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*第四話・追憶の猫4*






 その時の流れは、ロブスターの気持ちを悪戯に揺るがした。
 ここにずっといてしまおうかという気持ち。
 けれども、ここにいては自分が何かを引き起こしてしまうのではないかという恐怖。
 

 ……旅立つ時は、一匹でなくてはならない。
 他の猫と、自分は違う。
 いくら力があっても、それだけではいけないことを知っていた。
 今の自分には、足りないものが多すぎる……





 それはある日の、昼下がりだった。
「あーっ、いたいたっロブスター!!」

 いつものように、石碑の前にいたロブスター。
「…?」
 振り返り、こちらへやって来るサリアを見た。
 ……サリアはどこか、いつもと違って見える。
「はあっはあっ」
 サリアは息を切らしながら、ロブスターの前で立ち止まった。
「……」
 ロブスターは何だと言わんばかりの顔でサリアを見つめた。

「見てみてっ、ロブスター」
 そう言い、サリアは何やらニコリと微笑み、少し後ろへ下がってクルリと回って見せた。
「神官服っ、似合ってるでしょ?」
 サリアは服の端を持って、お辞儀をしてみせた。
「……」
 ロブスターはしげしげと神官服を見て回った。


 神官服は綺麗な白地に、青や淡い水色の線が縁を飾っていた。
 良い具合に服を引き立たせた装飾品が、ロブスターの反応を窺う、サリアの青い目と同じくらいに輝いていた。


 ロブスターはちらりと右目でサリアの様子を見ながら、
「神官に、なったのか」
 と言った。
 そんなロブスターをニコニコした笑顔で見つめながら、
「うん」
 とサリアは頷く。
「よく似合っている、と言ったらいいのか……」
 ロブスターはそう曖昧に答えたが、
「ありがとうっ、すっごく嬉しい」
 サリアはそれで満足だったようだ。
 辺りをピョンピョンと飛び跳ね回って喜んでいた。

 飛び跳ね終わると、サリアは急に、ロブスターの顔を窺いだした。
 それから、じっとロブスターの顔を見つめだし、静かな声で言う。
「ロブスター……覚えてる?
私が神官になったら、一緒に連れて行ってくれるって、約束」
「……あぁ」
 ロブスターがそう素っ気ない様子でそう言うと、サリアは、
「で、いつ? いつ出発するのっ?」
 と問い詰めるように聞いてきた。


 ロブスターは足もとを見つめ、黙っていた。
「……?」
 サリアは何だか、ロブスターの様子が変なのに気づいた。
 そのうちロブスターは、サリアをじっと見つめたかと思うと、急に背を向けた。

「どうしたの」
 心配そうなサリアにロブスターは、
「……今すぐ、ここを去る」
 と言った、言ったかと思うとそのまま、スタスタと歩きだした。

「ちょ、ちょっと待ってロブスター。
行くって、私何も支度をしていないわ!」
 サリアは慌ててロブスターへ駆け寄り、その正面に立った。

「すぐに準備はできるから、少しだけ、少しだけ待って」
 サリアがそう言うと、ロブスターはサリアと目も合わさず、
「足手纏いはごめんだ」
 と冷たく言い放った。
「……」
 サリアはあまりのことに、黙り込んでしまった。

 何かいつものロブスターじゃなかった。
 サリアはその言葉に驚いたが、自分の決めていたことに対しての意志は固かった。
「私、神官になったわ。
自分の身は自分で守れる、ロブスターの迷惑になんてならない! だから、だから」
「……神官になったから足手纏いにならないのか」
 冷たい口調のまま、ロブスターが言う。
 サリアの見たくなかった邪見するようなロブスターの目が向けられる。
「迷惑にならない? なぜそんな事がわかる。
お前は外へ出た事があるのか?」

「……」
 豹変したロブスターに、サリアは何も言い返す言葉が無い。

「外は危険だ。
俺は何度も、死にかけた事だってある。
ろくに食事も休息も取れない……
こんなのどかな街、平和ぼけた猫どもの中でくらしたお前が……そんな危険な場 所へ出ていけると思うか?
神官になったから足手まといにならない、俺に迷惑をかけないだと?
……お前はいつ俺の気を知った。

他の者に、俺の気持ちなどわかるはずもない!」
 ロブスターはそう言いきり、正面に立つサリアの横を通って再び歩きだした。

「……」
 サリアの目には、じわりと何かが浮かぶ。
 去っていくロブスターの後ろ姿をそのまま行かせてはいけないと、自分の中の何かが言う。

「待って、このまま急いで行くつもり?」
 そのサリアの声に、ロブスターの足は自然と止まっていた。
「あなたの口下手は、よくわかっているわ。
私のためを思って、言って、くれたんだよね」
 気づけば振り返っている自分に、ロブスターは少し驚いた。
 無言で、ただただいつもより瞬きをよくするサリアの顔を、見つめていた。
「いいわ、行きなさい。
私は、安全で、この静かな街にいるから。
……だから、いつでも、会いたくなったら、会いに来てくれたらいいから」
 サリアは少しだけ、首を傾げた……はにかみながら。
 
「……」
 自然と、自分の顔が綻んでいるのを、ロブスターは感じていた。
 それにサリアが少し微笑んだのも。
 衣服を翻し、再び背を向けたロブスターに、サリアは問う。
「ロブスター、どうして今まで……この街にいたの?
最初から私を連れて行こうなんて、思ってなかったんでしょ、なのに」
「……神官服姿を、見てやろうと思った……それだけだ」
「えっ?」
 その言葉に少し驚いていたが、サリアの顔はすぐに笑みに変わる。
「そう……ありがとう」
「……」
 ロブスターは、何か不思議な、初めて感じる気持ちを味わった。


「ロブスター、死なないでね!」
 サリアは大きな声で叫んだ。
 そして、小さく、
「また、逢えたらいいな……さようなら、ロブスター」
 自分に言った。
 

 もうサリアからは自分の姿が見えなくなった時、ロブスターは後ろを振り返った。
「また、逢いに来る」
 そう囁くと、森の奥地へ走り去った。
 空に輝いていた太陽は、いつの間にか分厚い雲に覆われてしまっていた。
 ……辺りは次第に、雲行きが怪しくなってきていた。





−森−

 ザッ……ザッ……ザッ……

「……」
 ロブスターは黙々と木々を移っていたが、

 ……ザッ

 移るのを止めた。
「……」
 自分の中の何かが、複雑な気持ちだった。
 でも、ロブスターは自分のやったことに誤りがなかった、とだけは、確信していた。

「……」
 でも何か不安だった。
 何かが、ロブスターをこの地から遠ざけようとはさせない。
 少し頭を悩ませていたロブスターだったが、
「俺がここに残る理由は、もうない」
 そう、自分に言い聞かせるように言ったかと思うと、

 ザッ……ザッ……ザッ……

 再び木々を移り始めた。





 それからずっと、ロブスターは疎らな木々を移り続けていた……





 太陽は、妙に赤く染まり――辺りへ夕暮れ時を伝えた。





 そして、辺りが暗闇に包まれる頃、ロブスターは静寂した大きな湖畔に着いた。





−湖の畔−

 静まりかえった湖の畔(ほとり)。
 澄み切り、月が映るその湖の水を飲もうと……ロブスターはそこで足を止めた。
 湖に近づき、足を跪き、そっと手に水をすくって口に運んだ。

「…っ」
 ロブスターがもう一口水を飲もうと、再び湖に手を入れようとした時だった。

 …… ……

 水が――湖の水が不可解に揺れている。
 それに気づいたロブスターは、
「!!」
 急に耳をピンと立て、辺りをキョロキョロと見回した。


 …… …… …… ……

 ロブスターには、辺り全てのものが揺すぶられていると感じた。
 生ぬるい風が吹き、

 ザザザザザァァァ
 ザワサワサワサワ

 ロブスターの頬に触れていった。

 ロブスターは神妙な顔つきで、
「……」
 湖に映った自分の姿を見つめた。


 ザザァァァ
 ザザザザザ

 また風が、強く吹いた。
 湖の水がその風によって揺らいだ。

 ザザザザザァァァ……





 風が止み、辺りは再び静かになった。
 揺らいでいた湖の水も静かになり、再び辺りの景色を映し出した。
 しかしそこに、黒猫の姿はなかった。





−薄暗い教会の中−

 外の騒がしい物音が、教会の中まで聞こえていた。
 教会の中に、また一匹、また一匹と街猫たちが避難してくる。

「ビルクス様、私たちは一体、どうすればいいんですか」
 サリアはビルクスの顔を見つめた。
 ビルクスは大きな十字架を手に、教会の結界を強めていた。
 一汗を拭い、ビルクスはいつもの穏やかな口調で言う。
「彼らと対等に戦う事はできないでしょう。
私たちはここで、夜を明かし、朝を待たねばならない」

 サリアは疲れを見せるビルクスをじっと見つめ言う。
「ビルクス様、私にもできることはありませんか。
私も神官、他の神官のように外へ出て行き、街猫たちを救いたい」
 それを聞きビルクスは、サリアの方へ振り向く。
 真剣なサリアの顔。
 ビルクスはサリアの顔をじっと見つめた。
「サリア・ベス」
 ビルクスは小さくそう言ったかと思うと、何やら自分の服をゴソゴソとし――小さな飾り、それに白い竜が巻きついた"十字架の首飾り"を取り出した。

「渡しそびれていた物です。
神官服をもらった途端、飛び出して行ってしまったでしょう」
 そう言うビルクスに少しはにかみながら、サリアは頭を下げた。
「これは神官なる証……外にいる他の者と共に、逃げそびれた猫を救いなさい」
 サリアの首に、"十字架の首飾り"が掛けられた。


「サリア、気をつけなさい」
 ビルクスはそう言うと、再び大きな十字架を握った。
「……はい」
 ビルクスの後ろ姿に、一度頷いた。
 今にも外へ駆け出そうとしたところを、
「サリア、私も一緒に行く」
 まだ教会にいた一匹の神官がそう言った。
 凛々しい顔立ちをした、白と黒が混じる毛をした背の高い雌猫だ。
 サリアよりも先に、神官として使えた猫。
「"キシュ"さん……うん」


 サリア、それにキシュは、逃げ入る街猫たちと入れ違い、外へと飛び出していった。





−変わり果てた街−

 サリアとキシュが外へ出た時には、辺りは、街は恐ろしいほどに姿を変えていた。
 街のものはほとんど原形をとどめてはいない。
 炎を上げる家々を見、サリアは一瞬頭が真っ白になった。
 教会の入り口にいた猫が、外へ出てきた2匹に叫んだ。
「サリア! キシュ!」
 少し福与かな体つきの雄猫が、片手を大きく振りながら近づいてきた。
 
「"ファム"! 皆、避難はできているのか?」
 キシュがそう聞くと、
「この近くの猫たちは避難したようだ。
でも街の入り口の方はどうか……2匹神官が向かったがまだ帰ってこない。
逃げそびれた猫が多いせいかもしれない。」
 とその雄猫、ファムは不安げな顔で答えた。
 
 キシュが振り返った。
「サリア、街の入り口の方へ行こう」
「……」
 サリアはポカンとしていた。
「サリア、大丈夫か? 無理なら……」
 その言葉にハッと我に返ったサリアは、
「うううん、大丈夫。
それより、キシュさん、早く行きましょ」
 と言った。
 それを聞きキシュは深く頷いた。

「ファム、あなたは神官じゃないんだから。
あまり彷徨いちゃだめだよ」
 サリアはそう言い残し、走りだしたキシュの後を追いかけた。


 2匹は街の入り口の方へと走って向かった。


「……?」
 ファムは何か、変な気配を感じた気がした。
「大丈夫かな、キシュ、それにサリア」
 ファムがそう呟いてすぐだった。

「助けてー、助けてー」
 どこからか声がする。


「誰かー、助けてー」
 

「誰かいるのか」
 ファムは辺りをキョロキョロとする。
 声のする方へ――ファムは辺りを気にしながら、駆けていった。


「誰かー、誰かー」


「どこだっ、どこにいるんだ!」
 ファムは1匹、叫びながら崩れる家屋の下やらを覗き込み、助けを求める猫を探した。


「助けてー、ここだよ助けてー」
 声はすぐ側からする。
「ここだよ猫さん、助けてー」

「……」
 ファムはふと、顔を上に上げた。

「助けてー……ククッ。
間抜けな猫さん、助けて―、なんてな」
「……」
 ファムは上げた顔を真っ青にした。
「猫ってば面白い生き物だよねぇ。
自分が危ないってことに気づくのは遅いくせのに、助けを呼ぶ誰かの声はすぐ耳に入るん だから」
 暗闇に、倒れた三日月のような真っ赤な眼が2つ。
 それはファムを見つめていた。

「な、なんだ」
 ファムは姿見えぬ何かにガタガタ震えた。
「ククッ……」


 月を覆っていた薄い雲が消え、冴え輝く月が露わになる。
 不気味なほどさえ輝くその月は、ファムを見つめる何かの姿を照らし出した。
「クックッ」
 ファムの目の前には、暗い毛並みの、真っ赤な眼をした猫が立っていた。
「生きている間に教えてやろう、俺は吸血鬼だ」
 吸血鬼はそう言うと、爪を突き立てファムに襲いかかった!

 ……
 
 あまりの素早さにファムは動けない。
 目をまん丸とし、ファムの体は恐怖で凍りついた。
 ……凍りついた体は動かない。
 ファムは覚悟を決めるしかなかった。

 吸血鬼がファムに掴みかかろうとした時だった。
 それはあっという間の出来事。
「!?」
 一瞬空中で吸血鬼が静止したかと思うと、

 ……バサッ

 突然、弾のように飛んできた何かによって、吸血鬼はファムの視界から――その飛んでき た何かと共に姿を消した。
「……」
  ファムは一体、何が起こったのかわからなかった。
 でもさっきまで目の前にいたはずの吸血鬼の姿はない。
 そんなファムの耳に、どこからか、何か囁くような声が聞こえてきた。

「すぐに安楽させてやる」
 声は崩れた家屋の向こうから聞こえる。


「な、何者だ貴様」
「お前に最後の言葉をやろう。
お前がしたことは善意を踏みにじる行為だ
、覚えておけ」

 グシャッ

 何か鈍い音が聞こえた。
 その後に、声にもならない何かが一瞬聞こえたかと思うと、辺りはシンと静まりかえった。

「!?」
 ファムがハッと気づいた時だった。
 ファムは再び、目の前に赤い眼を見た。
「隅に隠れていろ」
 さっきの吸血鬼とは違っていた―― 毛色は黒々とし、さっきの吸血鬼よりも小さな体。
 それに、紫の炎のような物にまとわれた何かを、右手に握りしめていた。
「あ、あぁ」
 ファムはわけがわからなかったが、とにかくその指示通り、身を隠した。



 ザザザザザ

 辺りに不気味な緩い風が吹いた。
 何かがたくさん動き起こした風のようだ。



「……」
 ファムがそっと乾いた目を閉じ、再び目を開けた時だった。






 
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