今回はリックもルーク達も、うっかり忘れモノが多いみたいです。
quartz
*第八話・お尋ね者とたずね者2*
|
静かな店内に、雌猫は軽やかな音を響かせた。 徐々に弾かれる音は激しくなり、細やかな音の旋律が、聴く猫達の鼓膜を揺らす。 鍵盤を弾く雌猫の手の力強さには、思わず身体を揺らしてしまいそうになる。 「あの猫、美猫だと思わないか? こっからはよく見えるなぁ」 リックの言葉が、音色の世界から現実へとルークを引き戻した。 ルークは小さくため息をつくと、 「ったく、リックは何見てるんだか」 と少し呆れ顔で睨め付けた。 エレファントピアノの演奏が終わると、お客達の間からワッと握手が湧き起こった。 「うわぁすごかったですねっ! とっても迫力があって……私、初めてこのようなものを聴かせて頂きました」 リスベルも感激した様子で、他の猫達と同じように拍手を送っていた。 『では、続きまして"スネイクサックス"による演奏で――』 曲はそれから、次々と演奏された。 どれもうっとりするほど良い音色や曲ばかりだった。 演奏される曲それぞれに聴き入ってしまい、ルークは度々、口の側で止まったスプーンを思い出し口へと運んだ。 話しかけてきたリスベルと談笑していたルークは、ふと、ロブスターの方を見た。 感激する猫たち、リック、リスベルとは違い、ロブスターは曲を聴く事よりもケーキを食べる事に徹している――しかも、2皿目だ。 ステージへ耳を傾けているところを見ると、全く聴いていないわけではないようだが――この店に"聞いて欲しい曲があった"と言っているわりには、食の方が進んでいる。 ルークがあまりにもじっと見つめていたので、 「……?」 ロブスターは視線をお皿からルークに移した。 ルークは聞いてみることにした。 「ロブスター、トマトケーキ……2皿目?」 率直には聞けなかった。 「……ああ、うまいからな」 ロブスターはそう答えると、フォークを置き、トマトジュースを啜(すす)った。 『では、次の曲です。 次の曲は、このステージで最年少の少年"ウォード・オリス"による"ヴァイオリン・フォックス"の演奏です。 演奏曲は、道、"道(クゥツ)"です』 司会がそう言うと、ステージの照明が全て消えた。 そして二度ほど瞬きした頃に、パッとステージの真ん中だけに照明がついた。 光が当てられたそこには、ルークより幼い感じのするヘーゼル色の目をした男の子が立っている。 「あいつが演奏するのか? 俺たちとそう年は変わらないぜ」 リックが興味深そうに言うのを聞きながら、ルークはじっと男の子を見つめた。 曲は始まろうとしている。 男の子はヴァイオリンフォックスを顎で挟み固定させ、自分を落ち着かせるために――というよりも、手中の相棒に合図するかのように小さく囁いて、一呼吸した。 薄茶色の目を伏せ、指先で弦を弾く。 弓を定位置に構えると、そっと弾きだした。 演奏が始まった瞬間、店にいた誰もが、その音色にクギヅケになった。 背筋に何かぞくぞくとするものを感じる。 ルークは飲もうとしたクリームソーダのグラスを掴んだまま、飲むのことを忘れ、耳を澄ました。 今までに聴いた曲とは何か違う雰囲気を、その男の子は音色から醸(かも)し出していた。 その音色は毛が逆立つ程美しく、心の奥底まで響くよう……。 音色は、ある旅猫の物語を語っているように聞こえた。 長い旅路をゆくその猫の半生を聴いているように感じる。 明るい曲調の最中(さなか)に、切ない音が絡み合う。 曲が後半に差し掛かるにつれ、音色は静謐(せいひつ)で優しいものへと変わっていった。 けれどその優しい音色の中にも、切なさが残る。 聞いていたルークの頭に、自然と、今までの旅路の出来事やアモン・ティル・ハーツと別れた時の映像が過(よ)ぎった。 思い出の記憶を背景に、ウォードの奏でる音色が響く。 店にいる全員の視線を浴びながら、男の子は優雅に、そして堂々と演奏をし続けた。 そして、最後の音色を響かせると、動かしていた弓を止め、演奏を終えた。 店内は静まりかえっていた。 耳にはまだ、ヴァイオリンフォックスの音色が鮮やかに残っている。 男の子はその店内をゆっくりと見回すと、会釈に似たお辞儀をした。 そしてお客達をそっとうかがうような目で見回し、もう一度お辞儀をすると、ニコリと微笑んだ。 その瞬間、お客達は我に返り、ドッと拍手を始めた。 「すごいですぅ」 リスベルが拍手を始め、ルークは遅れて我に返った。 まだぼうっとしたままの頭を動かし、辺りを見回すと、他の猫達と同じように手を叩く。 側から強く叩かれる拍手の音がして、ルークは頭をそちらへ向けた。 ロブスターがステージに向かって拍手を送っている。 「なんだか身震いがしたぜ」 リックもそう言って、拍手をしていた。 拍手は男の子がステージから去るまで、去った後でもまだ鳴り響いていた。 司会猫が姿を現し、お客達を静め、それでやっと拍手の波は収まった。 「良い曲だったろう」 ロブスターの声に、ルーク達は振り返った。 振り返った時には、黒猫はトマトケーキを食べる続きを始めていた。 それからルーク達は食事を再開した。 お喋りと食事で楽しく時を過ごしていると、再びステージに照明が当てられ、手に紙切れを持った司会猫が現れた。 『お食事中、失礼いたします、お客様にお知らせがございます。 先ほど、ウォーノクスより知らせが参りました。 本日、噴水時計濃黄時刻、エクレア収容所で囚猫の脱走事件が発生いたしました。 囚猫"ボルシチ・アーサー"は、サンザリー広場の方へ逃走したとの事です。 ただ今エクレアポリスキャットにより捜索がなされております。 ウォーノクスによりますと、猫通りの多い場所は厳重な警戒体制がされているそうです。 脱走猫は裏通りへ逃走したとのことで、くれぐれも、猫気のない場所には赴かないようにと――脱走猫については、連絡が入り次第お伝えいたします。 お知らせは以上でございます』 「脱走事件だって……」 ルークはあまり実感が湧かず、ぼんやりと聞いていた。 周囲の猫達も、「大丈夫よ、エクレアのポリスキャットがいるじゃない」と言い合って、話と食事の続きを始めている。 「すぐ捕まるだろう。 それに、エクレアのポリスキャットって言やあ、屈強で有名なポリスキャット集団だぜ。 闘技場とごろつきの多いこの街を守ってる、強い猫で形成されてるって話だ」 リックはそう言いながら、パフェに舌鼓を打っていた。 ロブスターは、眉間にシワを寄せて何か考え事をしているようだった。 怖い顔をして、トマトジュースを飲んでいる。 「どうかしたの、ロブスター」 ルークの声に、黒猫は飲んでいたトマトジュースのグラスを置いて答えた。 「どこかで聞いた事がある名だと思ってな。 ボルシチ・アーサー、確かあれは、アモン・ティル・ハーツが取り押さえた男だったように思う。 もう何年も前の話だ」 「アモンが?」 「大男だったという噂だ」 ロブスターの言葉に、リックは言った。 「何男だろうが、ポリスキャットが何とかするさ。 それに、俺たちは竜石使いだぜ」 リックの言葉に、ルークは安堵(あんど)して「そうだね」と言った。 「噴水時計、今、何時でした?」 隣のテーブルの猫が、店員に話しかけているのが聞こえた。 少しの間その場を離れ、再び隣のテーブルへやって来た店員は、 「今は濃いピンク色にさしかかりつつあります」 と答える。 「……濃いピンク」 忙しく動かされていたリックの手と口が止まった。 「た、大変だっ!?」 リックが突然、慌てた様子で立ち上がった。 隣に座っていたリスベルが、驚いてむせている。 「リック、どうかしたの」 ルークが尋ねると、リックは矢を背中に背負いながら言う。 「しまった、あぁすっかり忘れてたぜ。 噴水時計がもうピンク色をすぎてる、勝負の時間に遅れちまう!」 「まだケーキを食べ終えていないだろう」 ロブスターがそう言うと、リックは再び席に着いた。 そして、お皿のケーキを綺麗に口に押し込んだ。 口を動かしながらお皿を見、残っていたケーキの一欠片も指で摘んで口に入れた。 「……食ぶったぼっ、じゃばっ俺ば行ってぐぶ」 よく分からない言葉を言い残すと、リックは席を立った。 そして器用にテーブルとテーブルの合間を抜けて、店の出口へと走りだした。 「あ、待ってリック! 独りで行くのっ!?」 ルークがそう言った時には、もうリックが店を出ていくところだった。 「仕方のないやつだ。 ケーキをもう一皿頼みたかったが」 ロブスターはそう言いながら、ゆっくりと立ち上がった。 「私たちも、ついていくべきですね」 リスベルも立ち上がった。 ルーク、リスベル、ロブスターの三匹は、席を立ち、店の出口へと向かった。 最初に出口に向かっていた黒猫が、いつの間にか支払いを済ましているのを見、ルークはお礼を言おうとしたが、 「行くぞ」 と先に口を開かれて、言いそびれてしまった。 店の出口扉を開け、外へと出た。 入ってきた時と同じように、ベルが三匹の背に見送りの音を奏でていた。 カランカランカラン 店を出て幾間も立たず、再びカランカランとベルの音が、ルーク達の後ろで鳴った。 強く扉が開かれる音と、こちらへと近づいてくる慌ただしい足音がする。 「待って下さいっ、待って下さい、ロブスターさん!」 ロブスターを呼び止める声が後ろから聞こえた。 ルーク達は立ち止まり、思わず振り返る。 「あれ?」 振り返ると、そこにはどこかで見た顔――さっきまで"メアリーアの店"で演奏していた男の子が立っていた。 「はぁっはぁっ」 男の子は必死に、息を静め、落ちつこうとしていた。 苦しげに息をしているが、その顔はなぜだか嬉しそうに微笑んでいる。 手にはヴァイオリンフォックスが握られていた。 「あなたは、さっき、このお店で演奏されていた方ですね?」 リスベルが問うと、 「はい……僕、ウォード・オリス。 ロブスターさん、あなたに、もう一度会いたかった」 とウォードは言い、ロブスターを見上げて笑顔を作った。 それを聞き、ルークは驚いて黒猫を見た。 「ロブスター、この子と知り合いなのっ?」 ややあって、 「……ああ」 ロブスターは答え、男の子に「久しぶりだな」と言った。 ウォードは黒猫に近づくと、上から下までよくよく観察して、何度も瞬きをした。 「ロブスターさん、変わられていませんね。 時々メアリーアでロブスターさんらしき方をお見かけしたのですが、僕がステージを終えて行ってみると、いつももういらっしゃらなくて。 ……僕、ロブスターさんにもう一度会いたかった。 新しく作った曲、一番に聴いてもらいたかったから」 「曲を作ったのか」 黒猫がそう言うと、ウォードは頷いた。 真摯(しんし)な眼差しを黒猫に向け、 「僕の曲、聴いてもらえませんか」 と問う。 「ロブスター、聴いてあげたら?」 ルークは黒猫を見上げて言った。 リスベルも、 「私も、ウォードさんの新しい曲、聴いてみたいです」 とニコリと微笑んで言う。 ロブスターは二匹の顔を見――そしてウォードの顔を見た。 「では、聴かせてもらうとしよう。 だが我々は、こう見えても忙しい旅猫(クォーツ)。 それを呼び止めただけの良い曲、聴かせてもらうぞ」 ロブスターの言葉に、ウォードは、 「はいっ」 と返事をし、ヘーゼル色の目を輝かせた。 ウォードはヴァイオリンフォックスを顎で挟んだ。 大きく息を吸って、そして吐く。 ウォードのあどけない顔が嘘のように引き締まったのを見、ルークは少し驚いて喉を鳴らした。 そしてステージ上でと同じように、ウォードは何事かをヴァイオリンフォックスに囁く。 一度だけ黒猫の見、再びヴァイオリンフォックスに視線を落とすと、弓を動かし弾き始めた。 透き通るようなその音色は、耳を澄ます猫達の心へ溶け込むように紡がれる。 曇り空から垣間見えた青空へと、音は抜けていくように鳴り響く。 側で聞いているせいなのか、率直に、音色が伝わってくる。 音が震わせた空気が、ルークの肌にまで感じられる。 時には大きく、時には小さく細やかに、ヴァイオリンフォックスは音を奏でる。 聴く者を包み込んでくれるようなその曲調は、優しくもあり、強さも秘めていた。 ルークはまた、メアリーアの店で聴いた時と同じ、言い知れぬ懐かしい気持ちに胸が一杯になっていた。 ――どうしてウォードの音色は、懐かしくて切ない気分になるんだろう。 曲は、長くどこまでも続く弧を思わせるような響きで締めくくられた。 ウォードはそっと、ヴァイオリンフォックスを下げた。 そして、ルーク達の顔を、伺うように見つめた。 ルーク達の後ろで知らぬ間に出来ていた猫垣から、何匹かの猫が拍手をした。 我知らず足を止めていた猫達は、再び通りを歩き出す。 曲の余韻に浸っていたルークの耳に、徐々に街の活気が聞こえるようになった。 「良い曲だ」 ロブスターが囁くように言った。 それを聞いた途端、ウォードは薄茶色の目をまん丸く見開いた。 「ほ……本当、ですかっ!?」 小さく叫んだウォードは、何度も瞬きをする。 ロブスターは深々と頷いた。 小さな手を握りしめ、喜んでいるウォードを見ながらリスベルが言う。 「とても美しい音色の曲でした。 こんなに側で聴かせて頂いて、贅沢な気分です」 興奮気味だったルークは、少し声を上擦らせて言った。 「素敵な曲だったよ……ウォード」 目が潤んでいるルークを見て、 「ありがとう、嬉しい」 ウォードは微笑んだ。 「その曲、名前は何て言うの?」 ルークがそう聞くと、ウォードは目を伏せ、どこか悩んでいるような表情になった。 「……実は、まだ、決まっていないんです。 なかなか、思いつかなくて。 自分の中で、今までで一番良く仕上がった曲だと思うんです。 だから、良い名前を付けようと思っているんだけど」 「"アビシニアン"……はどうだ」 ロブスターが突然そう言った。 「アビシニアン」 ウォードは目を大きく見開いた。 リスベルが左手を右腕に手を添え、考え事をするようにして口を開く。 「アビシニアンは確か……その美しい声で猫たちに希望を与えた、女神の名前ですよね」 ロブスターは静かに頷いた。 「アビシニアン……僕、この曲アビシニアンにしますっ。 嬉しい、ロブスターさん、ありがとう!」 ウォードはそう言うと、黒猫に抱きついた。 それに驚いていたロブスターだったが、笑顔で自分を見上げるウォードを見つめているうち、優しそうな顔つきになった。 「良い名前だね、アビシニアン」 ルークが小さく言うと、隣でリスベルも微笑んで言った。 「ウォードさんの曲にぴったりです」 「ロブスター……ウォードとは、いつ知り合ったの?」 ルークがそう尋ねると、 「四、五年ほど前、私がこの街に訪れた時だ。 ウォードが、路地裏で悪猫どもに囲まれていた」 ロブスターは話ながら、ウォードを見下ろした。 「……僕、あの日、雨がパラパラと降ってきたから、慌ててたんだ。 ヴァイオリンフォックスが濡れてしまうから、雨が強くならないうちにと思って、急いで通りを走っていました。 そしたら、一匹の猫にぶつかってしまったんです。 その猫が大事そうに持っていたポップコーン、辺りにばらまいてしまって……とにかく、あの日の僕は全然ツイてなかった。 路地裏に連れて行かれて、もうダメだって思った時、どこからか黒猫さんが現れて助けてくださったんです。 その黒猫さんが、ロブスターさんでした」 ウォードは一度口を閉ざし、黒猫を仰(あお)ぐように見て言った。 「あの時は、本当にありがとうございました。 ロブスターさん、そしてアモンさんが来て下さらなかったら、僕、どうなっていたか」 静かに聞いていたルークだったが、「あれ、ちょっと待って」そう言って、ウォードの話を止めた。 それらの言葉の中に、ルークは聞き捨てならない言葉を聞いたのだ。 「ウォード、今……"アモンさん"って言わなかった?」 「ええ、言いました」 ウォードがそう答えると、ルークは大股で歩み寄った。 そしてウォードの両肩に手をやって、じっと目を見て口を開く。 「まさか、アモンさんって、アモン・ティル・ハーツの事?」 「そ、そうですけれど……どうしたんですか、一体」 ルークのただならぬ様子に、ウォードは小首を傾げ戸惑っていた。 リスベルが言う。 「と、言う事は。 ロブスターさんも、アモン・ティル・ハーツに会った事があるのですね?」 ルークは黒猫の方へ振り返った。 「ああ」 素っ気ない返事をした黒猫をまじまじと見、ルークは大きく開きっぱなしの目を瞬かせた。 「ロブスターも会った事があるの!?」 ルークのただならぬ様子に、ロブスターはアモンに会った経緯を簡単に話してくれた。 ロブスターは、柄の悪そうな猫達に路地裏へ追い詰められるウォードをたまたま見かけ、その後を追った。ウォードを救うため、悪猫を懲らしめようとしていたロブスターだったが、少しばかり手荒だったようで――悪猫たちが、どうにかなりそうだった。 この時の補足で、「気が立っていた」「手加減を忘れていただけだが」と呟いていたロブスターをウォードが引きつった笑顔で見ているのを見、ルークの毛がやや逆立った。 そんな時、突然、アモン・ティル・ハーツが現れたそうだ。 アモンは、悪猫どもに手を出すこともなく追い払い、ロブスターと怯えるウォードに、 『近くの店で雨宿りしないか? 雨がこれ以上、強くなる前にさ』 と声をかけ、メアリーアの店へ連れて行ってくれたらしい。 店につき、三匹は雨が止むまでしばらくそこにいた。 ケーキを食べ終えた後、ウォードは何かお礼がしたいと思った。 けれど何をすればいいかウォードには分からなかった。 お礼が思い浮かばず俯いていたウォードを見て、アモンが、 『そのケースには何が入ってるんだい?』 と、ヴァイオリンフォックスのケースを指さした。 ウォードは、ケースからヴァイオリンフォックスを取り出した。 二匹へ、これで曲を弾こうと思った――お礼の代わりに。 曲を弾き終えると、突然、一匹の猫が彼らのテーブルの前に現れた。 その猫はこの店のオーナーだった。 彼はウォードに、 『是非、店の演奏者の一匹になってくれないか。 君のヴァイオリンフォックスの音色は実に素晴らしい。 私は聞き惚れてしまったよ』 と言ったそうだ。 そうして、ウォードはこの店で働くことになった。 ロブスターが語る間、ウォードは照れくさそうに、耳を何度も撫でつけていた。 ルークは、控えめなウォードを見ていて、思わず熱の入った口調で言った。 「聴いていてもわかるよ。 ウォードの弾く曲に音色、すごく心が惹きつけられる。 俺は、そう思った」 「……あ、ありがとうございます」 耳を頭に伏せ、ウォードは頬を掻いた。 「私、それにアモン・ティル・ハーツはきっかけを作っただけだ。 機会をものにしたのは、ウォード、お前自身だ」 そう言ったロブスターを少し驚いた様子で見、ウォードは頷いた。 その後、ルーク達は、ウォードと話に花を咲かせていた。 誰かのことを、すっかりと忘れて―― リスベルは近くにあった"噴水時計"にふと目をやった。 噴水は、濃い赤みを帯びていた。 しばらくの間、それをじっと見つめていただけだったリスベルだが、両手を頬に押し当て、小さな悲鳴を上げた。 「ルーク、ロブスターさん、私達、何か忘れてません!」 すぐに何のことだか思い出せなかった。 ルークは出来事を頭の中で回想させ、あっと閃(ひらめ)くように言った。 「あっ、リックだ」 「すまないウォード、我々はもう行かなくては。 ……仕様がないやつがいてな」 ロブスターはそう言うと、ウォードの肩を優しく叩いた。 ルーク、リスベル、ロブスターの三匹は、慌ててその場を去った。 「さようなら、ウォード」 「ウォードさん、また会いましょう!」 「ああ、リック大丈夫かな」 走りながら、ルークは不安な表情で呟いた。 隣で併走していたリスベルが、額をこつんと叩いて言う。 「すっかり忘れていました……私とした事が」 「やつの事だ、まだ生きてるだろう」 前方を行く黒猫が、素っ気ない声音でそう言った。 通りの分かれ道に差し掛かり、三匹は足を止めて街の案内板を見上げた。 「第二闘技場の側を通って、第一闘技場か」 もうすでに、黒猫は動き出している。 その後を追うように、二匹の子猫も走り出す。 三匹は、リックがいるであろう第一闘技場へと向かった。 −第二闘技場前− 闘技場の周りは、多くの猫達で喧騒(けんそう)としていた。 ルーク達のいる通りの方から中の様子は窺(うかが)えなかったが、どうやらこれから、第二闘技場で試合が行われるようだ。 ちらりと見えた闘技場の石造りの壁の向こうでも、猫達の騒ぐ声が聞こえる。 周囲は試合を見に来た猫達でごった返していた。 辺りには物騒な格好をした猫から、昼間から酒を呷(あお)って半目で歩いている猫もいる。 猫達が密集しているせいか、熱気がすごく、ルークは少し舌を出して息をした。 先を行く黒猫を追うが、猫混みに呑まれそうになる。 背後で小さな悲鳴を聞いて、ルークははぐれそうだったリスベルの手をギュッと握って引っ張った。 少し猫が減った場所で、黒猫は二匹を待っていた。 「私について歩け」 そう言うと、ロブスターはルークとリスベルを自分の体に添わせた。 「闘技場って、初めてきたけど……想像以上に物騒な場所だね。 これじゃあ誰が戦うのか見に来てるのか、わからないよ」 ルークは、側を通っていった、胸当てと短刀を腰に携えた猫を目で見送った。 先ほどから不機嫌そうに顔を歪めていたリスベルは、はだけそうなローブを必死に押さえながら言った。 「早くここから出たいです」 「第一闘技場、どこにあるのかな……猫が多くてわからないよ」 ルークは歩くので精一杯だった。 闘技場の出入り口に近づいたのか、通りすぎる猫たちの流れが速い。 ロブスターは背筋を伸ばして、辺りを見回しながら歩いていた。 「向こう側に見えるのがそうだろう」 ルークは前方を見据える黒猫に、 「俺たちには見えないよ。 ここを通り抜けなきゃならない? ……リスベル、限界かもしれないよ」 と言うと、今にも泣き出しそうなリスベルを振り返った。 「後ろに吸い込まれそうです」 ルークより小さいリスベルは、体力が尽きかけており、見るからにしんどそうだった。 足が縺(もつ)れ、歩くのも覚束(おぼつか)ない。 いつの間にかローブのフードは後ろへ押しやられ、頬には誰かが食べていた外店のソーセージのトマトケチャップがついている。 それを見やったロブスターは、ほんの一瞬き、足を止める。 急に身体を屈(かが)めたかと思うと、ロブスターはリスベルをひょいと両手で抱え上げた。 「……リスベル、これで一安心だね」 ルークがそう言うと、リスベルは丸くしていた目を黒猫へ向けた。 黒猫はリスベルと目を合わせると、その白毛についていたトマトケチャップを舌で舐め取った。 「ありがとう、ございます」 リスベルは数度目を瞬かせ、片言のようにそう言った。 ロブスターは目的地の方へ顔を向けた。 「ルーク、私の後にしっかりついて来い」 ロブスターはリスベルを抱え、足早に歩きだした。 ルークもその後を、必死に、離れないよう小走りでついていった。 −第一闘技場前− 「何だか、静かだね」 あまりの猫気のなさに、思わずルークはそう言った。 先ほど通ってきた第二闘技場とは随分と違い、ここはとても静かだ。 第一闘技場は、第二闘技場に比べ、建物自体が小さく見えた。 あまり使われていないのだろう、全体的に少し埃(ほこり)っぽく感じる。 第二闘技場同様、石造りの建物だった。 ルークの二倍ほどの高さをした石壁が、カーブを描いて建てられている。 おそらく、円形の闘技場なのだろう。 「あそこに誰かがいますよ。 ……ロブスターさん、ありがとうございました」 リスベルはそう言って、黒猫から降りた。 第一闘技場の入り口の石門に、寄りかかるようにして猫が立っている。 ルーク達三匹は、誰かを待っているように立つ、その猫の側へと向かった。 「あ、やっぱり」 山高でツバが広い帽子、薄い灰に濃い灰色の渦模様、癖毛――リックに勝負を挑んだ、ポルトルだ。 ルークの言葉に振り向いたポルトルは、帽子をとって「二度目まして」と挨拶をしてきた。 「リック・ゴードンは来ていないのか」 ロブスターがそう言うと、ポルトルは不思議そうに三匹を見やって言った。 「あんた達と一緒じゃなかったのか? やつは、まだ来てねぇよ。 絶対来ると思ったのによ、なぁ、そう思っただろ?」 「うん」 相づちを求められ、ルークは頷いた。 「リック、どこへ行ってしまったのでしょう」 「飛び出して出ていったのに」 二匹の言葉を聞きながら、ロブスターが少し呆れた様子で言った。 「やつの事だ、場所を間違えたのかもな」 ポルトルは石壁をドンと拳で叩くと、その場に座り込んだ。 「時間はトオに過ぎてやがる。 リック・ゴードン、一体どこへ行きやがった」 「リックは俺たちより先に急いでここへ向かったから、本当ならここに着いてるはずだ。 ロブスターの言うとおり、場所を間違えて迷ってるのかもしれない。 ……俺、探してくるよ」 ルークがそう言うと、リスベルも言った。 「私も行きます。 ロブスターさんとポルトルさんは、ここで待っていて下さい」 ルークとリスベルは、二匹をその場に残し、リックを探しに出かけた。 二つの沈黙が、その場に訪れた。 ロブスターとポルトルは、しばらくの間、無言でその場に止(とど)まっていた。 座り込んでいたポルトルは、古い赤色の石畳を見つめていた目を、チラリと隣猫に向けた。 「ロブスター・ハウントだ」 突如低い声が発せられ、ポルトルのお尻が、豆一粒分ほど浮き上がった。 再び、黒猫は沈黙する。 思わぬ黒猫の挨拶に、ポルトルは自分の胸を鷲掴み、深い鼻呼吸を繰り返した。 心中の落ち着きを取り戻すと、ポルトルは戸惑いがちに隣猫を見やり、声を掛けた。 「おっ、お前、ロブスターって言うのか。 おいらはポルトル・ピアース、"ジャムダムル"出身だ」 ポルトルがそう言うと、黒猫は軽く頷きながら「そうか」とだけ答えた。 再び沈黙が訪れた。 黒猫は軽く瞼を閉じ、瞑想でもしているかのようだった。 猫気のない辺り。 閑散(かんさん)とした建物や、いつから立っているのか知れない大きな樹のせいで、空柄注がれる日の光は極小。 ただでさえ静かでひんやりとしていて、居心地が良くないこの場所は、長居するような場所ではない。 緊張で、ポルトルは口の中がカラカラだった。 ごくりと喉を鳴らし乾きを潤そうとしたが、唾さえも出ない。 ポルトルは立ち上がった。 黒猫はそっと目を開け、ポルトルの方を見る。 そんな黒猫を、ポルトルは横目でちらちらと見ながら、 「まだ、時間かかりそうだしよ。 おいら、飲み物でも買ってこようかと思って。 ……えっとロブスター、さん、も、何か、いるかい」 と言葉を模索しながら聞いた。 急にロブスターが動いたので、驚いたポルトルの毛が逆立った。 黒猫は服に手を突っ込んで、「頼めるのか」と聞いてくる。 「ああ、いいとも」 ポルトルがそう答えると、黒猫はポルトルの手に、ユニコーンの絵が描かれた青銅の"500キャットコイン"を置き、言った。 「トマトジュース」 「……とっ、トマトジュース」 ポルトルは言葉を繰り返すと、500キャットコインをギュッと握りしめた。 「買って、来ますね」 ぎこちない笑顔を作ると、ポルトルは賑やかな通りの方へと、すぐに駆けだしていった。 −闘技場近くの広場− 第二闘技場と第一闘技場の間にある広場に、ルークとリスベルはいた。 「この近くに、リックいるといいですのに」 リスベルは広場の猫達を見やりながら呟いていた。 ここにいなければ、二匹は第二闘技場前を通って、リックを探さなければならないのだ。 そうなるとまたあの猫混みの中に入らなくてはならない。 二手に分かれて、広場を探すことにした。 どこかで可愛い女の子に声なんて掛けていないか、木陰で昼寝していないか、リックを見つけるためルーク達は駆け回った。 通りすぎる猫達の中に紛れていないかと、時々足を止めて振り返る。 どこかに隠れているかもしれないと、家々が立ち並ぶ隙間や屑入れに至るまで、リックの姿を隈無(くまな)く探した。 「あぁ全くどこへ行ったんだろ、リックのやつ」 ルークはそんな事を言いながら、よくよく目を凝らして探していたが、そのうち目が疲れてしょぼしょぼしてきた。 そんな朧気(おぼろげ)な視界に、こちらへ駆けてくるリスベルの姿が映る。 「ルーク、リックいました?」 ルークは頭を左右に振った。 「いなかったよ……第二闘技場より向こうにいるのかも」 それの言葉を聞いて、リスベルは耳を頭に伏せる。 「私、またあそこを通るのは嫌ですぅ」 「仕方がないよ。 他に、通り道があれば別だけど」 ルークがそう言うと、リスベルは辺りをぐるぐる見渡し始めた。 しばらくの間、リスベルは身体を傾いだり、少し駆けていって遠くを眺めたりしていた。 そうして、こちらへ戻ってきた時には、 「あそこに裏道がありました」 とリスベルは指さして言った。 リスベルはルークの腕を引き、裏道の方へ案内した。 近づくまで分からなかったが、建物と建物のちょうど影になった部分に、猫二匹が並んで通れるほどの幅をした小道があった。 緑の剥(は)げたような色合いの、石でてきた道だ。 「ね、ルーク、ここを通りましょう」 「でもこの道から、向こうの通りに出られるかわからないよ」 ルークがそう言うと、「入ってみないとわかりませんよ」とリスベルは答え、ルークの腕をやや強引に引っ張った。 猫気のない裏道を、二匹は歩き始めた。 「足場悪いな、石が飛び出てるよ。 この道……今はあんまり使われていないのかな」 ルークは躓(つまず)きそうになりながらも、リスベルの歩調に合わせて裏道を歩き始めた。 |
***クォーツの感想はこちらから、ぜひ!***
Copyright (C) LOTS. All rights reserved.