迫り来る危機に、猫たちは一体
quartz
*第七話・大船フォンデュー号4*
「私たちは助かる」 ロブスターの声に、ルークは振り返った。 「お前がそんなに弱気でいてどうする」 ルークはしばらく黙していたが、黒猫の顔を仰ぎ見ると、「うん」と頷いた。 黒猫は自分も頷き、少しばかり顔を綻ばせ、笑んだように見えた。 「あ、リックを助けなきゃ」 ルークは船の縁から身を乗り出した。 見下ろすと、編み目のように絡み合ったロープに引っかかり、膨れっ面をしたリックと目が合った。 何も言わずロブスターはそのロープを引き上げ始めた。 ルークもその横に並んで、ロープの端を持った。 掻き込むようにして、2匹は絡んだロープと一緒にリックを引っ張り上げた。 「何だ、俺はまた船の上、か」 リックはぼそぼそ言いながら、足を絡まったロープから取りだした。 「リック、しっかりしてよ、俺たちは何が何でも助かるんだっ」 ルークはリックの背中を威勢よくバシッと叩いた。 「ったぁーっ……何すんだよルーク! 根拠があんのか? 俺たちが助かるって根拠がっ」 「あぁ、あるとも。リック・ゴードン、お前の力が必要だ。 ちゃんと立て、こっちに来い。ルーク、お前も来い」 ロブスターはそう言うと、リックの襟首を掴みリスベルの所まで運んだ。 「ロブスターさん、早く策を練りましょう! 波が迫っています!」 リスベルは慌てた様子だったが、ロブスターは、 「策は考えてある」 と言って、上着を脱ぎ出すほどのんびりとしていた。 甲板上の、ちょうど大津波が正面に見える場所へとロブスターは歩を進めた。 そして腰に携えてあった刀を、抜いた。 …… 外光を受け、刀はキラリと輝いた。 「おめぇの新しい武器、いよいよ出番か」 そう言ったリックを軽くあしらって、ロブスターは早口に言う。 「リック、リスベル、お前達2匹の風の力をこの刀にくれ、時間は少ない」 「分かりました」 「ああ」 リスベルは右手を向け、リックは右腕から緑色の竜を放ち――2匹の猫は、ロブスターの刀に風の力を吹き込んだ。 風の力が吹き込まれた刀から、サワサワと風が溢れだし、漂っていた。 「十分だ」 ロブスターの合図で、3匹は後ろに下がった。 大津波はもう目の前まで迫っていた。 冷たい空気が、ルーク達の毛並みを濡らしだしている。 黒々とした全身の毛並みを逆立てたロブスターは、刀を構え、ギュッと力を入れた――刀に、霞を思わせる紫の竜が現れた。 蛇のように身をくねらせる紫竜は、刀から、黒猫の身体へと伝い蠢(うごめ)く。 ロブスターは、眉間を寄せ、鋭い碧眼(へきがん)で大津波を睨みつけた。 波の音がどんどんと大きく聞こえる。 ルークの胸はドキドキと、激しく鼓動していた。 波が近づいてくるにつれ、その大きさに、規模に、つま先から身体が震えだす。 そんな中、ルークは、フォンデュー号がゆっくりと、大津波に引き寄せられていることに気がついた。 ――もう後戻りはできない。 ロブスターに全てがかかっている。 ルーク達、そして船上の猫たちが、生きるのか死ぬのかが。 「死にたくねぇ」 リックが小さく声を上げ、側の柱にしがみついた。 「大丈夫です、きっと」 そう言って、リスベルはリックの背中に手を添える。 2匹の様子を見ていたルークは、急にとてつもなく大きな不安が胸から込み上げてきた。 湿った冷気が濡らした毛並みを取り除きたくて、ゴシゴシと顔や腕、耳を撫でつけた。 「……」 ふと、視線を感じてルークは振り返った。 「ロブスターさんを信じましょう」 優しく穏やかな顔つきで、リスベルが微笑んでいた。 まるで呼吸しているかのように、刀は風を吐き出し、そして吸い込んでいた。 ロブスターは刀を横に構えた。 刀からは先ほどより一層、風が溢れ出始めていた。 そして、 「離風」 刀の主がそう言い放つと、刀は内に秘めた風を勢いよく吹き出した。 嵐の時のような風音を立て、刀は大きく、波と平行するように振られた。 猫たちは、身体が引き裂かれてしまいそうなもの凄い風を感じた。 「っ……」 ロブスターはあまりに勢いよく刀を振ったため、蹌踉(よろ)け、倒れそうになった。 必死にこじ開けていた目でそれを見たルークは、黒猫の背後に周り、その身体を支えた。 大津波は、見事、上と下に分かれた。 一つは小さな波となり、フォンデュー号を少しばかり大きく揺らし、目の前から消えた。 そしてもう一つは、空中にパッと撒(ま)かれ、晴れた空に不似合いな、激しい雨のシャワーの如く、散っていった。 ルーク達の目の前から、あの大津波は跡形もなく消え去っていた。 ロブスターは肩越しに、 「すまない」 とルークに言い、体勢を立て直した。 あたりは、大津波が先ほどまであったのが、嘘のように静かである。 ルークは大きく息を吸い、潮風を吸い込んだ。 「おお、波が消えたぜ」 耳にリックの嬉しそうな声が聞こえた。 けれどその後に、ロブスターの緊迫した声がかぶさった。 「まだ全ては終わってはいない、油断するな」 そうロブスターが言ってすぐだった。 ドドドドドドドドドドーーーン 船が激しく揺れた。 海から空へ、サーチライトのような動きを見せる光が現れ始めた。 海の底から、バハムートが浮上する。 その姿は変わらず気味の悪いものであった。 リスベルが思い出したように口を開いた。 「あのバハムートは、ナヴァザ"奇行生物"と呼ばれるもの。 奇行生物(ナヴァザ)とは、何らかの影響で、普通では起こりえない姿や行動をしてしまう生き物のこと。 奇行生物になってしまった生き物は、身体が何かに支配されている状況下であれば、例え死んでいても動き続けるのです。 ……そして自分の意志とは違う意志がその身体に宿っているため、たとえ己も傷つくことであっても行動を起こしてしまう」 「つまり、そう易々(やすやす)とは倒せぬ、ということだな」 ロブスターが妙に落ち着いた素振りで言った。 ルークは問う。 「リスベル、何か策はないの? バハムートを倒す手だては」 「私たちでは、倒すことは難しい」 そう言って、リスベルは口を噤(つぐ)む。 「……だが、バハムートを操っている何かを取り除けば、道は切り開けるかもしれん」 ロブスターの言葉に、リスベルは顔を上げた。 一つ頷いて、黒猫に同意を示す。 「ええ、そうです。 ロブスターさんがバハムートの身体に鉱石のような光を見たと言いました。 もし私の推測が正しければ……その鉱石を取り除くことによって、バハムートの奇行を抑えられるかも知れません」 「どっちにしろ、それしか手はないんだろ?」 リックが横目でリスベルを見やった。 「その通りです」 包み隠さず、リスベルは事実を告げていた。 けれど誰も、不安を口にはしなかった。 次の策が見つかったのだ、ルーク達はそれに賭けていた。 バハムートの身体のどこかにある、その鉱石を打ち砕くか、取り除くか――後者はとても危険で無理があった。 故に4匹は、"鉱石を打ち砕く"作戦を実行することにした。 リックは矢を次々にバハムートへと放った。 緑風の竜を宿らせた矢が、威勢良く何本も空を舞う。 的確に狙いを定められた矢は、どれもバハムートの身体に突き刺さっていった。 リスベルはというと、残りの魔力を鉱石探しにかけていた。 右手から淡い青をした竜を放つと、バハムートの身体の上を走らせ、鉱石の場所を探った。 ルークとロブスターの2匹は、遠距離攻撃に適していないので、機会が来るのを待っていた。 今や煙が薄れた部分から光が溢れ始めていたバハムートの身体は、不用意に近づくと危ない。 その光を浴びれば、誰もが意識を失ってしまうのだ。 時折、目に激しい痛みを伴うほどの光が、船の上を照りつけた。 その度に、リックとリスベルは攻撃を止め、目を強く塞いで、強い光から自分たちを守った。 「まだ見つからないか」 リックが残り少ない矢に危惧を感じ、肩越しにリスベルを見た。 「バハムートの身体の側面から何かを感じます」 「身体の側面って言われてもよ」 苦笑しながら「煙と光が邪魔して、身体の部分なんてわからないぞ」とリックは呟いた。 船が先ほどよりも揺れだした。 バハムートはどんどん船に接近してくる。 サーチライトのような光の柱もまた、バハムート同様船の方へと近づいていた。 そして、ドドーンという音と衝撃が船を襲った。 体当たりされた船は、ギシギシギシと今までにない嫌な音を立て、甲板に大きな亀裂を生じさせた。 「わ、船が歪んだ!?」 ルークがそう小さく言ったのと間髪入れず、船に乗りかかるようにしてバハムートが海面から姿を現した。 空に向けて、海に向けて、船の帆に向けて四方に光を放ちながら――身体をとぎれとぎれに包む煙に巻かれ、巨大な姿が猫達の前に現れた。 ルークは時折照らしてくる激しい光を防ぎながら、バハムートを見上げた。 バハムートの大きな口が見開かれ、そこから海水が流れ出る。 そこに何かを見た気がして、ルークは思わず「あっ」と声を出していた。 「どうかしたか」 ロブスターが問うてくる。 「口の中に、バハムートの口の中に鉱石みたいな光が見えた」 そう言ったルークの言葉に続いて、リスベルが言う。 「きっと鉱石が身体の一部と化してしまっているのでしょう」 「じゃあ中から狙えばいいんじゃないか」 リックはそう言い、矢を番(つが)え、バハムートの口の中に狙いを定めた。 ところが、それを見透かしていたかのように、バハムートが口を閉ざし始める。 「ダメだ、距離と威力を考えたら、間に合わない」 諦めて、リックは弓を引き絞るのを止めた。 「ここは一か八(ばち)か、バハムートの口の中に入って何とかするって、どうかな」 ルークの発言に、リックは目を丸くした。 「またすげぇ事言いだしたなルーク……で、誰が行くんだよ」 その問いかけに、思案するような顔つきで、リスベルが言う。 「……何匹かは外で応戦する必要があります。 口の中に入ると言っても、バハムートが口を閉ざして海に入ってしまったら危険です」 ルークは両手を握りしめ、バハムートの方を見上げた。 先ほどよりも一段と少なくなった煙を纏うバハムートの口は、空に開いた真っ暗な穴、もしくは、どこか違う世界へ繋がっている入り口のように見える。 穴の向こうがどうなっているのか、あそこに入って戻ってくることができるのか――正体のわからない何かが潜んでいるかも知れない――考えるだけで、ルークの身体は打ち震えていた。 「でも」 でもそんな相手と、3匹の竜使いは戦ってきたのだ。 怖い怖いと言っていたリックでさえ、矢を射、果敢に立ち向かっている。 リスベルはその落ち着いた物腰で、ルークの不安な心を取り除いてくれさえしている。 ロブスターに至っては、おそれる様子を見せないだけでなく、自分を省みず他者を救おうことさえしてしまう。 そんな彼らを見ていて、ルークは、限られた力さえ使おうとしていない自分が悔しくなった。 「ルーク・チャンスだけが、怖じ気づいているなんて」 「ルーク?」 3匹が心配そうにルークを見つめていた。 ルークは3匹の顔をそれぞれ見つめ返すと、揺らいでいた気持ちを決心させた。 「俺、行く。 バハムートの中に入って、鉱石を壊してくる」 「嘘だろルーク、正気か!? 無理するなよ、言葉に責任持って言ってるだけだろ?」 リックが「そんな事しなくていいんだぜ」と言ってルークの肩に手を置いた。 しっぽを一振りし、大きく頭(かぶり)を振って、 「うううん、違うよリック」 ルークはこちらを見つめる、困ったような空色の目に「違うんだ」ともう一度頭を振った。 「ずっとみんなばかり戦ってる……俺、ちっとも良いところ見せてないんだもん。 みんながバハムートに立ち向かって姿を、俺、黙ってみているしかできなかった。 バハムートの口に中に入って鉱石を壊すことなら、俺にもできると思うんだ。 俺にだって、蒼爪がある」 「ルークは竜石使いじゃありません!」 厳しい眼差しでリスベルがこちらを凝視した。 真剣に止めさせようとするリスベルの顔色に、ルークは閉口する。 「――もしも、もしもルークに何かあったらどうするんですか!」 「まぁまリスベル、落ち着けよ」 苦笑しながらリックがリスベルを宥(なだ)める。 ルークはリスベルの双眼に見つめられ、唇を噛み、見つめ返すことしかできなかった。 いつまでも沈黙が続きそうな2匹の間に入ったのは、ロブスターだった。 「いいじゃないか、リスベル。私がルークと共に行く」 「……ロブスターさん」 リスベルは一度ルークの方に振り向いて、何か言いたげな表情をした、が、 「わかりました」 と最後には渋々ながらも頷いた。 バハムートが再び口を開くのを待ちながら、ルーク達は作戦を立てた。 中にはいるのはルークとロブスター。 そして、ふたりが中に入る間、外からバハムートの気をそらせる役割をリックとリスベルがすることになった。 「一時的に動きを封じ込める魔法をかけますが、バハムートは巨大なので、口を閉ざさない程度の魔法しかかけることができません。 出来る限りのことをしますが、私にはもう、魔力はそう残されてはいません」 リスベルは付け加え、「迅速に、お願いします」と念を押した。 高い鳴き声と共に、バハムートが口を開いた。 片翼が船の船尾を打ち、何かが壊れる大きな音が辺りに響いた。 まるで恐怖に震えているかのように、船がギシギシと揺れる。 「今だっ」 ルークとロブスターはバハムートに向かって走り出した。 バハムートの身体からは、今や魔法の煙がないところから、煙が薄くなったところから、激しい光が放たれている――海水でつるつるすべる甲板を走る2匹に、それらが容赦なく迫ってくる。 「ルークっ」 ロブスターの声が前方から聞こえた。 ルークはほとんど目を開けずに走っていた、というよりも、強い光と海水のせいで目を開けることができなかった。 自分を呼ぶロブスターの声を頼りに、最後には手繰り寄せられるようにして――ルークはバハムートの口の中へと飛び込んだ。 ひたりひたりと、水の落ちる音がする。 「ここまでくれば、大丈夫だ」 ロブスターの言葉に、ルークは恐る恐る目を見開いた。 辺りは薄暗く、何もない、まるで洞窟のようだった。 薄い墨のような赤黒い色を背景に、こちらの様子を気遣う黒色のロブスターは、妙に際立って見えた。 その黒猫の後ろには、どこまでも続きそうな空洞が続いている。 「鉱石を探すぞ、リスベルの魔法はそう長く持たん」 後ろを振り返ると、外からの光が差し込んでいた。 扇状に開かれたバハムートの口――ルーク達が進入した時の入り口――は、まるで不揃いに並ぶかたちの悪い白煉瓦か、すり鉢を並べたような、歯? が上下にあった。 そこから見える外の世界は、まるで視野の狭い巨大な一つ目で見ているようで――こちらを見つめているリスベルらしき猫の姿と、その隣でちょこまかと動き回っているリックのような猫が視界に入った。 ぼんやりと外の景色を臨んでいたルークの足もとが、突如小刻みに揺れだした。 「何だっ」 まるで洞窟のようなこの場所の奥底から、何かが迫ってくるのを感じる。 「ルーク、耳を閉じろ」 「耳?」 ルークはピンと立たせていた耳を伏せ、両手で耳を押さえた。 ロブスターも耳をぴったりと頭に押さえつける。 そして、ふたりが耳を押さえて、ルークが目を一瞬きさせた直後。 悲鳴か金切り声にも似た高い音が、まるで猛風のようにふたりの身体に降りかかった。 「っ……」 ルークはただただ耳を強く塞いで、外へと放出されていく見えない声の姿が収まるのを待った。 空気を震わせ、振動させ――バハムートの鳴き声は、見てはならない激しい光と同じようにも思われる。 どれくらい続くのかと思ったところで、声の振動は徐々に弱くなってきた。 微かに揺れていた衣服や、毛並みに感じた声の震えがおさまっていく――しばらく耳を塞いでいたが、ルークはロブスターと顔を見合わせて、耳にあてていた手をそろりと離した。 「ルーク、鉱石をどの辺りで見たか覚えているか」 「はっきりとは見えなかったけど、口の、口の奥の方だったと思う」 そう言って、ロブスターの後ろに続く薄闇の方を見つめた――その時。 ルークの目に、何かキラリと光るものが映った。 「あれかもしれない!」 叫ぶと同時、ルークは走り出していた。 時折、右へ少し、左へ大きく動くこの洞窟のせいで、足を掬(すく)われそうになった。 辺り構わず走る中、ルークは、前方から風が吹き始めているのを感じていた。 ――鉱石の場所まで、もうすぐだ。 そうに違いないと、ルークは漠然とした確信を感じていた。 緩やかなカーブを曲がると、仄かに甘い香りが立ちこめた場所へと、ルークは行き着いた。 甘い香り風と、こちらへ何か語りかけているような、明るい輝き。 それらがルークをその場所へと誘った。 「これだ」 ルークはごくりと喉を鳴らした。 乱れた呼吸を整わせながら――目の前にあるものに見入る。 「見つけたか」 落ち着いた声音が背後で聞こえた。 いつの間にか後ろに立っていたロブスターも、それを覗き見た。 洞窟の側面。 そこに、探していた鉱石はあった。 大きさはちょうど猫の頭ほど。 白みがかった半透明をしたその石の奥底からは、弱い艶やかな光が放たれている。 この空間がまるでバハムートの身体の内部であることを忘れさせてしまうような、そんな色彩と、ルークの鼻先まで及ぶ光の彩色。 何か異様ささえ感じさせる色と風とを、鉱石は発しているように思われた。 「綺麗だ……」 七色の光が、ルークの瞳に囁きかけている。 鉱石を見つめたまま、瞬きもさせずにいるルークの片肩に手が置かれる。 「"惑う石"か、"魔道石"か。 古(いにしえ)の時代から、鉱石には不思議な力があると聞く。 猫を惹きつけるようなこうした石は、不用意に触れると、身を滅ぼされかねない」 頭の上から聞こえてきた声に、ルークはハッとした。 いつの間にか虚ろだった目をゴシゴシとこすると、自分の目の前で輝く、様々な色合いを放つ鉱石がとても気味悪く思えた。 ルークは振り返り、ロブスターの方を見た。 「これを、打ち砕いて壊せば、バハムートの奇行を止めさせられるかもしれん」 黒猫は腰の刀を手元に引き寄せると、鯉口を切った。 鞘から少し抜き出された刀の刃は、流水を思わせる冷たい光を放っている。 ロブスターは完全に刀を鞘から抜き出すと、勢いよく、鉱石に斬り込んだ。 滑(なめ)らかに舞った刀は、キーンと甲高い澄んだ音を立てた。 「やった!?」 その瞬間、ルークは見事な刀裁きに、きっと鉱石は壊れてしまったものだと思った。 けれど、鉱石は依然変わらずに――いや、先ほどよりも激しく目映い光を放ち、目の前に存在していた。 「表面を傷つけても変わらないらしい」 刀によって大きく抉(えぐ)れた鉱石の傷を遠目に見やりながら、ロブスターは刀を鞘に収めてしまった。 ルークは顎に手をやり思案の表情をする黒猫を見上げながら、どうにかする方法は無いかと、考えを巡らせた。 先ほど刀で抉られ落ちた鉱石の破片は、足もとにぱらぱらと転がっている。 それらは七色の光を失い、半透明の小石になっていた。 道ばたに落ちている小石のようで、その半透明の色の奥に、何かを含んでいるようにも思われる。 「鉱石は、もともとはこんな、ここに落ちている小石みたいだったのかな」 ルークがぼそりと呟くと、ロブスターの視線が足もとに向けられるのを感じた。 「宿り主を得た時に、初めてその力を発揮する……。 鉱石が鉱石としてある時は、その力は何物にも及ばない、ということか」 少し理解しかねた顔をしつつも、ルークは思わず、黒猫の言葉に頷いていた。 「鉱石とて、この大きな生き物を操作するにはある程度の大きさが必要に違いない。 全てを壊さなくとも、バハムートを操れぬ大きさまでにそぎ落としてしまえば」 半白色に変わった鉱石の欠片を見、黒猫は何事かに気づいたようだった。 ルークは、雄弁に語るロブスターの言葉から、もやもやとしながらも、解決策が見つかったことを読みとった。 「それで、どうすればいいの」 「七色の光が収まるまで、鉱石を打ち砕く。 ここへ忍び込む時に考えた策をするまでだ」 黒猫が刀身の長い"紫竜刀"で鉱石を砕く姿を見ていて、ルークは思い立ったように言った。 「ロブスター、これ使って」 腰にあった大きめのナイフを、黒猫に差し出した。 「……助かる」 ロブスターは紫竜刀を収め、ルークのナイフを受け取った。 薄闇にキーンキーンと金属音のような高い音が響く。 ルークは蒼爪、ロブスターはナイフで鉱石に傷をつけていった。 七色の輝きは、しばらくの間光を激しくさせはしたが――次第にその身を抉りとられるごとに光を弱めていき――ついにはルークの掌(てのひら)ほどの大きさになった。 ロブスターがもう一振りを鉱石に浴びせたその時、急に足もとが大きく揺れ始めた。 「な、なんだっ」 次第に揺れ具合が酷くなり、ルークは立っている事ができなくなった。 蹌踉(よろ)めいた身体を慌てて壁に預け、2匹は辺りを見回す。 「…!?」 急にロブスターが進入口、バハムートの口のある方へ振り向いた。 ルークが何かを聞く前に、 「ルーク、後は任せた……私は出口確保する」 と告げると、濃紫色のマントを翻し、黒猫は行ってしまった。 ルークはロブスターが行ってしまった後も、しばらく揺れが収まるのを待った。 けれど揺れは、さらに激しさを増していく。 波のように動く足場や壁に押されるうち、ルークはその場に留まっていることができなくなった。 そして揺れや動きが終わった頃には、元いた場所から、随分離れたところに追いやられていた。 「くそぉ、イテテテ」 転んで倒れていたルークは、身体をさすりながら起きあがると、七色の光を探した。 辺りをよくよく見回すと、向こうの方に柔い光が放たれた壁を見つけた。 ルークはそこへと、直ぐさま駆けだした。 遠くに見えていたが、思ったよりもすぐ鉱石のある場所へと辿り着けた。 ロブスターとふたりで壊したとはいえ、鉱石は先ほどよりも小さくなったように見える。 さっき起こった揺れのせいで、鉱石が壁の深くに入り込んでしまったのだ。 「あぁっ!? ほんの先っちょしか見えないっ」 半分以上が壁に埋もれてしまって、鉱石は尖(とが)った先が少し見えているだけだった。 位置は先ほどよりも下に移動し、そこから隙間風(すきまかぜ)と光が柔く流れ出ている。 揺れと振動によって変わったのは、鉱石の位置だけではなかった。 向こうの方にバハムートの口が見える――そこに、今にも閉ざされようとする口を、押し上げている黒猫の姿を見た。 「リスベルの魔法が切れかけてるんだっ。 早く、早くしなきゃ、早く鉱石を壊さなきゃ」 ルークは蒼爪を構えると、親指と猫差し指で作った輪ほどの大きさしか見えなくなってしまった鉱石を、打ち壊し始めた。 澄んだキーンという高い音が辺りに鳴り響く。 滑らかな――まるでスプーンでシャーベットを削り取る時に似た感触が、蒼爪からルークの右手に伝う。 「……」 ルークは黙々と作業を続けた。 鉱石の破片と共に、壁の肉片も足もとへ削ぎ落ちていく。 今や、キーンという鉱石と蒼爪のぶつかる音がする度に、壁全体が打ち震え始めていた。 「ルーク、耳を塞げ!」 遠くの方で叫ぶロブスターの声が聞こえ、ルークは慌てて両耳を頭に伏せた。 バハムートの奇声が旅服を揺らし、毛並みを撫でつけていくのをじっと静かに待ちながら――ルークは目の前の鉱石に視線を流した。 鉱石の中心が青い光を放っていた。 その色はまるで、いや、今蒼爪が発している青と同じ。 蒼爪が鉱石に引き寄せられているような気がして、ルークは右手に力を込めた。 「あれ、手が動かない……!?」 右手が自由に動かない。 突然のことに、ルークは黄色い目をパチパチと何度も瞬かせた。 もう一度右手を動かそうとしたが、やはりピクリとも動かない。 指一本、毛一本さえ、ルークの思ったようにならないのだ。 鉱石に引き寄せられている、と言うよりも、ルークの意志とは無関係に、蒼爪が鉱石近づこうとしている。 甲高い奇声が衣服や毛並みに触れていく感触がなくなり、ルークは伏せていた耳を立てた。 右手は依然、鉱石の方へと伸ばされている。 ルークは左手で右手を引っ込めようとしてみたが、ちっとも効果がなかった。 身体が前のめりになっていき、ルークは転びそうになった。 無茶な姿勢に堪りかね、座り込んでこれ以上鉱石に近づくまいとした。 けれど右手はその意志に反し、半ばルークを引きずるように、鉱石へと引き寄せられるていく。 「蒼爪がっ」 共鳴しているかのように、二つの光は交わろうとしていた。 蒼爪が鉱石に近づいて行くにつれて、ルークは自分の意識の中に、何か妙なものが入り込んでいるような気がした。 右手の先から、じわじわとルークの身体を何かが浸食している――そうこうしているうちに、蒼爪はもう鉱石に触れんとするところに達していた。 最早右手だけでなく、ルークの全身の毛先に至るまで、何かが及んでいた。 「あぁああぁっっ!」 怖くなったルークは、悲鳴を上げた。 感じたこともない感触、耳元や意識にぼそぼそと呪文のような言葉を囁きかけてくる何か。 蒼爪が鉱石に触れた途端、辺りは目映い白色の光に覆われた。 そしてその瞬間、ルークは自分の思考、感覚、感情などの全てが、小さな箱の中に押し込められてしまうような感じを味わった。 遠退く視界の中、ルークが最後に見たのは――自分の目の色と同じ、黄色を宿した鉱石の光だった。 バハムートはつんざくような鳴き声を上げた。 リスベルは迫ってくる光の柱を防ぐため、ローブに深く顔を埋めた。 身体をくねらせたバハムートは、両翼で海面打ち、海水を跳ね上げ、船の上に大量の海水を巻き上げる。 そして頭を垂れるように、巨体の前身を倒し始めた。 ロブスターはバハムートの口が大きく開かれていくのに気づいた。 頭上から手を離すと、その身を翻し、バハムートの体内へと再び入っていった。 「ルーク!」 足もとや辺りの様子に妙なものを感じ、ロブスターは辺りを見回した。 浅黒い体内全体が、ドクドクと脈打ちながら動いている。 気味の悪い生き物が縦横無尽に動き回っているようにも思える、不快な動き。 「ルーク・チャンス!」 ロブスターは再びルークの名を呼んだ。 ふと足の裏に流動する動きを感じ、ロブスターは足もとに視線を落とした。 その動きは、バハムートの口がある方へ、外部へと押し動いている。 顔を上げると、ロブスターは鼻にツンと覚えのある香りを感じた。 においの方へと目を向けると、そこに、倒れたルークの姿を見た。 「……ルーク」 駆け寄ると、ロブスターは焦げ茶色の額を撫でた。 気を失っているのか、ルークは目を瞑り反応しない。 ロブスターはしゃがみ込むと、ルークをそっと起こし、肩に担いだ。 「鉱石はどうなった……」 ぼそりと呟き、黒猫は後ろを振り返った。 ルークの右手から、微かに漂う甘い香りが漂っている。 それ以外、鉱石はおろか、その名残はどこにもなかった。 ロブスターは伸縮し始めた辺りに危険を感じ、その場を足早に立ち去った。 バハムートの口は、ちょうどフォンデュー号の甲板に向かって大きく急下降していた。 黒猫は、肩に担いだルークを落とさないように抱えなおした。 開閉する大口のタイミングを見計らうと、勢いよく、滑り落ちるようにして――ロブスターはバハムートの中から脱出した。 潮風に濃紫のマントをはためかせ、ロブスターはフォンデュー号の甲板に降り立った。 海水が飛んでこない場所まで移動すると、ロブスターは肩に担いでいたルークを、板の上に横たえさせた。 振り返ると、垂れ下げていた前身を、バハムートが奇声を発しながらもたげているところだった。 バハムートは空に大口を向け、甲高い声を上げている。 その大きな身体が、ズブズブと海中へと沈んでいく。 海の中へと沈み行くバハムートの身体から、光がより一層強くなった。 バハムートの纏っていた灰色の煙が――全てが消え去った。 リスベルのかけた魔法がついに解けたのだ。 辺りは激しい光に見回られ、目を瞑り損ねた数匹の猫達はその場に倒れた。 フォンデュー号は大きく波打った海面に揺れ、強い光はだんだん柔くなっていった。 バハムートの放っていた光が、雲から覗く太陽より小さくなった頃――ようやく猫達は閉じていた目を開けた。 リスベルはローブに埋めていた顔を上げ、海の方に目を向けた。 「バハムート、海底に戻っていったようですね」 「鉱石、ルークが壊したのか?」 リックは振り返り、甲板に座り込むロブスターを見た。 「さぁ、私にはわからん」 海を見つめていたリスベルは、仰向けに倒れ、動かないルークの方へと近づいた。 その側でしゃがみ込むと、リスベルは閉じたルークの目を指でこじ開けた。 「おいおい、そんなことしていいのかよ」 横からリックが「やめてやれよ」と口を挟むのが聞こえていないのか、リスベルは神妙な顔つきでルークの身体全身を見てまわった。 最後に蒼爪に目を留めると、 「この蒼爪が、引き合わせてしまった」 リスベルは何か意味深な言葉を発し、それっきり口を噤んでしまった。 「何なんだ、ルークどうかしちまったのか?」 リックはロブスターの方を向いたが、そちらも沈黙したままだった。 まるで何事もなかったかのように、海は穏やかに佇んでいた。 弱い波がうねり、反射した日の光はてらてらと船の側面を照らしている。 フォンデュー号の壊れた木片や破片は風に揺れ――甲板は、内に閉じこもっていた猫達の足音と共に、ギィギィと微かな音を立てていた。 |
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