸を整えようと必死だった。 ルーク自身も、体力はあまり残ってはいなかった。 端から見る立ち姿からもわかるくらいに疲れ切っていた――その姿に、勝ち気を感じたのか、ボルシチが不適に笑む。 ――次の一撃で、決める。 下手に動くことを止め、ルークはじっと、機会を窺(うかが)った。 ボルシチは這うように地面を動いていたが、のっそりと身体を起きあがらせた。 そうして、依然傷口から滴り続けている左手首の血を一舐(ひとな)めすると、ルークに近づいた。 重々しく、身体を揺らし、一歩一歩迫る巨漢。 ルークはその姿を凝視したまま、じっとして、動かなかった。 「怖じ気づいて、動けないか」 朱に染まった白い鼻筋にシワを寄せ、ボルシチは笑った。 次第に二匹との間隔は狭(せば)められていた。 巨漢は、ルークのすぐ側まで近づいている。 ……けれど、ルークは動かない。 微動だにせず、乱れた呼吸を落ち着かせていた。 ボルシチはニヤリとすると、ルークに体当たりをしに迫った。 その瞬間、四方に大きな破壊音が轟いた。 揺れた地面のせいで、建物が――景色がわずかにグラリと揺れた。 ボルシチのものすごい体当たりの威力に、足もとをしきつめる石畳が地面から飛び出、歪む。 勢いのまま広場の壁に突っ込んだボルシチは、両手がないので頭を瓦礫(がれき)の中に突っ込み、潰れたであろうルークを探そうとした。 崩れた壁面がぼろぼろと地面へ落ちる。 「どこだ、どこにいる」 低いうなり声のような声を出しながら、ボルシチは手先のない手も使い、破片や煉瓦屑の中を執拗(しつよう)に探る。 「……いない、どこへ消えた!?」 ボルシチは凄い剣幕で辺りを見回した。 鼻先を動かしながら、ルークのにおいを嗅ぎ出そうとあちこちへ向ける。 すると、いつの間に立っていたのか、隣にローブの猫を見つけた。 「まだ生きていたのか、魔法使い」 のっそりと動きながら、ボルシチはリスベルに近づいた。 「お前の仲間の小僧はどこへ消えた。 小僧の居所を吐けば、逃げる時間を与えてやるぞ」 骨が折れているのか、頭を肩にのせるような格好で、ボルシチはそう言った。 足を引きずりながらも距離を縮めてくる巨漢を、リスベルは動じずじっと見据えていた。 「さぁ、どこだ」 ゴクリと息を呑んだリスベルは、二言。 「上(うえ)」 その言葉に、ボルシチはハッとして上を見た。 頭上には、澄み切った青い空――しか見えない。 「……どこだ」 「ここだ」 突然聞こえてきた声に、ボルシチは振り返る。 ……後ろにはルーク。 ギュッと蒼爪に力を込め握りしめると、 「トドメだ」 ルークは大きく右腕を振り下ろし、ボルシチを切り裂いた。 口から血を吹き出したボルシチは、声にならない声を上げ、崩れ落ちるように倒れた。 揺れる地面から足もとへ響いた振動音は、ルークの身体中を伝った。 「……倒した」 ルークは一つ、瞬きをした。 開きっぱなしで渇いていた目が、少し潤んだ。 その時、妙な風が、どこからか吹いてきた。 ――不気味な、黒い風。 強い風圧を感じ、ルークの手が無意識に、飛ばされないよう近くのモノに掴まる。 側を通りすぎる時、風は、ルークの耳元に虫の羽音のような音をさせていった。 広場の中央へと不自然に移動した黒い風は、そこにあったボルシチの身体を包み込んだ。 風はその場に留まって、うねる蛇のごとく黒い渦を巻いた。 そして一層荒々しく吹き荒(すさ)び、次の瞬間には――巻き上げるように上昇し――青い空へと消えていった。 気がつくと、目の前からボルシチの巨体が消えていた。 一連の出来事に、しばし呆然としていたが、ルークはゆっくりとその場に座り込んだ。 リスベルが、側へとやって来た。 「よくやりましたね……ルーク」 硬い表情のまま、リスベルは口元にだけ微笑の形を作った。 ルークは、リスベルから、右手の蒼爪へと視線を落とした。 徐々に抜けていく緊張感と同時に――ずっと心の底に閉じこめていた恐怖と、濡れた蒼い爪の感触を生々しく感じ始めていた。 落ち着いていた毛並みはふんわりと逆立ち、右手は小刻みに震える。 「……ルーク」 囁くようにそう言って、リスベルはしゃがみ込む。 茶色いルークの毛並みを撫でつけながら、 「あなたのお陰で、みんなが助かったのです」 そう言って、リスベルは蒼爪を――ルークの右手を自分の両手で包んだ。 頭を撫でてくれていた時とは違い、リスベルの手が、ひんやりとして冷たく感じた。 そんな冷たい手から、ルークはすうーっと、何か吸い取られるような心地がした。 ……リスベルは小言のように呪文を唱えている。 ルークは、自分の呼吸や心臓の鼓動がわずかに早まって――ボルシチとの戦いで刻まれた気持ち、胸中にあったもやもやとした蟠(わだかま)りが、無くなっていくような気がした。 実際、右手を通じて、リスベルへとルークが今感じているものが流れているようだった。 唱え終えたのか、リスベルは口を閉ざした。 しばらく、目を瞑って何かを堪えるようにしていたが――リスベルは目を見開いて、微笑んだ。 「ルークの気持ちを、元に戻してあげようと思ったんですけれど、上手くいきませんでした」 「元にって……」 そう言ったルークの顔をみて、「でも私の力では及びませんでした」とリスベルは顔を伏せる。 ガラガラガラ。 何かが崩れる物音に、二匹は振り返った。 崩れた家屋に埋もれた誰かの足の指が、ぴくぴくと動いていた。 「……リック」 ルークは立ち上がり、リックのところへと駆け寄った。 「誰か……この壁、起こせぇ」 リックは厚い白壁の下敷きになっていた。 ……さっきの黒い風のせいか、辺りには煉瓦や木材の破片が散らばっている。 そのせいか、幾分、リックの上に嵩張(かさば)っていた瓦礫(がれき)が取り除かれたようである。 「待っていて下さい」 リスベルはそう言うと、右手を上げた。 小石が転がる音がして、リックを挟んでいた壁が、宙に浮いた。 浮かせた壁を誰もいないところへ移動させると、リスベルはギュッと右手を握りしめた――壁は粉々になって消えた。 「ありがと、よ。 できれば手もかしてくれねぇか」 弱々しく微笑むリックに、ルークは近づいて起きるのを手伝った。 身体を起こすと、リックは服を叩(はた)いた。 その様子を見ながら、ルークは言った。 「生きてて良かった」 「まぁな。俺は男前の面(つら)と、しぶといのが取り柄だからな。 死にかけたけど……竜石の力でなんとかなった。 ルーク、おめぇ、傷だらけじゃねぇか」 リックはそう言いながら、腕を一振りした。 優しい風がルーク、そしてその周辺を覆った。 「傷が、癒えてきました」 リスベルの首にあった痣(あざ)も、風に触れた途端、跡形もなく消え去った。 「ご気分はよろしゅうございますかっ……なんてな。 俺の特技の一つ、"癒しの風"だ」 自分の外傷も癒せたせいか、顔色が良くなったリックは、にひっと笑った――が、その顔はまもなく引きつった。 リックの不機嫌面は、ちょうどルークの背後に向けられていた。 「一騒動、あったみたいだな」 聞こえてきた声に振り返ると、そこにロブスターが立っていた。 「てめぇ、来るの遅すぎ。 耳もいいし敏感なくせしてよぉ、俺、死ぬところだったんだぞ」 リックはロブスターへの不満をわんさか言い始めた。 そんなリックを余所に、ロブスターはふたりへ問いかける。 「何かやらかしたようだな……黒い竜の、手下か」 「……はい。ボルシチ・アーサーという名を名乗っていました。 私も、リックも太刀打ち出来なかったんですが、ルークが……倒してくれました」 リスベルはそう言って、こちらを向いた。 「竜石使いでないルークが、手下を倒したのか」 ロブスターがそう言うと、ルークは怖ず怖ずと頷いた。 「蒼爪が、この蒼爪が俺に力を貸してくれた。 俺がボルシチ・アーサーにトドメをさした」 声を震わすルークの肩に、リスベルはそっと手を置いた。 一匹、ずっとロブスターへ悪態をついていたリックは、 「ってか、俺の話聞いてる?」 伺(うかが)うように見てきた。 「何ですか?」 リスベルの返答に、リックは落胆した。 「あぁあぁ、もういいぜ。 にしても、あのボルシチ・アーサーとか言ってた猫、ほんとタダ者じゃなかったな。 ……ルークがあいつを倒したって事は、コレはルークの物だな」 リックは懐から、 "首飾り"を取り出した。 「それは……ボルシチの首飾り?」 「へへ、ちゃっかり拾って懐にしまってたんだ。 これをウォーノクスへ持っていったら、賞金が頂けちゃうってわけだ」 そう言うと、リックは"ボルシチの首飾り"を手に載せてきた。 「これは、俺のものじゃないよ。 俺の力だけじゃ、ボルシチは倒せなかった」 「ルークなら、そう言うと思ったぜ。 そうだ、これは俺たちの手柄だ」 リックはニヒッと笑んだ。 少し落ちついたところで、ロブスターは言った。 「ポルトル・ピアースが待っている」 それを聞いてリスベルも振り返る。 「そうでした。リック、リックはまだ、決闘が残っていますよ」 「あーあぁ、そうだった」 リックはそう言い、面倒くさそうに立ち上がった。 「ルーク、気分はもう、大丈夫ですね」 ローブのフードを直すリスベルに問われて、うんと頷いた。 「ではポルトルさんの――」 「よぉしみんな、メシを食いに行こう! そろそろメシの時間だと思ったんだぜ。 戦った後は、腹が減って腹が減って……」 リスベルの言葉を遮り、リックは腕をぶんぶん振りながら歩きだした。 三匹に背を向け、先へ行こうとする。 そんなリックの腕を、リスベルが駆け寄ってギュッと掴んだ。 「なっ、何だよ」 「駄目です。リックはポルトルさんを待たせているのですから、決闘が先!」 「何でだよ、あんなやつほっといたって」 言い返そうとしたが、鋭い一睨みにリックは硬直する。 有無言わさぬ動きで、リスベルはズルズルとリックを引きずった。 角を曲がって――見えなくなったあとも、ふたりの声は聞こえていた。 「あぁ、放してくれ。俺、もう宿屋で寝たいんだよ」 「駄目です」 リスベルの厳格な声が、しばらく響いていた。 「リック、何だかかわいそうだね」 ルークはそう言って、ロブスターの顔を見た。 「仕方がない、それがあいつの決めたことだ。 ……私たちも行くか。大丈夫か、ルーク」 「うん、平気」 ルークがそう言うと、ロブスターは軽く頷き歩きだした。 サンザリー広場から、出ようとした時だった。 不意にロブスターが後ろを向いた。 広場にあった一本の木に留まっていた黒い鳥が、空へと飛び立った。 ルークは小首を傾げた。 「どうかしたの? ロブスター」 「……いや、気のせいだったようだ」 そう言うと、ロブスターは何事もなかったように歩きだした。 ルークも、再び歩き始めた。 |
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