
傷を負ったデクス・ロアの行方……
quartz
*第五話・ 続・赤眼の猫4*
| −見知らぬ土地− ティアマットを残し、ルーク達の元から去っていた吸血鬼。 デクス・ロアは腐敗食をした樹木や雑草、それ以外には何もない殺風景な場所に立っていた。 ――この地の空にはいつも夜の帳が覆っている。 顔に浮かべていた苦渋の色を拭い去り、デクス・ロアは歩き始めた。 不気味な植物が絡み合うようにして道の両脇、そして頭上に張り巡らされている。 歩むその道の土は、黄褐色をしている。 日が当たらないゆえ、妖力を持った植物でなければ育たない。 土もまた、妖気を漂わせているように思える。 デクス・ロアはこの道が好きではなかった。 気味の悪いしがらみを抜けた頃、正面に見慣れた大樹が見えてくる。 古き良き時代、ここに住む者たちは、猫と対等に世界にはびこっていた。 しかし今はどうだろうか。 世界を見守るという白い竜イージスは、吸血鬼を猫と同様に慈(いつく)しんではいない。 ――父は言っていた、あの方がいなくなってから、我々は悪の化身に成り代わったと。 「イリィージス」 小さくそう呟いて、デクス・ロアは大樹の側で左手を胸に当て、目を瞑り、大きく一歩踏み出した。 目の前の景色が揺ぐ。 それを見ていた大きな老鳥が、空に向かって低く鳴いた。 デクス・ロアの姿は、揺らいだ景色と共に消えていた。 デクス・ロアは揺らぐ透明のカーテンのようなものから抜け出た。 目の前には古い樹木が寄り添い、暗いツタが巻きつく大きな古城。 側眼から見ると余計、それはそこに住む者たちの威厳のようなものを湛(たた)えているように見える。 しかしこの城は遠くから見ることができない……側眼からでしか見られないのだ。 古城へ向かって、デクス・ロアは歩いた。 歩を進めるにしたがって、古城の前門、大きな鉄の門が近づいてきた。 −古城の前門− 鉄の門をくぐると――右端に陳列するは、何とも不気味な像ばかり。 苦しそうな顔、恐ろしい顔をした銅像が、その前を通り過ぎる吸血鬼を見つめているようである。 彼らの目がグルグルと動いているのを、デクス・ロアは構わずに歩く。 そして、キィィと微かな音を奏でて開いた城の大扉の中へと、デクス・ロア消えていった。 −古城の廊下− 薄暗いその廊下には、端々に灯る青い明かりの他、点々と、赤い小さな光が見えた。 近づくとそれだと分かる――それらはこの城に住む吸血鬼達の眼だ。 壁には、鮮やかな色で描かれた絵画がいくつも掛けられ――その他、冷たい床から突き出た、胸辺りまでの柱石の上には、長い尾と翼をもった彫刻や、古風な花瓶が置かれてあった。 廊下を歩みながらデクス・ロアは右手をそっと胸に当てた。 古い傷口がまた疼(うず)いてきたように感じる……腹部から古傷のあるところまで至る新たな傷は、すぐには治まらないだろうとデクス・ロアは感じていた。 吸血鬼の再生能力であっても、完全に癒えなかった深手。 あの猫――あの時ヤツが持っていた物と、同じもので傷つけられたのだから。 その時、デクス・ロアは急に痛みを覚えた。 傷口が開きそうな疼き――デクス・ロアは廊下の壁に倒れかかった。 自分の呼吸と共に、いつもは好んで目にするものが自分から溢れ出ているような錯覚に陥った。 けれども実際は、もうすでに赤く染まっている服に目立たないほどであって――傷口を押さえつけていたその手にも、乾いたところに転々と湿り気を与えていたほどだった。 「デクス・ロア」 耳に何か聞こえる。 聞き覚えのある声だ。 ――あぁ、私はこのままではいけない。 デクス・ロアは虚ろな目を瞬かせ、ゆっくりと、壁に沿って立ち上がった。 「"シュロア・フィール"」 デクス・ロアが目を合わせずもそう呼んだのは、艶やかな灰色の毛並みをした雌猫だった。 顔立ちが良く、優美さが伴う表情に仕草。 これらに一瞬……いや、何度見惚れてもいても、彼女が同族であるが故の美貌ではないように感じる。 しかしその両の目は、澄んだ赤い眼。 「どうしたの、その傷口は……」 駆け寄ってきた雌猫に、デクス・ロアは微笑した。 「ティアマットの食事に少し手を焼いた」 「それでティアマットはどちらに?」 その質問に、デクス・ロアは視線を反らせて、 「奴に遭った」 と返した。 「……ロブスターに会われたのですか」 「あぁ」 デクス・ロアの顔は女の様子に、少し不機嫌になる。 「ロブスターは元気でしたでしょうか」 「……」 「あぁ、私としたことが……」 女は口に手を当てると、恭(うやうや)しく頭を垂れた。 そうして、廊下の柱石の大きな花瓶に――きっと先ほどからそうしていたのだろう――乾いた赤い花を生け始めた。 傷が痛んでいるのも忘れて、デクス・ロアは女を見つめたままでいた。 女はそんなデクス・ロアは時折見ながら、花の茎や葉を落とす。 「私が今からお話することに、気を悪くなさらないで下さいますか」 その問いかけに、 「ああ」 と短くデクス・ロアは答えた。 女はチラリと、視線を投げかけて言った。 「貴方は、ロブスターのことを私が話し始めると、気を悪くされます」 「……」 「私はいけないことを言っているのでしょうか。 ロブスターの事を聞いては、いけないのでしょうか」 「シュロア・フィール、名を略す事は不謹慎だ。 吸血鬼としての決まり、それくらい弁(わきま)えてはどうだ」 デクス・ロアのその言葉に、 「ロブスター」 と女は一度、悪戯っぽく言った。 「シュロア・フィール、貴方は子供ではない、私の言うことに逆らうのか」 「いいえ、貴方様は吸血鬼の王ダリク・ロア様のご子息ですから。 けれど私を見つめる貴方の顔を見ていると、そうにも見えないのです」 そこで女は急に、クスリと笑った。 その顔を、デクス・ロアはじっと魅入る。 いっそう強く微笑んだ女の顔に、遅かれ気づき、デクス・ロアは思わず顔を背けた。 「貴方が好いてくださっている事を、私は存じ上げております」 女はそう言うと、それ以上は何も言わず、黙って、床に広げていた花を束ね始めた。 デクス・ロアは踵を返すと、再び歩き始めた。 しかし数歩歩いてすぐ、足を止めた。 「シュロア・フィール」 それに、女は動かしていた手を止める。 デクス・ロアは背を向けたまま、女に告げた。 「その口から、二度とヤツの名を言わないでもらいたい。 ……ヤツはお前など、何とも思ってはいないだから」 デクス・ロアはそう言い残すと――そこから去っていった。 残された女シュロア・フィールは、デクス・ロアが消えた方向を見つめながら、クスリと笑った。 「どうして吸血鬼は略名を使ってはいけないのかしら。 ……親しく聞こえるから? デクス・ロアはああ言うけど、私はロブスターを忘れられない。 ロブスターが何とも思ってないはずないもの」 女は花瓶の赤い花を見つめながら、声を潜めて呟いた。 「あの時のロブスター、貴方と同じ顔をしていたわ」 −古城・王の間− 大きなずっしりとした扉を、その両側に立っていた者たちが開ける。 足もとには鮮やかな色をした赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれていた。 壁には古き時代を思わせる掛け物があり――そこに入る者、誰もがその厳かな空気に緊張を強いられる。 けれども唯一、その場において、落ち着きこちらを見据える姿があった。 「おお、デクス・ロアではないか」 低い雄猫の声が、染み入るように響いて聞こえた。 デクス・ロアは奥へと進みながら、声のした方を向く。 薄暗い室内、ほのかに灯る明かりに照らされ――白銀いや銀に近い、灰色が混じり合った毛並みの吸血鬼がこちらを見ていた。 その吸血鬼の、恐ろしく真っ赤な鋭い眼は、デクス・ロアを優しく見つめている。 「我が息子、デクス・ロア」 赤黒い王座につく吸血鬼の王は、ゆっくりと立ち上がった。 王はデクス・ロアの正面に立ち、跪(ひざまず)かせ、誓いをさせた。 「年月を経てもなお変わらぬその姿、そして強き精神。 強さをも変わらず……我々を統う……アリディシア」 デクス・ロアは呟くようにそう言うと、会釈をし、ダリク・ロアの眼を見つめた。 その時だった。 「……っ」 デクス・ロアは後ろを振り返った。 何か気味の悪い気配が、全身の毛を逆立てる。 眼を細めたデクス・ロアは 「誰だ」 と緊張した面持ちで言った。 ヴゥゥウゥゥ 不気味な声のような呻きが、辺りから聞こえた。 ウゥゥウゥウゥゥゥ 入り口の扉のすぐ側で、何やらボソボソと嫌な音が伴って、呻き声が大きくなる。 それらは次第に、大きくなっていくようだ。 「かわいそうなお方なのだ。 今は実体を失い、ああして影として、物陰に棲む」 牙をむき出すデクス・ロアに、ダリク・ロアが落ち着いた声音でそう言った。 不気味な黒い影は、始め、扉の左側に置かれていた"松明(たいまつ)の灯り"の影のように現れた。 しかしその姿は、"松明の灯り"よりはるかに大きくあった。 揺らめく黒い影はさらに大きくなり――そして、遂(つい)には、その姿を浮き出すように――起き上がるようにして露わにさせた。 それは何か例えようもないざわめきを伴って、デクス・ロアの側まで近づいてきた。 ヴゥヴゥウゥゥゥ 「……」 デクス・ロアは近づいたその黒い影に動じず、じっとそれを睨んだ。 身体中の全てが、近づいてきたそれを拒んでいるのがひしひしと感じる。 黒い影から、不気味な呻きと共に、声が聞こえてきた。 「我ガ姿ヲ見ルモノ全テ 震エ上ガリ恐レオノノク……ダガ全ク動ジヌ 吸血鬼トイウ生キモノ。 ソレデアッテコソ 長キ歳月ヲ生キル事ガデキルノダ……。 我ガ姿ハ アラユル者達ノ 暗イ闇ガ集ッタ姿デアル」 その声はどこか寂しく、悲しみを誘った。 不思議とその声には、惹かれるものがあった。 しかしその外見を見れば、それさえも一掃され、猫であれば震えが止まらないだろう。 「デクス・ロア、この方こそ、我が心の支えであった方……黒竜だ」 王の言葉を耳にしながら、黒竜の姿を仰ぎ見る。 その姿は一定ではなく、決して定まりを持たないように思えた。 デクス・ロアは言った。 「黒竜は、500年ほど前にこの世から消えたのではなかったのか」 その声に、不気味な暗黒の塊は答える。 「我ハ死ンデハイナカッタ。 イージス ソシテ魔力ヲ持ツ猫ドモニヨッテ 封印サレテイタノダ。 ダガソレダケデハ 我ガチカラヲ 消シ去ル事ナドデキナカッタ。 ソレニ我ノ存在モ。 ……封印ハ 我ノチカラヲ蓄エタ。 封印サレテイルノモ 悪クハナカッタナ」 笑い声と思わしき、妙な声音が生暖かい風を伴って聞こえてきた。 デクス・ロアは無言でじっと、黒い竜を見つめた。 「黒竜よ、この者こそ我が息子、デクス・ロアだ。 今や我が力に及ぶほどの力を持つ」 噴煙を上げ始めた黒い姿に、王は称賛の声でそう伝えた。 「ダリクノ息子カ。 確カニ 強イチカラヲ秘メテイル。 イズレ 吸血鬼ヲ統ウ者トナッテモオカシクハナイ……ダガ」 黒い竜は声を潜め、続きを発した。 「傷ヲ負ッテイルヨウダ」 その瞬間、静かに風を戦(そよ)がせ始めた黒い靄の奥に、2つの目が見えた。 それは始め、闇に唯一光り輝く黄金の目のようであった――が、次第にその周囲に転々と、瞬(まばた)きするものが増えていく。 気づくと、たまらなくなるような数の目が――様々な色や方向、形状で――デクス・ロアを見つめていた。 急に、締めつけられるようなものを感じて、デクス・ロアはその場に倒れこんだ。 今更ながら、深手を負っていたことを思い出したように傷が疼(うず)く。 塞ぎ、もう開きはせず大人しく塞がった皮膚。 その下で、次第に古傷同様慣れていくはずの痛みが、新たな傷を負った時の鮮明さを与えている。 ――しかし妙な痛みだ。 意識がすぅっと消え入りそうになりながらも、デクス・ロアは目前の不気味な目の数々が、嘲笑(あざわら)うように形を成したのに気がついた。 「この痛み、もしや」 そう呟いたデクス・ロアに見下げるような視線を見せて、黒い姿はくぐもった声を発した。 「ソノ傷ハ深イ。 時ヲ経テ 肉ヲ腐ラセ 骨ヲ溶カシ……オ前ハ必ズ死ヌダロウ。 吸血鬼デアッテ オ前ハ 不死デハナイノダ」 黒い姿がうっすらと嫌な笑みを浮かべたように思えた。 「何でも、お見通しのようだな」 デクス・ロアも薄々自分の身体に起きている腐敗を察していた。 時折、妙な痺れがデクス・ロアの身体を支配していたこと。 痛みこそ、もう慣れてしまったのか感じていなかったが……自分のものであってそうでない感覚が、傷口から全身へ肥大していることに気づいていた。 ――すでに傷は、内面から危害を加えている。 「私は、先ほど我が身を傷つけた物らしき物に再び出会った。 そして再度それによって我が身は深手を負った。 古傷はさらに侵食を深めた……死も早まった事だろう」 自分で言い放ちながらも、他猫ごとのように思われた。 側に立つ吸血鬼の王は、何とも言い難い眼差しでデクス・ロアを見つめていた。 王を前にして有るまじき行為ではあったが、デクス・ロアはその場に座り込んだ。 ここへ来て、無性に苦しくなってきたのだ。 デクス・ロアは胸をギュッと掴み……目を閉じた。 「デクス・ロア、お前はそのような苦しみを今まで出さずにいたのか。 なんと言うことだ……我が眼でさえ、そのような事態に気づきもしなかった」 王であり父であるダリク・ロアの声が、あらゆる含みをこめてデクス・ロアの耳に響いた。 デクス・ロアはゆっくりと眼を見開くと、 「今や、この苦しみさえもいとおしく感じてきた」 と震える声で言い、微笑した。 けれども次の瞬間には、その赤い眼を一層赤々とさせ、黒い姿に言い放った。 「黒竜。 私は、この部屋に入った時に感じた。 我が身を傷つけた物でさえ、私の体を蝕(むしば)む力は知れていたのだ。 ……私に何をした。 お前に遭ったその瞬間から、私の力は抜け、胸が、苦しい……」 黒い姿は、2つの光を奥底に潜めた。 デクス・ロアからそれら視線が逸らされた――途端、胸の痛みが治まっていく。 デクス・ロアは座り込んだまま、見上げるようにして黒い姿を睨めつけた。 視線は交わされなかった。 そのままの状態で、黒い姿は言葉を発し始めた。 「ソノ傷ハ 蒼イ爪ヲ持ツ 猫カラ受ケタ傷デアロウ。 オ前ハ ヤツトノ戦イデ 傷ヲ負ッタ。 ……何故ソノ事ヲ知リ オ前ノ傷ガ痛ンダカ 教エテヤロウ」 闇の奥底から一瞬、黄色い光がデクス・ロアを見た。 デクス・ロアの胸に痛みが走る。 ニヤリと笑ったかのような姿を見せ――低いがよく響く声が、黒い姿から発せられた。 「教エテヤロウ。 オ前ヲ傷ツケタ"蒼爪ヲ持ツ者"ヲ作ッタ者 ソレガ我デアルカラ。 ダリクノ息子……我ノチカラデアレバ 今ノオ前ナド 一捻(ヒトヒネ)リデアロウ」 「お前がアイツを作っただと!?」 「アァ……ソウダ。 我ハアル時 三匹ノ魔物ヲ作ッタ。 猫デアッテ ソウデナイ者達。 並外レタ能力ヲ持ツ者バカリ……戦ウ事ニ長ケタ者」 「何の為に」 デクス・ロアの言葉に、黒い姿はまた笑ったかのような表情を見せた。 「……デクス・ロア。 オ前ハ"蒼爪ノ猫"ニ負ケテ口惜シクハナイノカ?」 黒い姿はそう言い、その姿の奥からデクス・ロアを見つめた。 「……」 デクス・ロアはその眼差しに、息が出来ないくらいの苦しさを覚えた。 ヴウゥゥウゥゥゥ 「どうなのだ、デクス・ロア」 ダリク・ロアが悲痛の目でこちらを見つめる。 そして沈黙する黒い姿に潜む、黄色く輝く冷たい目もまた一層開かれ……デクス・ロアを見つめている。 今のデクス・ロアにはどちらの眼差しも痛みを伴うものに思えた。 ――答えは当に決めていた。 その意志に一瞬不思議な疑問を感じながらも、当然のことのように口からその言葉が出る。 「口惜しくないわけがない」 デクス・ロアは胸をギュッと掴んでいた自分の左手を放すと、重々しく感じる体を起こし、立ち上がった。 「黒竜、お前なら知っているだろう……ヤツがいる場所を」 デクス・ロアがそう言うと、黄色い光が、まるで目蓋が覆うようにして潜まった。 そして、低い、唸るような声が聞こえてくる。 「蒼爪ノ猫……ヤツハ新月 北ノドライフィールド近クニ現レル」 「そうか」 そう答えるなり、デクス・ロアは王の間を出ていこうとした。 「ヤツヲ追ウツモリカ」 黒い竜の問いかけにデクス・ロアは扉の前で立ち止まった。 「もちろんだ。 新月など待ってはいられん……この傷も、時を待ってはくれぬ」 「死ニ急グ事ハナイダロウ」 黒い姿のその言葉に、デクス・ロアは振り返った。 「何だと」 怒りを露わにさせ、おぞましい表情で黒い姿を睨みつける。 「ヤツニ勝テルト思ッテイルノカ」 黒い姿の言葉を紡ぐようにして、ダリク・ロアが言い放つ。 「お前の気持ちはよく分かる。 だがこの黒竜の言う事は正しいだろう。 いくらお前が強いであろうと、力を増していようとも……今のお前では、蒼爪の猫には勝てない」 「……」 デクス・ロアはそれらの言葉に、顔を沈め、両の手をギュッと握りしめた。 「デクス・ロア……オ前ニチカラヲ与エテヤロウ。 蒼爪ノ猫ニ 勝(マサル)ヨウナチカラヲ」 その言葉に、デクス・ロアは顔を上げた。 「何を言う。 蒼爪の猫はお前が作った……それを殺そうとする私に手を貸すというのか」 言葉を更に紡ごうとしたのを、黒い姿が遮るように言った。 「ダカラドウダト言ウノダ」 「……」 デクス・ロアは眉を潜めた。 その様子を見つめながら、ダリク・ロアが口を開く。 「良い機会ではないか……このような事、2度とあるとは思えん。 偉大な黒竜がお前に力を与えて下さると言っておられる……デクス・ロア」 デクス・ロアはダリク・ロアを見つめた。 頭の中に様々な出来事が浮かぶ――思いを巡らすうち、口惜しい気持ちは抑えきれなくなっていった。 そうして、デクス・ロアは言った。 「黒竜。 私はヤツに負けたまま、死に消えるなどできん。 ヤツを倒すためなら……お前の出す条件は何でも受け入れる。 だから……私に力を貸せ」 「イイダロウ。 デハ "美シイ吸血鬼ガ生ケル赤イ花ヲ一輪"……ソレヲ条件トシヨウデハナイカ」 黒い姿がそう言うと、デクス・ロアは一瞬返事を躊躇(ためら)った。 けれども、 「……いいだろう」 と不適に笑むと、マントを翻(ひるがえ)し――王の間を後にした。 扉の開閉音の余韻が室内に響き――そしてなくなった。 室内に、静かな沈黙が訪れた。 「ダリクヨ……オ前ハドチラダト思ウ。 ヤハリ 手塩ニ掛ケタ息子カ」 「私としては、息子を手放すのは惜しい。 あのように出来た息子はなかなか作れぬのです。 ……しかし、このような事をしてよかったのですかな」 「ドチラモ条件ハ同ジ……失ウカ利益ヲ生ムカ」 「私の息子が勝った暁には、どうなされるおつもりですか」 ダリク・ロアは薄く笑んだ。 「オ前ノ息子ヲ 我ガ器ノ候補ニイレルマデ……全テガ上手ク進ミスギルノモ趣ガナイ」 「あなたはいつも読めないお考えをお持ちでいらっしゃる」 黒い姿は、底から響くような低い笑い声を発した。 −古城の廊下− 「……シュロア・フィール」 先ほどとは違う廊下で、女は赤い花を生けていた。 自分に近づいてくるデクス・ロアを、女は黙って見つめている。 デクス・ロアは女が手に抱えて持っていた花の束をしばらく見つめると、 「一輪、頂けるか」 と言って赤い花を一輪抜き取ろうとした――が、それはサッと差し出された手によって拒まれる。 花を手で覆い、女はいつもの魅惑的な眼で見つめてきた。 「デクス・ロア。 さっきから嫌な気持ちがするのは、気のせいかしら。 ……私、敏感だから分かるわ」 そう言った女の眼は、窓を介して入り込んだ月明かりによって、荒んだ光を灯していた。 毛並みもまた、澄んだ水面に落ちた月明かりのような色合いを見せていて――デクス・ロアは女から目が離せなくなっていた。 自分でも気づかぬうちに、自然と手を伸ばしていた。 そうして、自分の方に引き寄せた――けれど胸に女が抱えていた花が痞(つか)える――それでもさらに引き寄せようと手に力を込めた。 「花が、潰れてしまうわ」 女の一言に、デクス・ロアは我に返る。 「……すまない」 そう言って、視線を落とし、女の胸から赤い花を一輪抜き取った。 「仕返しややり返しなんて意味がない事……傷つけあう事も同じ」 去っていくデクス・ロアの後ろから、囁くような声が聞こえた。 「……」 少し立ち止まったデクス・ロアだったが、肩越しに女を振り返って、薄い笑みを浮かべた。 肩越しに、女の姿ははっきりと目に映らなかった。 けれどもデクス・ロアを思って、不安に満ちた顔をしていることだろう――あぁ、そうあって欲しい。 微かに斜めを向いていた足を正面へ向けると、再び王の間へ向かって、デクス・ロアは歩き始めた。 |
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