大船フォンデュー号を襲う魔物、果たしてルーク達はどうするのか…・

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*第七話・大船フォンデュー号3*





 薄灰色の煙に巻かれ現れた巨大な姿。
 リスベルの魔法によって、光を放つその身体は厚い煙に覆われていた。
 そのため、バハムートの全貌がはっきりとはわからない。
 口のようなところから海水が噴き出され、甲板の上の猫たちに降りかかる。

「な、なんて大きさ」
 飛んでくる水しぶきに目をしかめながら、4匹はその姿に呆然とする。
 海面上に突き出た、煙に巻かれたバハムートの頭にルーク達は言葉を失った。
 その頭の大きさは、言うまでもなく、猫の頭とは比べものにならないほど。
 こちらに倒れてきたならば、船は簡単に破壊されてしまうだろう。
「船底を見てください!」
 眉間にしわを寄せたリスベルの指摘で、ルークは船底を見る。
 ゆらゆらと蠢くものが、船底全体を包むように覆っている。
 バハムートの身体全体の大きさは、船を優に超えているのだ。
「魚には見えないよ」
 思わずルークはそう口にした。
 身体全体に比べて薄く、扁平(へんぺい)な形姿。
 鳥の両翼のように動く、大きく広がった胸びれ。
 バハムートの姿は、まるで海の中に棲む鳥のようだ。

「すっげぇでけぇぞっ」
「だが我々がどうにかせねばならん」
 ロブスターの言い放った言葉に、リックは覚悟を決めたような顔をした。

 突如、バハムートが甲高い、耳をつんざくような声を出し始めた。
 ルークはその声に、目が飛び出るかというくらいの衝撃を感じ、耳を塞ぐ。
 猫たちの全身の毛が逆立った。
 甲板に散らばったガラスには小さなヒビが入り、船全体は縮み上がるように震える。

 ルークはその最中(さなか)、海から無数の何かが浮かび上がってくるのを見た。
「何か来るよ」
「……え? 何だって?」
 リックが耳を塞いだまま、こちらに首を傾ぐ。
 ルークは大きく口を動かしてそれを知らせた。
「な・に・か・が・く・る・よ!」
 リスベルは直ぐさまそれを察し、呪文を唱え始めた。
 リックは「何だって!?」と海面の様子を伺って、もうほとんどそれとわかりそうなほどに浮かび上がってきた魔物の群れを認めると、
「巨大エイだけでいっぱいいっぱいだっつーのに」
 愚痴りながらも、リックは右腕で両耳を頭に押しつけて、あいた片手でポケットのあちこちを触りながら、どこからか大きなあめ玉2つを取り出した。
 そして念入りに自分の両耳の穴をあめ玉で塞いだ。
 ルークはそんなリックを横目で見やりつつ、自分も出来る限り耳を伏せ、つんざく声を聞かないようにし、蒼爪を構えた。

 先ほど船を襲った鋭い口を持つ魚たち、鋭利なハサミを持つ海洋生物――
 激しく船を打ち付けた波と共に、それら魔物は船上に現れた。
 当たりはたちまち騒がしくなった。

「おぉおぉ、何だかやべぇぞ」
 リックはつがえようとしていた矢を背中の矢筒にしまい、代わりに大きなナイフを取り出した。
 リスベルはスーッと息を吸い込むと、「フクウェン」と唱えた――甲板上の数匹の魔物と、今まさに船に乗り込もうとした魔物たちを荒々しい風が再び海へと跳ね飛ばす。

 奇怪な海洋生物は、ルークの身にも迫る。
「うわっ」
 懸命に右手の蒼爪で、ルークは自分の頭ほどの大きさをしたハサミと打ち合う。
「キキキキ……ガクガクガクガク」
 気味の悪い音を立て、口から泡を吐くカニの魔物は、苔むした節をがさごそと動かして、ルークの背後に回った。
 
 ルークはカニに注意を払いつつ、海から飛んできた鉛色に輝く魚を蒼爪で切り裂いた。
 そして慌てて再びカニに視線を流した時、鋭利なハサミがルークめがけて振り上げられているところだった。
 ルークはハッと身を翻すと、素早く屈み込み、カニの振り上げられたハサミとその身体の接合部分を蒼爪で切り付けた。
「キキ…キキキ」
 カニのハサミが、音を立てて足もとに転がった。
 けれどハサミはうまく断ち切られてはいなかったようで、紐のような白い身が、カニの身体とハサミとを繋いでいる。
 ルークは足もとに視線を落としていた、そのせいで――カニがもう一方の残されたハサミを振り上げている事に気づいていなかった。

「グシュグシュグシュ」

 カニが無惨に、泡を吹きだして倒れた。
「ルーク、気を抜くな」
 ロブスターが助けてくれたのだった。
「う、うん」
 ルークは倒れ死んだカニに少し表情を強ばらせつつも、何十本もの足を持つタコのような魔物に目を移し、即座に戦うことを続けた。



「レイノゥス(貫く氷)!」
 リスベルが唱えた魔法で、甲板にいた、最後の数匹が湯気を出しながら消え去った。
 ルーク達4匹は、警戒した顔つきで辺りを見回した。
 ――もう、奇怪な海洋生物の魔物は、出てこないのだろうか。
「襲撃はおさまったのかな」
「いやまだわからないぜルーク、またバハムートが変な声出しやがったらきっと出てくるぜ」
 リックは頬と首のあたりを怪我していた。
 そこから血が流れ伝って、服の襟(えり)を汚している。

「バハムートがまた仕掛けてくるよ」
 ルークは海中に揺れる黒い影が海面に近づいてくるのを見た。
 猫たちは顔を険しくさせた。


 ドドーン ドドドドドーン

 船が大きく揺れる。
 あまりに大きく揺れ、船体は危なく揺れる。
「これ以上揺れ続ければ、船体がバラバラになるな」
 こんな時でもロブスターは冷静な面持ちでいる。
 ルークはそれに、不思議な安堵感を感じた。
 他の猫たちもそうだったのか、死ぬかも知れない張りつめた緊張感の中、落ち着いた様子で揺れる船にしがみついていた。

「そろそろ、決着をつけなくてはなりませんね」
 隣にいたリスベルが、ルークに視線を投げかけた。
 真剣な顔で、ルークは何も言わずただ頷いた。

 ドドドーン!!!

 船は依然、激しく揺れ続けていた。
 リスベルはそんな中、ふらつきつつも呪文を唱えた。
「ピカヴァ!」
 空が一瞬暗くなり、稲妻が海に消えた。

 ……

 海は穏やかに静まった。
 船揺れがなくなる。
 船と共に大きく打っていた波も収まっていく。
「やったか……?」
 リックがそう呟き、ルークが気を緩めようとした時だった。

 ドドドドドドドドドドーーーン

 今までにない激しい音と共に、船体が震えがり大揺れした。
 リックの耳からあめ玉が一つ転げ落ちる。
「わ、わぁあぁあぁ!」
 船がものすごい角度に傾き、ルーク達は皆、甲板の端に集められる。

 ドドドドドドドドドドーーーン

「い、いやぁあぁあぁあ!?」
 絶叫しながら、今度は反対側が急傾斜する。
 猫たちはその後ろ向きに甲板上を滑る。

 ドドドドドドドドドドーーーン

 更にまた、反対側へ船は傾く。
 船のマストが嫌な音を立て、床や柱には細い亀裂が見え始めた。
「床の水は、浸水でしょうか」
 船に打ち付ける波のせいで水浸しなのか、浸水して水浸しなのか、船はわけがわからない状態になっていた。
 さすがにもう落ち着いていられず、リスベルも動揺して当たりをキョロキョロしている。
「も、もう俺……限界」
 リックは顔を青くして白目を向いた。
 しかし揺れは容赦なく続き――

 ドドドドドドドドドドーーーン

「っっ!!」
 ルーク達は甲板のあちこちにぶつけられた。
 揺れが少し収まった時、ふとそれに気づいた。
「あれ……リックは、リックがいない!?」
 ルークは叫んだ。
 柱にしがみついたリスベルが、ローブの奥底に埋もれた顔からこちらを見る。
「どうしましょう、ルーク」
 その時だった。
 ロブスターがピンと立てた耳を一方向に向け、再びグラグラと揺れの予兆を示し始めた甲板上を小走りに走りだした。
 その姿は、船尾の方、大きく抉(えぐ)れた船の縁へと向かっている。
「ロブスターっ、わああっ!?」

 ドドドドドドドドドドーーーン

 ルークとリスベルは、ロブスターのいる方へと甲板上を転がった。
 危うく、縁のないところから海に投げ出されそうになったルークは、間一髪、足もとに投げ出されてあった湿ったロープを掴んだ。
 リスベルは肩を強打したようで、痛そうに呻いている。
 船から海の方へと乗り出した格好のロブスターが、やや声を張り上げて言った。
「いたぞ、リック・ゴードンはあそこだ!」

 今の体制に安心はできなかったが、ルークはロープを腕に巻きつけ、リックを確認しようと海の方へ少し身を乗り出した。
「リック!?」
 フォンデュー号の船尾に設置された、傾いた小型のボートの中にリックはいた。
 小型ボートはクレーンのようなものと幾本ものロープで吊るされていて、船が揺れるたび、風が吹くたびギィギィと音を立てて揺れる。
 なぜかボートは後方片側に大きく傾いており、その中で気を失ったリックが、今にも海の中に落ちてしまいそうな状態だ。

「リックー! 大丈夫ですかっ!」
 リスベルその叫び声に、
「う、ぅうぅぅ」
 リックは目を開け、意識を取り戻した。

「あぁ良かった……生きてましたね、リック」
 ローブのフードを後ろへやりながら、リスベルは微笑んだ。
 ルークも少し安堵して、ロープをぐるぐると巻いている方の手で耳の後ろを掻いた。
 途端、小型ボードが更に大きく傾いて、中にいたリックは「ぎゃあー」と悲鳴を上げた。
「助けてくれー!」
 たまたま引っかかったロープに足を絡ませてはいるが、半分ボートから身体を投げ出され、リックの表情は強張っている。
 ルークは耳の後ろを掻いた手を下ろし、
「リック! そのまま、動いちゃだめだよ!」
 と叫んだ、と同時ボードの端が勢いよく元の位置へと降りてきて、リックは鼻からボート底につんのめった。

「……」
 ロブスターが振り返り、ルークの腕を見下ろす。
 そしてその腕に巻きついたロープが続く先を目で追って、それが小型ボートを支えているロープの一部であるところに行き着いた。
 時を同じくして、ルークもロープが小型ボートの端に繋がっていることに気づく――思わず苦笑いした。
 ふと腕に触れる感触がし、見るとリスベルがルークの腕を掴んで上下させていた。
「リックっ、そのボートが傾いているのは、ルークの腕に巻きついているロープのせいです!」

「動かすなあ!!」
 半ば悲鳴のようにリックは絶叫し、リスベルは上にしておくべきか下にしておくべきか、ルークの腕を持て余していた。
「どうしましょう」
 ばつが悪そうにリスベルがこちらを見る。
 ルークは腕を今の位置から動かさず、ボートの中になんとか入り込んでいるリック見てほっと胸を、ロープを巻きつけてない手で撫で下ろした。

 また船が揺れ始めた。
「そのロープ、ゆっくり私の左腕に巻きつけてくれ」
 ロブスターが強い口調でそう言った。
 リスベルが、ルークの腕からロブスターの腕へと慎重にロープを巻き移した。

 ドドドドドドドドドドーーーン

「わ、わわわっ」
 船が再び大揺れする。
 また同じ方向に大きく傾き、船の船首が迫り上がった。
 船尾は、ルークたちは、グンと海に近づいた。
 船は横転していないのが不思議なくらいで、いつ海に沈んでもおかしくない。
 一匹でも動いたら、そのまま今のバランスを崩して沈みかねない気がして――ルークは呼吸をするのも怖くなった。
 リスベルは目を閉じて、何やらぶつぶつと唱えている。

「お、俺……このままだと落ちちまうよ」
 リックは足を曲げ、ボートの端に爪を立てて、海に落ちまいと頑張っている。
 そんな猫たちに更なる追い打ちを掛けるように、

 ドドドドドドドドドドーーーン

 船はまた大きく、同じ方向に傾いた。
「わ、わぁあぁ」
 ルークにリスベル、ロブスターも、機転で何かにしがみついたが、宙吊り状態になった。
 船は先ほどより海に近づきはしたが、大きく揺れはしなかった。
 そのお陰で、猫たちは爪を立て、持ち前の腕力と腹筋背筋とで自分の身体を船の上へと戻すことができた。

 リスベルは先ほどから、ずっとぶつぶつ言い続けている。
 ぶつぶつ言い、宙吊りのままのリスベルをロブスターが引き上げた。
 船上に引き上げられたリスベルが目を開けたのと同時、大船フォンデュー号まるで宙を舞うような動きをして――普通の船がそうであるように、海の上に浮かんだ。
「何とか成功です。
フォンデュー号全体に、沈まない魔法をかけました。
もっと早く気づけば良かったのですが」
 額の汗を拭って、リスベルは少し笑んだ。
 魔法を使いすぎたせいか、疲労したリスベルの笑顔は痛々しかった。

 その時、ボートの中になんとか乗り込み直せたリックの声がした。
「おいおいおい、また来たぞおぃ」
 海の奥底から、海面へ向かって来る姿があった。
「バハムート」
 ロブスターの低い呟きが、ルークの耳に嫌な響きを残した。

 バハムートは船の下を旋回し、様子を窺っているようだった。
 だが今にもこちらへ飛び出してきそうなほどのところに、その姿は見える。

「リック、今のうちに船へ!」
 リスベルがそう叫び、ルークはそれほど遠くないところにあった、小型ボートを支えるロープの一部を船の方へと手繰(たぐ)った。
 手繰り寄せながら見上げると、固定するロープは上方で一括りされていた。
 小型ボートはクレーンでも固定されていたのだが、どこか故障でもしているのか、簡単に船の方へ寄せることができた。
 ロブスターはなるべく小型ボートが傾かないように、左腕に巻かれたロープを調節し、
「こちらへ飛び移れ」
 と言った。

 船に飛び移ろうと、リックが体勢をとった時だった。
 小型ボートの下に灰色の煙に巻かれたバハムートの頭が現れた。
 その頭によって、小型ボートが上へと迫り上げられる。
 今やボートは、ルーク達が見上げなければいけない位置にあった。
 事態に驚いたリックは飛び上がり、船の方へ大きくジャンプし飛び上がったが、バハムートの起こした波が船と小型ボートとの間を広げていた。
 後一歩のところで、リックは船に乗り損なう。
「リック!」
 ルークが無意識に差し出した手を、リックが掴むことはなかった。
 まるでスローモーションで見ているかのように、リックが目の前から海に向かって落ちていく。
「あぁ」
 ルークは船から乗り出した。

「何とか、掴まってるぜ」
 船の側面に備え付けられた器具を足場にして、リックは船にしがみついていた。
「しぶといやつだ」
 ロブスターの呟きに、リックはニヤリと笑みを浮かべた。

 それでも、事態は良い方向へ進んではいなかった。
「俺、もう手が痺(しび)れちまったよ」
 リックは今にも手を放しかねなかった。
「私の手を掴んでください!」
 リスベルが手をあらん限りに伸ばして近づくが、
「……届かねーよ」
 とリックは醒めた様子で言う。
 見かねてルークはボートのロープを一本、蒼爪で断ち切った。
 それを身体に結び、
「何言ってるんだ、リックは助かるんだ」
 ルークはそう言い、ロープの端をロブスターに預けると、ゆっくりと、船の側面の足場を確かめながらリックに近づいた。

 海に頭を沈めていたバハムートは、機会を窺い、海面へ上昇し始めていた。

「後少し…………届いたっ」
 ルークとリックの手が、ガッチリと結ばれた。
 2匹は微かに笑みを浮かべた、が、

 ドドドドドドドドドドーーーン

 再びの船を襲った大揺れで、ルーク、リック諸共、海面すれすれまで落とされてしまった。
 ルークを繋いだロープを持ったロブスターも、船の外に投げ出された。
 それでもロブスターは片手で己の身を支え、ルークに渡されたロープをしっかり握りしめ――口を使ってロープを手繰り寄せ、二匹を必死に引き上げようとしている。
「ルーク! リック!」
 リスベルの悲鳴にも似た呼び声――海中に映るバハムートの顔が、リックのすぐ下に現れた。
 近づいた二匹に籠もった声で「早くしろ!」と叫んだロブスターは、ルークの横からリックの腕を掴もうとした。

 ドドドドドドドドドドーーーン

「あ、あぁあリック!」
 ルークは離しそうになったリックの手を、再度掴み直した。

「……」
 ロブスターは何とか船にしがみついていた。
 ロープの端を、船の上のリスベルに投げ、手繰(たぐ)るように示唆した。

 バハムートはブハッと海水を吹いた。
 霧状の海水があたりを舞った。
 海水がしみる目を何度も瞬かせていたルークは、海面に黒々とした大きな空洞が現れ出たのを見た。
 バハムートが大口を開けているのだ。
 灰色の煙と見えない巨体、大きな空洞がルークとリックに近づく。
 肩越しにその光景を目の当たりにしたルークは、恐怖のあまり身体が硬直してしまった。
「どうした」
 ルークが顔を引きつらせているのに気づき、リックは足もとを見下ろす。
「見るんじゃ、なかった」
 リックの頬から垂れた汗が、迫り来る大口の中へと消えていった。

 リスベルとロブスターの作業のおかげで、もうあと少しのところまで2匹は引き上げられていた。
 下を向いたまま固まっている2匹の猫に、ロブスターは言った。
「食われたくなかったら上れ!」
 ルークとリックは我に返った。
 もうすぐそこにバハムートの口がある。
 海が、海上に顔を押し出したバハムートのせいで、そこだけ浮上していた。
 そのため海面が上昇し、それに伴い、船は傾いていた。
 ロブスターは渾身(こんしん)の力を込め、2匹の子猫を船上へと押し上げた。

「わ、わぁあぁあ!?」

 2匹の子猫は甲板にいたリスベルの横に倒れた。
 でもすぐにルークは船の縁に体を寄せ「ロブスターっ!」と叫んだ。
 ロブスターはバハムートの暗い口の中へ落ちていくところだった。
 けれど瞬時に身を翻し、空中で方向転換した。
 危うく大きく暗い洞窟へ落ちてしまうところだったが、寸前のところでバハムートの口端にしがみついた。

 ルーク達はその光景に目を丸くした。
 ほっと少し安堵したが、まだ危険は回避されてはいない。
 バハムートはその大口を閉ざし始めたのだ。
「ロブスターっ!」

 バハムートの身体を覆う煙が、徐々にロブスターをも包んでいき――ついには姿が見えなくなった。
 ブクブクブクと海面を泡立たせながら、バハムートは海の中へ潜ってしまった。
 ルークの目には、海中へと続く、ロブスターが左腕に結んでいたロープだけが映っていた。

「あいつ、食われちまったのか……」
 リックが何とも言えない顔でこちらを向いた。
 ルークは言葉を返すことができなかった。


 大きな泡(あぶく)が海面をボコボコいわせていた。
 バハムートの気味の悪い鳴き声が、水中から聞こえてきた気がする。
 ロブスターは大丈夫なのだろうか。
 ルークはただ海を見つめていることしかできない自分がもどかしくなった。
 ロブスターに繋がっているピンと張ったままの小型ボートのロープは、海へと引き込まれ続けていた――そして、プツンと音がしたかと思うと、ボートがガシャンとだらしなく空中で傾き、切れたロープの端は海中へと消えてしまった。


 物悲しく、ロープの切れ端が風を受けてルークの視界で揺れていた。
 口端を噛みしめた。
 やりきれない気持ちが、ルークを襲っていた。
 目に映る光景が見ていられなくなって、ルークは強く目を閉じる。
 自分たちを助けたばっかりに、ロブスターはバハムートの大口の中へ消えてしまったのだ。

「っ……」
 その時、何かが聞こえた。
 誰かが自分を呼んでいるような気がして、ルークは目を見開いた。
 海面を見た――ルークの目に、黒い影が映る。
 バハムートのそれよりも小さい黒い影――影は、船にどんどんと近づいて――突如、海からひょこりと黒い頭が覗いた。
「ロブスター!」
 嘘かと思ったが、それはロブスターに違いなかった。
 ルークの声に反応して、以前と変わり映えのない黒猫は手を挙げた。
 ロブスターは落ち着いた様子で泳ぎながら船へ近づいた。
 そして船に辿り着くと、猫並みならぬ動きで、船の側面をよじ登り、リックの隣に現れた。
「なんだ、食われてなかったのか」
 言いつつもほっとした顔でリックが言った。
「食われたが、支障はなかった」
 冗談に聞こえない冗談をすると、ロブスターは濡れた身体をブルブルっと振るわせ、水気を飛ばした。


 波が落ち着いて、束の間の休息が訪れた。
 疲れてしまったのか、バハムートの攻撃がそれっきり止んだ。
「ヤツの放つ光とは別に、ヤツの身体に光るものがあった」
 海面を見下ろしながらそう言ったロブスターの言葉に、リスベルが反応した。
「どんな光でしたか」
「小さな光だ、無色透明の、まるで鉱石が放つような柔い光……。
煙のせいではっきりとは見えなかったが、間違いない」
 ロブスターの話を聞きながら、右腕を押さえ、リスベルは考え込んだ表情になった。

 次第にまた、波が高くなり始めた。
 大きな黒い不気味な影が、再び船に近づいてくる。
「バハムートはどうして俺たちを狙うんだろう」
 ルークはふと疑問に感じ、呟いた。
「……あのバハムートは、"ナヴァザ"です」
 リスベルは目を合わさずにそう言った。
「何、ナヴァザって?」
 ルークが聞いたことのない言葉だ。
 リスベルが口を開き、それに答えようとした時だった。
 突如、灰煙を纏ったバハムートが海面に接近してきた。
 何か眩しいものが、てらてらと船の側面を照らす。
 そして向こうの空に向かって一筋、マストの天辺にもう一筋。
「何だこの光」
 リックが急に現れた光にたじろぐ。
「魔法が、解け始めている……」
 そう言って、リスベルはもう一度魔法を使おうと構えた、が、よろよろとその場にへたり込んでしまった。
「リスベル!」
 駆け寄ったルークに、リスベルは悔しそうに自分の右手を見つめ言った。
「すみません、魔力を使いすぎてしまったみたいです」

「あぁーったくどうすりゃいいんだ。
魔法が解けたら手も足も、シッポも出せなくなっちまうぞ」
 リックはイライラと尾を振って、バハムートのぼやけた姿を睨めつけていた。
「まだ完全にヤツにかかった魔法は解けたわけじゃない、まだ望みはある。
リスベル、まだ戦う力は残っているだろう」
 肩越しにこちらを見てきたロブスターに、リスベルは深く頷いた。
 

「おっしゃ、やってやろうぜ!」
 リックが勇んで矢を放った。
 緑色の竜が宿った矢は、潮風を纏い、一層勢いを増し――煙の薄れた部分へと――ぼんやりと輝く、バハムートの皮膚に突き刺さった。
 ブフウと低い呻き声を出したバハムートは、仰向けに倒れだす。
「や、やったか!?」
 波風を立て海上に倒れたバハムートを見やって、リックはゴクリと喉を鳴らした。
 
 半身を海の上に投げ出し倒れたバハムートは、カタカタと気味の悪い音を立てていた。
 鳴き声というよりも、何か木製の玩具(おもちゃ)が立てるような音。
 何かを呼んでいるような、不気味な響きが当たりに鳴り響く。

 ルークは誰に問うともなく言った。
「死んでは、いないよね」
 煙を纏っていてもわかるほど、ピクピクと痙攣(けいれん)したようにバハムートの身体は動いていた。
 そしてバハムートの身体の痙攣と同じ間隔で、カタカタという音も続いている。
「何か不吉な予感を感じる」
 ロブスターがぼそりと言った。
「そんなもん、感じ取るなよ」
 落ち着かない様子のリックもまた、何かを察しているようだった。
 ルーク自身も、胸騒ぎがしていた。

 妙な静けさが、海上を占めていた。
「本来、バハムートは世界の底プレートの一部だ」
 何かを語りだすように、海を見つめたまま、ロブスターが口を開いた。
「ある世界紀においては、バハムートが世界の層を創造しているとされている。
記述によって、バハムート一匹で世界を創造しているとするものもあれば、複数が連なって作り出しているとするものもある。
……とすれば、我々が本来、目にする事がないはずの生き物が、この目の前に現れている事になる」
 ロブスターの言わんとすることが、その時のルークにはすぐに掴めた。
 ルークは思わず口にする。
「世界が、崩れ始めている前兆」
「もしくは、もう崩れているのかもしれないな」
 何気なくそう言ったリックの顔は、声音とは違い真面目だった。 


「……?」
 ふとルークは、足もとを見つめた。
「どうかしたのか」
 そう問うてきたリックも、しばらくして何かに気づく。
 船が――海面が――海全体が、微かに振動している。
 海の底から湧き起こるようなその振動は、次第に大きくなりつつあった。
「何か、見えます」
 リスベルが小さく言った。

 気のせいだろうか。
 ずっと向こう、遠くの方。
 あれは、水平線――水平線がこちらへ向かってきているように見える。
「いや、気のせいじゃない」

 リックが叫んだ。
「な、何かこっちにやって来るぞ」
「あれは、一体」
 ルークは、まだそれが何か分からなかった。
「あれは……"波"です」
 リスベルが抑揚のない声でそう言った。
 ルークは再度、よく目を凝らして海の向こうの方を見つめた。

 ――確かに波だ。
 でもそれは普通の波ではない。
 それが近づくに連れ、ルークは、それがもの凄く大きな波であることに気づいた。
 そして、その波が徐々に目に見える景色を覆って、全てを覆い尽くさんばかりの勢いでルーク達に向かってきている事を、じわじわと視覚から感じ取った。

「何て波なんだ、何で、何であんなに大きな波が」
 ルークは頭の中が真っ白になりそうだった。
 こちらへ迫ってくるあの波は、確実にこの大船フォンデュー号を転覆させるほどであることが目に見えてわかるのだ。
 船が転覆するだけじゃすまない。
 ルーク達は、この船に乗っている乗猫は、皆死んでしまう。
「狂った海の主は、大津波で全てを拭い去り、消し去ってしまう」
 まるで書物の一説を読んでいるかのようにリスベルが呟く。
 リックは目を吊り上げた。
「のんきにしてる場合かよ! あの波から俺たちが助かる方法はないのか!」
「何か、良い方法があれば……」
 リスベルは言葉を濁した。

「あぁあ、俺たちゃ死を待つだけなのか!?
俺は嫌だ、まだ食い残した物がいっぱいあるんだ! 世界中の可愛い娘に会ってもいないんだ!
冗談じゃない、俺は……俺は泳いででも逃げてやるっ!!」
 リックは叫ぶと、懐から萎(しお)れた浮き輪を出してきた。

「俺は、逃げるんだっ。
プップフフッ…プーップーッ」
 懸命に空気を入れるリックだが、浮き輪は一向に膨らまない。
「ねぇ、リック、ここ穴空いてるよ」
 ルークは浮き輪の端っこ、リックの息が吹き出てしまっている穴を指さした。
「なんてこったっ! ツイてねえ、何てツイてねえんだ!
もう、もうこうなったら自力で泳いでやる。
じゃな、ルーク、短いがこれでお別れだっ」
 リックはそう言うと、海に飛び込もうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよリック!」
 ルークは慌ててリックを引っ張り、飛込みを引き止めた。

「ん、んがぁー!?」
 急に止められ、リックは誤って、足もとに散乱していたロープの束に足を絡ませた。
 そして運の悪いことに、絡まったままバランスを崩し、
「わ、わぁあ」
 船から落ちてしまった、が、ロープに絡まっていたので、逆さ吊りで引っかかっていた。

「リック!」
 ルークは目を丸くした。
「ぁあ、俺ってつくづく、運のない可愛そうな猫だぜ……くは」
 リックは「可愛そうなリック・ゴードン」と呟くと、観念した顔でため息をついた。


 リックが船からの脱走に試み失敗していた間にも、大津波は容赦なくルーク達に向かってきていた。
 水平線のように並んだ逃れようのない波は、水飛沫と白い泡立ちの様子が見えるくらいの位置に近づいている。


 右腕をゴシゴシと撫でつけ、眉間にシワを寄せ、リスベルはぼそりぼそりと言う。
「どうしましょう。
私には、何も分かりません。
波を掻き消すことが出来れば……でも」
「良いアイデアだ」
 突然ロブスターがそう言った。
「えっ?」
 リスベルは不適な笑みを浮かべた黒猫を見つめる。
 落ち着き払った様子で、まるで簡単なことのように、黒猫ロブスターはその言葉を口にした。
「波を掻き消せばいい」

「波を掻き消すって……ロブスターさん?」
 きょとんとするリスベルを余所(よそ)に、ロブスターは悄気たルークに近づいていった。





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