
ついにリックの行方が、明らかに
quartz
*第八話・お尋ね者とたずね者3*
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−裏通り− 陰った静かな通りを、二匹の子猫が歩く。 建物と建物の間にある通りのせいか、頭上から降り注ぐ光が少ない。 先ほどまでいた広場などに比べ、ひんやりとした道だ。 「この道を通って、向こう側へ行けるかな」 ルークのそんな心配を余所に、リスベルは、 「静かでいいですね。そよ風が爽やかです。 小鳥の囀(さえず)りと、旅猫(クォーツ)の足音。何だか風情があります」 なんてことを言っていた。 『こんな可愛い娘(こ)たち、おめぇにはもったいねぇぜ!』 「ほんと、小鳥の囀りと……リックの声。ん、あれ、今さっき」 ルークは目をぱちくりさせ、辺りを見回した。 「今の声、リックの声じゃありませんか?」 リスベルの言葉に、ルークは頷いて言った。 「うん、した。確かに聞こえた」 二匹は、真っ直ぐに続く裏道を駆けだした。 崩れた石畳に転ばないよう気を付けながら、声のする方へと走った。 『君たちは、どっちがタイプ? あの"デカ猫のおっさん"と、"ホッソリした素敵な紳士"な俺様と』 声は近い。 二匹は、聞こえてくるリックの声を頼りに、足を速める。 次第に、左右に立ち並んでいた白壁の建物がなくなり――明るい日差しが前方に見えてきた。 辿り着くと、二匹は少し開けた場所に行き着いた。 辺りは手入れがされておらず、荒れた空き地のような場所だった。 分かれ道になっており、ルークはどちらだろうと耳の後ろを掻き思案する。 『そんなに考えなくても、答えは出てるだろう?』 再び聞こえてきたリックの声に、 「このまま真っ直ぐだ……リスベル、行こう」 とルークが言って振り返ると、リスベルが強ばった表情をしていた。 「ルーク、あれを見て下さい」 二匹がやって来た道の方を、リスベルは指をさす。 何だろうとその方向へ目をやったルークは、思わず我が目を疑った。 先ほど抜けてきた道の端に、積み重なるようにして何かが倒れている。 その時、日の光が反射して、何かがキラリと輝いた。 一瞬何だかわからなかったが、よく見ればそれには見覚えがある――あれはエクレアの街に来た時、挨拶をしていた警備猫の胸にも付いていた。 七角のあるポリスキャットのバッジだ。 漸(ようや)く、倒れているものの正体が、ウォーノクス所属エクレアポリスキャットの猫達である事に気づき、ルークは息を呑んだ。 彼らの身につけている鎧や甲は、大きく湾曲し、どの猫達も血を流している。 わずかに鈍光を放つ彼らの防具と武器は、倒れる猫達同様、彩色を失い、廃材や鉄屑のように見えた。 ルークの目には、倒れている猫達が、名高い屈強なポリスキャットには見えなかった。 じわじわと感じ始めた恐怖に、ルークは身が縮まりそうになる。 背中の毛だけでなく、身体中の毛が目の前の状況に震えて逆立つ。 身体を震わせながら、ルークは、倒れているポリスキャットを身じろぎせず見つめるリスベルに、視線を流した。 「リスベル」 「……まだ、息があります」 リスベルはローブを翻(ひるがえ)すと、倒れている数匹の猫達の側へ駆け寄った。 ルークも、逆立った毛並みを落ち着かせると、おそるおそる近づいた。 倒れている猫の一匹の側で跪(ひざまず)くと、リスベルは傷口の具合を確かめていた。 その猫の腕にある大きく開いた傷口からは、今も血が流れ出ている。 「止血の魔法はありますが、治癒することは私の専門ではありません。 ルーク、私のローブの右ポケットから一つ小瓶を出して頂けませんか。 私が作った薬が入った小瓶です……黄色い粉末を固めたものが入ってるものです」 そう言うと、リスベルは負傷した猫の傷口に手を当てて、何事かぶつぶつと唱え始めた。 ルークは言われたとおり、リスベルのローブ右ポケットに手を突っ込むと、一番はじめに触れた小瓶を取り出した。 黄色い小さな砂糖菓子のようにみえるものが、小瓶の中に入っている。 「これかな」 リスベルはそれを見ると、頷いた。 「中の薬を、私の右手に載せてください」 ルークは小瓶のふたを開けると、瓶を傾け、薬をリスベルの右手に載せた。 中にあった黄色い砂糖菓子のようなものが、幾つも転がり出てくる――ルークは三分の一くらい小瓶の中身を出したところで、瓶に蓋をした。 リスベルは受け取った薬を手当てしていた猫の口元へ持っていくと、先ほどとは違う呪文を唱えた。 薬が急に溶けるようにして液状になる。 リスベルの魔法で液状になった黄色い薬は、滑るようにその猫の喉奥へ入っていった。 「これは傷の治癒が早まる薬です」 そうリスベルは言いながら、他の猫達の様子を見回した。 ルークは気持ちが少し落ち着いたので、壁に寄りかかった猫の方へと歩いていった。 しゃがみ込み、壁際の猫の様態を見る――こちらの猫も、酷い怪我だ。 両腕に抉(えぐ)られたような傷があり、見ている方まで痛くなりそうなものだった。 ルークはそっと、壁にもたれ掛かっているその猫の口元に手をやり、首筋の脈に触れた――脈は細いが、まだある。身体も暖かい。 「気絶しているみたい。他の猫達も……死んじゃいないみたいだ、良かった」 ほっと息をつくと、ルークは、倒れるポリスキャット達の手当をするリスベルを手伝った。 ポリスキャット達は積み重なるよう倒れていたので、二匹は慎重に彼らを地面に横たえさせた。 そして、リスベルは、手に持っていた黄色い薬を、他の猫達の口の中にも流し入れていった。 他のポリスキャット達の、一番の下敷きになっていた雄猫へ最後に薬を与えた。 その雄猫は、切り傷はあったが、目立った外傷は見あたらなかった。 「この猫は酷い怪我をしてないね、気絶してるだけかも」 「……彼らをこのまま放っておくのは心配ですが、リックも気になります」 ローブから覗く耳を伏せ、リスベルは不安げな顔でこちらを見た。 ルークは、リックの声がした方をちらりと見やった。 そして、どうすればいいのかとこちらを伺う、緑色の目を再び見つめ返した。 その時、薬を飲ませていた雄猫が咽(む)せて、目を覚ました。 「ゴホッゲホゥ……あぁ、あんたは、誰だ」 目覚めた雄のポリスキャットは、まだ視界がぼんやりとしているのか、自分の頭を持ち上げているリスベルを見て、 「こりゃあ、死者の国の……門番様か、別嬪(べっぴん)だ」 と言って、傷だらけの顔に微笑を浮かべた。 それを聞いてリスベルは、頭を振った。 「私は門番(ゲートキーパー)族ですけれど、死者の国の者ではありませんよ」 雄猫は、わかっているのか定かではないが、頷きながらゆっくりと身体を起こした。 まだ立ち上がることはできそうにないが、雄猫は比較的外傷も少なく、無事なようだ。 雄猫は辺りを見回して、 「そうだ、お尋ね者を、俺たちは追っていて――」 と呟き、倒れている仲間達から状況を把握し始めていた。 「他の仲間が捕まえてくれてりゃいいが、そうでなきゃ、大変だ。 あぁ、あんた達、助けてくれてありがとよ。 だが一般猫が、こんな事態に、こんなところにいちゃなんねぇ」 雄猫のまだ少し苦しいのか、とぎれとぎれにそう言った。 ルークはその場から立ち上がった。 「でも俺たち、リックを探さなきゃならないんだ」 「俺たちが追っていたのは、そんじょそこからの悪猫とは訳が違う。 やつは"サンザリー広場の活劇"に居合わせた張本猫だ」 雄猫は、他のポリスキャット仲間を見やりながら言葉を続ける。 「この先へ行くなんて事、させるわけにはいかない。 君たちの友達は、他のポリスキャット達にお願いしておく。 おとなしく、来た道を引き返してくれ……宿はもう、とったか? まだなら案内するよ、旅猫(クォーツ)諸君」 ふらつきながらも立ち上がろうとしたので、リスベルは慌てて雄猫に手をかした。 雄猫は「大丈夫だ」と言い、自分の持ち武器の槍を支えに立った。 「でも……」 そう言って、ルークはリスベルを見た。 リスベルが言葉を続ける。 「私たちの事なら、心配なさらないで下さい。 リックを連れ帰れば、すぐに戻りますから」 雄猫は困った顔をして首を振る。 槍を杖代わりに二匹に近づくと、雄猫は言った。 「それで『はい、わかりました』とは、街猫守るポリスキャットの口からは言えない。 と言っても、君たちの様子だと、言うことを聞いてもくれなさそうだ。 怪我をした俺を置いて、駆けていくのも簡単だからな」 雄猫はそう言った瞬間、二匹の子猫の手を掴んだ。 太い雄猫の手が、ルークとリスベルの腕をがっちりと鷲頭掴む。 「な、何するんですかっ!?」 ルークは驚いて、捕まれた腕を振り解こうとした。 リスベルも慌てて、引きはがそうと腕を振り動かす。 けれど握力の強い雄猫の手は、痛いくらいに二匹の腕を握り掴んでいて、叩いても噛みついても――何をしても取れそうにない。 二匹を引き止める雄猫の表情は、微笑んでいるように見えたが、その目には街猫を守るポリスキャットの意地が感じられた。 ルーク達は抵抗をやめた。 おとなしくなった二匹に安堵したのか、雄猫はにっこり笑う。 「それでいい。俺たちの仲間が来るまで、君たちにはここに、いて……。 んん、何だか、急に……あくびが、ふあぁあぁ」 雄猫の口調が妙だ。 二匹を掴んでいた手から力が抜ける。 目をとろんとさせると、雄猫は目を瞑り、その場に座り込んでしまった。 「あれ、どうしたのっ」 呆気にとられ、目を丸くするルークの肩に、トンと手が置かれる。 振り返ると、リスベルが申し訳なさそうな顔をしていた。 「催眠魔法をかけてしまいました」 ルークは眠ってしまった雄猫と、他のポリスキャット達を見やった。 ――このまま彼らを放置しておくのは心配だけど、リックの事も心配だ。 そんなルークの心情を察してか、リスベルが言う。 「ポリスキャットの猫たちが来るでしょうし、この方達は、ここに寝かせておきましょう。 できる手当は全て尽くしましたし……」 「うん、そうだね」 少し後ろめたい気持ちがあったが、ルークはリスベルの言葉に頷いた。 ルークとリスベルは駆けだした。 荒れた空き地の分かれ道を、リックの声が聞こえた方へと向かった。 すでに誰かが踏み締めていった草の上を、二匹の子猫も踏み進んでいった。 −十字路のある小さな広場− 「そうだろう、やっぱりこの俺さ」 道を抜け出ると、その先に二匹はリックの姿を見た。 「あ、リックっ!」 リックの側には、可愛らしい雌猫三匹が寄り添うようにしていた。 雌猫たちは何かに怯えているようで、リックはというと、正面を見据えたまま、きりりとした顔で何かと対峙(たいじ)している。 やってきたルーク達二匹の存在には、ちっとも気づく気配がない。 ルークとリスベルは、リックの視線の先へと顔を向けた。 厳つい顔をした、縦にも横にも身体の大きな男が立っている。 大男は、黒っぽい茶毛に覆われた顔をしており、鼻筋だけが白い顔立ちをしていた。 不揃いな胸の剛毛を掻きむしりながら、薄緑の目を大きく見開いている。 「貴様、この俺様がボルシチ・アーサーだと知っての事か」 大男は不愉快そうに地面を踏みならした。 その様子に震えて耳を伏せながら、雌猫たちは一層リックの服に縋(すが)る。 「デカ猫のおっさんの言葉なんて、気にする事はないさお嬢さん達。 君たちはこの俺が、"竜石使い"だって知ってるかい? 竜石使いは、竜を操れるんだ。 そして俺は"風の竜"を操れる」 リックは右手を胸の前にやると、その手を下方へ一振りした。 突如リックを中心にして、辺りに風が巻き起こる。 風は次第に大きな渦を描き始め、緑色に色づき、竜の如く蠢(うごめ)き始めた。 目に見えて風が竜を描く頃には、風の威力はゴウゴウと音を立てるほどになっていた。 風の竜はリック達の周りを優しく回っていたが、 「行け」 リックが小さく命令すると、急に動きを機敏にさせ、槍の如く大男へ向かっていった。 「これこそ、俺の得意技。"不意打ち"だぜ」 風の竜は大男に激突した。 突風が締め付けるようにして、大男の身体を覆う。 風の中で大男の黒い影が暴れ抵抗する様が見えたが――どんどんと威力を増し――被さっていく風のせいで次第によく見えなくなっていった。 そして、何かが地面に叩きつけられる音が聞こえた瞬間、風はしゅるしゅると風力を落としていった。 風の竜は、小さな風音を残して、リックの右腕へと戻っていった。 「どうだい、俺って強いでしょ」 そう言ったリックの目に、ルークとリスベルが映った。 それに気づいた二匹は、リックの側へと駆けだした。 「……探したよ、リック」 駆けつけてきたルークとリスベルに、リックは目を丸くしていた。 右耳の後ろを掻きながら、 「ルークとリスベルじゃないか。 こんなところで会うなんて、奇遇だな」 とリックは言って苦笑した。 その様子にリスベルはプウッと頬を膨らませた。 リックの鼻先にピンと伸ばした猫差し指を押しつけて、リスベルは問いただす。 「リック、どうしてこんな所にいるんです。 私たち、リックを探していたんです。 お店から駆け出て、てっきりポルトルさんの所だと思ったのに。 私とルークが納得できる説明をして下さいよっ」 リスベルの鋭い緑色の目に凝視され、リックは耳を撫でつけながら口を開いた。 「悪(わり)ぃ悪ぃ。 この娘(こ)たちが、変な野郎に絡まれていてさ。 何て言うの、俺、頼まれたら断れないタチだしよ」 そう言いながら、リックは側でまだ震えている雌猫たちを見回した。 ルークとリスベルも、雌猫達の方へと顔を向ける。 リックは震える雌猫達の背中に手を回し、トントンと励ますよう叩いて微笑した。 「もう俺がやっつけたから、心配することないぜ」 三匹の雌猫は、大分落ち着いてきたのか、少し顔に笑みを浮かべた。 頭を深々と下げ、雌猫たちはリックに礼の言葉を述べた。 「ありがとうございました。 リックさんのお陰で、私たち、助かりました」 「リックさんに何てお礼をすればいいか」 「あんな大男を倒してしまわれるなんて。 あの大男、風貌からして悪猫漂っていたし……ウォーノクスの指名手配犯に載っているかもしれないわ」 それを聞いてリックは顎を触りながら、倒れる大男を見やった。 「そうだなぁ。 アイツを持っていくのは疲れそうだから、まずあいつの首飾りをウォーノクスへ証拠品として持っていこう。 賞金がもらえたら、俺へのお礼だと思って、食事でも一緒に――」 リックの言葉を、ルークが途中で遮った。 「何もいらないですよ、お礼なんて。 俺たちはこういう職業柄なんです、旅猫(クォーツ)ですが」 隣でリックの半眼がじっと無言の圧力をかけていたのは分かったが、ルークはそれも含め、取り繕うよう笑ってごまかした。 「……そうですか」 「では、また、何かの機会に」 「ありがとうございました」 雌猫たちは口々に礼を言うと、その場を去っていった。 「綺麗な猫さん達でしたね。 リックの気持ち、分からなくもないです」 リスベルがそう言うと、リックは不貞腐ったような顔をしてルークを見た。 「全くだぜ。 ルーク、お前、ほんと余計な事してくれたよな。 あんな可愛い雌猫ちゃん達と、デートできるチャンスだったってのに、あぁ大損。 勇敢な紳士だった俺様と、娘達は恋に落ちる……なんて想定、全部台無しだぜ」 リックは悄(しょ)げながら、倒れたまま動かない大男の方へ歩きだした。 すぐ側まで近づくと、リックは大胆にも大男の首を跨(また)ぎ、その太い首に掛けられた物を見やる。 「ま、せいぜい、コイツの首飾りでも失敬して、賞金に換えてもらうか」 言いながら、リックは首飾りに手を掛けた。 真珠に似た宝珠が連なった、値打ちのありそうな首飾り――一一カ所だけ他の物とは違う大きな玉がついている。 その異なる玉は、離れた所から見ていたルークも思わず気にかかるような、艶美(えんび)な淡紅色をした輝きを放っていた。 「なっかなか、取れねぇなぁ」 まだリックはゴソゴソとしていた。 首飾りがうまく取れないようだ。 「リック、早くしなよ」 ルークは何だか、気持ちが落ち着かなかった。 辺りの風は、いつのまにか吹き止んでいる。 耳を澄ましても、街の活気は聞こえない。 「……ルーク」 リスベルの声に、ルークは振り向いた。 「私たちが見たポリスキャット達の事、先ほどの娘さんに頼んでおいた方が良かったでしょうか。 リックが倒したこの大男さんの事もありますし」 うーんと唸りながら、ルークは腕を組んだ。 「ポルトルには悪いけど、先にウォーノクスへ行った方がいいかもしれないね。 それに、あの大男、ここに置いて置くわけにはいかないよ。 ……何だか動いてなくても怖いよ、心配だな」 大男の太い首を挟むようにして、リックは両足を広げて立っている。 その姿を見ているだけで、ルークは内心冷や冷やした。 そんなルークを落ち着かせるためか、リスベルが微笑する。 「竜石の技を直に受けたんです、同じ力を持っている猫でなければ、早々目覚めませんよ。 一日か二日、気絶することになります」 リックがこちらへ振り返り、 「どうかしたか、気分でも悪いのか? ゆっくりしてこうぜ」 と可笑しそうにした。 どうやらリックは、ルークが早くこの場を立ち去りたいのを知って、わざと悠長に作業をしているようだ。 リスベルは溜め息を一つついた。 「ポルトルさんを待たせているんですよ、早くしましょうリック。 ……まだ、首飾りは取れないんですか?」 「時機に取れるって……ほら、もう取れた」 リックはこちらにニヤリと笑うと、再び首飾りの方に目を向けた。 それと同時、しっぽを逆立たせ、リックが急に動きを止める。 「どうか、したの?」 リックの様子が変だ。 再び動き出したリックは、取れたはずの首飾りから手を放し、ぎこちない動作で後ずさりを始めた。 そーっと、そっと、後ろ向きにルーク達の方へと戻ってくる。 「リック?」 リスベルも異変に気づいた。 後ずさりするリックは、何も答えない。 後ろ歩きに二匹の側へ戻ってきたリックは、恐怖が張り付いた顔をこちらに向けた。 「ヤツ、まだ……動いてやがる」 地面に横たわっていたモノが動く気配が、ルークの視界の端に映った。 おそるおそる、三匹は顔をそちらへと動かした。 「よくも……俺の身体に、土を付けやがったな。 子猫だと油断した俺が甘かった。 竜石使いか、面白い、久々に大暴れしてやろうねぇか」 長さが不揃いな黒茶の毛並みが揺らしながら、大男がのっそりと立ち上がる。 大男はギョロリとした薄緑の目に、三匹の子猫を映した。 まるで白い手袋をしているように見えるその手を組み合わせると、大男は指をポキポキと鳴らした。 「あの大男、竜石のこと知ってやがる」 リックが警戒した面持ちになった。 恐ろしいくらい大きく薄緑の目を開くと、大男は豪快な笑い声をあげた。 「俺が死んだとでも思ったか? 少しばかり夢を見させてもらっちまった礼は、させてもらわなきゃいけねぇな。 このボルシチ・アーサー様を甘く見てもらっては困る。 猫どもは、ただの怪力の大男だとしか見ていないようだがな」 ボルシチは急に天を仰ぐと、逞(たくま)しい両腕を空へ届かんばかりに伸ばした。 「しかし牢獄に比べ……あぁ、外気は良い」 伸びをした大男の胸元に、赤黒い蛇のような模様が覗(のぞ)いた。 「この猫……黒い竜の手下」 リスベルが零した言葉に、ルークは目を瞬(しばたた)かせた。 「えっ!?」 「何だって」 驚く二匹を余所に、リスベルは一匹、遠いところを見るような目つきで、大男を見やっている。 「ボルシチ・アーサー……」 抑揚のない声で、リスベルは呟いた。 ルークはその言葉を、どこかで聞いた気がした。 気に留めていなかったせいか、よく思い出せない――確かメアリーアの店で、そうだ、あの時お尋ね者が脱走する話を――それだけじゃない、ロブスターが何か言っていた。 ルークの視界に、字が色あせた、道しるべの看板が入る。 『サンザリー広場』 「サンザリー広場の、活劇」 知らず口から出た言葉に、ルークの爪先から耳と尾先まで、震えが走った。 ――今対面しているこの大男は、お尋ね者で、黒い竜の手下で、それに屈強のエクレアポリスキャットでも歯が立たない、強者(つわもの)。 音が鳴るほどに息を呑むと、ルークは再び大男――ボルシチの姿を見た。 不適な笑みを浮かべる大男は、子猫を食う魔物の如く恐ろしい形相をしていた。 よく見ると、片足首には鎖を引きちぎった枷(かせ)がついたままだ。 先ほどから瞬きせずボルシチを見つめていたリスベルが、両手を握りしめた。 「あの猫は"黒い竜の宿り主候補"の一匹です。間違いありません。 ……黒い竜が器にしようと、この世界に送り込んだ猫に記される、赤黒い紋様」 リスベルの表情は、ルークが今までに見たことのないものだった。 怯えているだけでなく、それ以上に何かを含んだ面持ちで、リスベルは大男を見ている。 ――こんなに震えているリスベルを見たのは初めてだ。 再び大男、ボルシチを見やったルークの心は、不安に満ち溢れてきた。 「どうしよう」 竜石使いは二匹。 ボルシチは、竜石の存在を知った後もなお、戦うことを恐れない。 それどころか、不適にこちらへ笑みを浮かべている。 「俺たちがやることは、決まってるだろう」 弓を手に持ち、リックは矢筒から矢を取り出しだ。 「ヤツを倒す」 いつもの無邪気な顔ではなく、真剣な面持ちをしたリックは、ボルシチの方へ数歩歩む。 矢を番(つが)えると、風の竜を吹き起こし、矢を放った。 シュンと音を立て飛んだ矢は、風の竜を纏い、緑色の輝きを帯びて――ボルシチの胸に突き刺さった。 立て続けに、リックは更に矢を放つ。 緑のきらめきが、目に見えぬ早さで目標物へと突き進んだ。 リックが放った三度目の矢は、ボルシチの腕に刺さった。 ボルシチは、眉間をピクリとさせただけで、少しも動じた様子はなかった。 「……なんだあいつ、化け物か。 竜石の矢を食らっておいて、平然としてやがるなんて」 リックは気味悪そうに一震えし、顔を顰(しか)めた。 「どうやら竜石使いってだけで、己を過信しすぎちゃあいないか子猫ども。 胸板の厚さは、俺の自慢でね」 ボルシチは、自分に突き刺さった三本の矢を引き抜くと、それらをまとめて二つ折りにしてしまった。 リックはぽかんと口を開け、唖然とする。 ルークも驚きのあまり、情けない声を出してしまった。 「子猫相手なんぞを構うのは俺の趣味じゃないが、竜石使いとなりゃ話は別だ」 ボルシチは眼光鋭く、ルーク達三匹を睨みつける。 その鋭い眼差しと威圧感に、ルーク達はまるで足を釘で刺されたみたいに、その場から微動だにできなくなった。 最早後には引けない。 それどころか、ここから生きて帰れないかもしれない。 ボルシチは三匹へ視線を向けたまま、突如背を丸め、うなるような声を出し始めた。 気のせいだろうか――腹のあたりから、ボルシチの口の方へと、皮膚を通して何かが迫り上がっているのが見える。 ルーク達は、何が起こるのかと、瞬きもせずに大男を凝視し続けた。 ボルシチは頬を大きく膨らませたかと思うと――その口から何かを吐き出した。 地面に勢いよく、鈍い色をした丸い球体が音を立てて転がる。 「な、何だあれ……」 そう言ったルークに、正気を戻したリスベルが答えた。 「あれは、鉄球です」 ボルシチが口から出したのは、鎖つきの大きな鉄の球だった。 持ち主の身体と同様、鉄球の大きさはルークの頭より遙(はる)かに巨大である。 ルークが小さく丸まった大きさと、同じくらいの大きさかもしれない。 鉄球を出す時に顎が外れたのか、ボルシチは顎に手をやり、面倒くさそうに直していた。 リックが悲鳴のような声をあげた。 「信じられねぇ!」 大男ボルシチの身体は、鉄球をはき出したせいか、萎(しぼ)んでしまったように見え、少しばかり弱くなったかのように見えた。 それを見て、自信を取り戻したのか、リックが呟く。 「……みてくれが良くなったな」 リックは矢筒から一本矢を取り出した。 ルークはそんな様子をちらりと見――再び、矢を番え構えようとしたリックと共に正面を向いた途端、ギョッとした顔になった。 少し目を離していた間に、ボルシチの身体は元の隆々と逞(たくま)しい身体に戻っていた。 それだけではない。見ている間にも、ボルシチはそれ以上の体つきへと変貌を遂げているのだ。 空を仰ぐように顔を上げたボルシチは、口をすぼめ、その口から外気を吸い込んで――まるで風船でも膨らますかのように、自身の身体を大きくさせていた。 「何なんだアイツは!」 リックが驚きのあまり、足元に矢を落とす。 「あんなの、猫じゃないよ……倒せるの」 湧き上がった自信は、萎(しぼ)んで消えてしまった。 大男はその身体をさらに巨漢なものにさせ、ルーク達の前に立ちはだかった。 ボルシチの破けた服から、リックの矢が最早(もはや)歯が立たないだろう屈強な胸板が、否応にも目に付く。 胸元にしかなかった赤黒い紋様は、今やボルシチの身体中に、気味悪く張り巡らされていた。 「それでも俺たちは、アイツを倒さなきゃなんねぇ」 取り落とした矢を拾いながら、リックは一度顔をぶるっと震わせ、恐れを一掃した。 リックの姿を見、ルークも覚悟を決め、蒼爪構える。 「ルーク、お前は手を出すんじゃない」 「えっ?」 ボルシチを警戒した面持ちで見つめたまま、リックは言う。 「相手は黒い竜の手下だ」 「……リックの言うとおりです」 静かだったリスベルが、相づちを打った。 「私たち二匹では、どうにもならないかもしれません。 ルークは、ロブスターさんを呼んできて下さい」 二匹の言葉に、ルークは三瞬きほど黙っていた。 けれど自分に出来ることを考えたところで、二匹の言うこと以外に最良な手助けは思いつかない。 「わかった」 そう言うと、リスベルがルークを優しい面持ちで見、頷いた。 リックとリスベルの二匹は、ボルシチの方へ、数歩前に歩み出た。 「この場から誰も逃さねぇぞ。 お尋ね者の俺がここにいるのがわかると、面倒なことになるからな」 その言葉に、ルークは息を呑んだ。 ボルシチは転がった鎖付きの鉄球を軽々と拾い上げると、薄緑の目を細めた。 「散々好きにさせてやったこと……今度は、俺の番だ」 左手に鎖の端を持ち、右手で鉄球を振り回し始めたボルシチは、自分に立ち向かおうとする二匹に、恐ろしい顔をして見せる。 そして不意に、鉄球を二匹目掛けて投げつけてきた。 リックとリスベルは左右に分かれ、鉄球を避けた。 二匹に当たらなかった鉄球は、ドドンと音をさせ地面を凹ませた。 鉄球の衝撃が、足からじーんとルークの足に伝わる。 態勢を立て直し、立ち上がったリックとリスベル双方を見やって、ボルシチが言った。 「今のは攻撃じゃない、まだ攻撃なんてしてないぜ。 この鉄球を使えるようにしただけさ」 地面に叩きつけられた反動で――そういう細工がされていたのだろう――鉄球に鋭い凹凸、トゲのようなものが現れていた。 ボルシチは鎖を手繰り寄せ、再び鉄球を回し始めた。 「今度も逃げるのかい?」 耳障りな高笑いをしたボルシチに、リックが不愉快な顔つきになった。 すでに手にしていた矢を素早く構えると、リックはボルシチの首筋目掛けて矢を放った。 矢は正確に、リックの狙い通りに飛んだ。 けれど後少しというところで、ボルシチが鉄球で矢を跳(は)ね除ける。 跳ね返った矢は、リックの足元に吹き飛んで落ちた。 「リック!」 リスベルが叫ぶ。 足もとに落ちた矢に油断していたリックが、ハッと顔を上げる――ボルシチの投げたトゲトゲした鉄球が、リック目掛けて飛んでくるところだった。 素早く身体を捻(ひね)らせたリックだったが、鉄球の飛び出たトゲの一つが当たる。 横っ腹を鉄球のトゲに掬われたリックは――鉄球の威力のままに、吹き飛ばされた。 リック諸共、鉄球は広場に隣接していた建物の壁にぶつかった。 勢いよく壁に叩きつけられたリックは、運良く潰されはしなかったものの、 「くっそぉ……」 小さく呻いたかと思うと、力無く壁に寄りかかってしまった。 ボルシチが鉄球を引っ張り壁から引き抜くと、白い塗装を施(ほどこ)した煉瓦の破片とリックが、地面に転がった。 「あぁ、リック」 思わずルークは、その場からリックの側へと駆けだした。 「リックっ、しっかりして、リックっ」 呼びかけるが、リックは返事をしなかった。 ルークは、倒れて動かないリックの胸に耳を当てた――心臓は動いている。 「生きてる……良かった」 ホッと声を漏らしたルークは、ふと急に日が陰ったかのように感じた。 背後に何か視線を感じる。 「わっ!?」 「まだ生きてたか、運の良いやつだ」 後ろにボルシチが立っていた。 ルークは半ば飛び上がるようにして両足で立つと、右手の蒼爪を構えた。 「竜石使いでもないのに、俺とやり合おうなんていうのか」 気味の悪い微笑に、ルークの全身の毛が逆立った。 ボルシチの巨漢を前に、しっぽの先まで恐怖で震えが止まらなかったが――ルークはうなり声を上げて威嚇した。 「良い度胸だ」 ボルシチがそう言ったかと思うと、ルークに大きな拳が迫った。 ――避ければリックがやられる。 ルークはその場から離れず、身体を強ばらせ、目を瞑った。 「レイノゥス!(貫く氷)」 リスベルの声が聞こえたのと同時、辺りの温度が低くなる。 ボルシチが背を振り返り、ルークもそちらへ目をやる。 リスベルの魔法で現れた氷の竜たちが、ボルシチ目掛けて飛びかかってくるところだった。 「魔法使いかっ」 何匹も飛んでくる氷の竜をボルシチは鉄球で払いのける――が、そのうちの一匹が、ボルシチの右肩に突き刺さった。 一瞬くらりと大きな身体が揺れる。 けれども巨漢は太い足で踏ん張り、薄緑の目でリスベルを睨みつける。 ボルシチは右肩に突き刺さった、鋭利な氷の柱を左手で砕き、鬼のような形相をした。 「気が変わった、お前から始末する」 鉄球を振り回しながら、ボルシチはリスベルの方へ歩き始めた。 |
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