追憶の猫最終ページ。
quartz
*第四話・追憶の猫6*
ガシャン ガシャガシャ ロブスターは吹き飛び、崩れた家屋の中に消えた。 「……ぁぁ」 神官は口をポカンと開けて見ていた、が、ハッと我に返り、ロブスターの消えた家屋へと走る。 「だ、大丈夫か!」 神官はそう叫びながら、辺りの破片や板などをどけた。 「……ぅぅ」 ロブスターは崩れた大きな屋根の下敷きだった。 「あ、いた!」 神官はロブスターを見つけると、そこから出るのを手伝った。 「……くそっ」 ロブスターは肩に乗った小さな破片を払い、立ち上がった。 「大丈夫、なのか?」 神官が心配そうにそう聞くと、 「遠くへ逃げていろ、泥が舞うぞ。」 と言い残し、再びロブスターはティアマットに向かっていった。 「あ、あぁ」 神官は頷くと、慌てて遠くへと走った。 しばらく走ると、神官は様子が窺える少し小高い場所――崩れた家屋の屋根に登り、そこにあった傾いた煙突の後ろに隠れて、そっとロブスターの方を見た。 「頑張ってくれ」 「なめて悪かったな」 ロブスターはゆっくりとティアマットに近づいた。 「グルルルルルル……」 ティアマットもゆっくりとロブスターに近づき顔を寄せ、 「グアウ」 と大きな口を開け、鋭い牙を見せつけた。 「……」 ロブスターはそんなティアマットの前で、眼を閉じた。 ……ロブスターの胸で何かがキラリと輝いた。 裂かれた服から見えた左胸。 紫に輝く何かが見えたかと思うと――そこから、風のように淡い紫色の竜が現れた。 まるでロブスターから発される気のようにゴウゴウと、紫竜は猛風のような音を立てる。 紫竜はみるみるロブスターを取り巻いた。 「グルルルル」 ティアマットはそんな出来事をわけもわからぬ様子で見つめていたが、ずっとおとなし くいたわけではかった。 「グアァアアア」 そう鳴いたかと思うと、目を閉じたままのロブスターに弾のような速さで襲いかかった。 ……それがロブスターのすぐ側まで迫った時。 ロブスターを取り巻いていた紫色の竜が、パッとその姿を霧に変えた。 その霧はロブスターだけでなく、ティアマットも、そしてそれらを見ていた神官をも取り囲む。 辺りは紫を帯びた霧によって、全てが包まれた。 「キャルルルル……グルルルル」 ティアマットの鳴き声が、霧の中からけたたましく聞こえた。 それ以外は、何かの倒れる音や壊れる音、崩れる音のような大きな音だけが聞こえてくる。 その音がなぜか小さく聞こえるのは気のせいだろうか。 「……」 戦いを傍観していた神官は、音だけの世界に、心底震えていた。 しばらくした後、覆っていた霧はパッと薄れていった。 その不思議な現象に、神官はあの黒猫がただ者ではないことを遅くも感じる。 「……」 完全に霧が晴れた後、そこにあったのはロブスターの姿だけだった。 ティアマットの姿は、どこにも見当たらない。 肉片がどこかに転がっていてもおかしくはないはずなのだが、それらしき物は残されてはいない。 「??」 不思議に思いながらも、神官はそれ以上探すことは止めた。 そうして、傾いた煙突の後ろから出てくると、神官は確認するように辺りをキョロキョロと見回した……もう、襲ってくるものはなさそうだ。 それを確認すると、ロブスターの元へ、一目散に駆けていった。 「……」 ロブスターはそこにいた、一歩も動かずに。 「……ヤツを、倒したのか」 神官がそう言うと、ロブスターは急に神官の方を振り返り、 「サリアは、サリア・ベスはどこだ。」 と聞いた。 さっきまでの黒猫とは何か違う。 威厳のようなものさえあった黒猫が、急に一匹の猫へと変貌したかのように。 「サリア・ベス?」 神官はそう言うと、少し考え込んだ。 思い出す記憶に少し震えながらも、必死にその中からあの時の記憶を呼び起こす。 ……そうだ、キシュが何かを叫んでいた――森へ逃げようと――サリアを引っ張って。 そして再びロブスターを見た時には、 「森だ、サリアはキシュと森へと走っていった」 と答えた。 「そうか」 黒猫は囁くようにそう言うと、サッと神官の前から姿を消した。 ザザザアァァァ 雨音が強くなった気がした。 ……けれどそれは辺りが静かになったせいで、さっきから雨の強さ、雨音は変わっていない。 黒猫が消えた後になって、神官は、やっと全ての状況を把握する。 壊された街。 失った仲間。 そして、戻らない時間。 ザザザアアァァァ 変わっていないのは、降り続ける雨だけのような気がした。 −街外れの森− ロブスターは暗い、物静かな森へと入った。 ぬかるんだ暗い足もとに微かに残る、まだ新しい足跡を追いながら…… 森の奥へとどんどん進む。 そのうち、ロブスターは足を止めた。 「……」 正面に大きな樹木が見えた……誰かがいる。 「……」 ロブスターはゆっくりと、そこへと足を進めた。 樹の根元に、1匹の猫が倒れていた。 色が変色しているが、その服は神官服だろう。 すでに半分渇き、赤黒く服に染み付いている。 服には、乾いた血の上から鮮血が緩やかに流れていた。 傷口のあるところと思われる腹部を、その猫は手で押さえている。 けれども、その手には少しも力が入っていない。 ただ、載せているだけのよう……この猫には、もう押さえるほどの力がないのだ。 「……ぅぅ」 まだ生きているようだ。 苦しそうな呻き声は、消え入りそうであった。 ロブスターはその猫に近づき、言った。 「お前の名はキシュか?」 「ぅぅ……誰だ、なぜ私の、名前を」 キシュは口から血を吐いた。 それに少し目を細めつつ、 「サリアは、どこだ」 ロブスターがそう聞くと、キシュは少し顔を上げ、ロブスターの顔を見た。 焦点が合っていない。 きっと、目はもう見えていないのだろう。 けれども、神官という職業のせいか、 「お前は、吸血鬼じゃ、ないのか?」 不思議な気を醸し出すロブスターに、キシュは額のシワをさらに深く刻んだ。 「お前を襲ったりはしない、サリアはどこだ、教えろ」 思わずロブスターはキシュの体を少し揺すった。 「サリアは……灰色の、毛並み…吸、血鬼に……」 キシュはそれ以上何かを言おうとしたが、萎んでいくように口を閉ざしてしまった。 「灰色の毛並み? その吸血鬼が何だ」 ロブスターは再びキシュの体を揺する。 キシュは、ロブスターの方をゆっくりと向く。 ……正確には、ロブスターの声がする方を。 そして、光の無い目から、ポタポタと涙を流した。 そんなキシュを見て、ロブスターは無意識に頭を左右に振っていた。 涙を流しながら、キシュは目を閉じた。 それとは反対にロブスターは目を大きく見開く。 「どこだサリアは!! この森のどこかにいるのだろう!! 教えろ!! サリアはどこだ!! どこにいるんだ!!!」 ロブスターは大きくキシュを揺すった。 何も答えてはくれないキシュに気づき、 「……」 ロブスターは揺するのをやめた。 ……キシュは涙を流しながら、力尽きていた。 「……」 ロブスターは開けられたままのキシュの目を、そっと閉ざしてやった。 そして冷たいキシュの両手を胸に重ねてやった。 キシュの亡骸を見つめていたロブスターだったが、おもむろに立ち上がった。 辺りは静かだった。 激しかった雨はいつの間にか止み、滴り落ちる滴の音がどこからか聞こえる。 雲に覆われていた月は、その姿をはっきりと露わにした。 そしてその月の光が、何か、地上に埋もれた小さな輝きを照らした。 「……」 ロブスターは後ろを振り返った。 少し向こうの木の根元。 何かが月明かりにキラリキラリと輝いている。 ゆっくりと、ロブスターはそれに近づいていった。 屈み、ぬかるんだ土に埋もれる物を、ロブスターはすくうように手に取った。 それは十字架の首飾りだった。 小さな輝きを放つその十字架には、小さな文字が刻まれていた。 ――サリア・ベス―― 間違いなく、それはサリアの物だった。 「……」 ロブスターは落ちていた足もとへ、再び目を落とした。 そこだけ土が乱れている。 側の木には一つの爪跡…… ロブスターは、それを見たとき全てを悟った。 静寂した暗い森。 黒猫は辺りに日の光が差し込むまで、ずっとそのまま立ち尽くしていた。 光が辺りを照らす朝が訪れた。 けれども、森も街もそこに住む生き物たちも……皆、悲痛を引きずり、辺りは暗いままだった。 立ちすくんだままの黒猫の青い目から、一筋、何かが滴り落ちた。 |
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