
いつかの、どこかにある場所……今も記憶の片隅に残る
quartz
*第四話・追憶の猫1*
「……」 ザッ……ザッザッ……ザッ……ザッ その猫の視野に光が差し込んだ。 どうやら、鬱蒼(うっそう)と生い茂った森を抜けたようだ。 「……」 その猫は、まだ、おとなにはなりきれていない顔をしていた。 でも、子供にしては少しおとなびた容姿だ。 その猫の黒い毛並みは、広がり澄みきった空の、真上に輝く太陽を一身に浴び――光沢のある輝きを見せた。 その黒猫の前には、疎らに木々の生える森が広がっていた。 迷う事もない様子で……黒猫は、その森へと消えていった。 ザッザッ…ザッ……ザッ……ザッ…… 黒猫は体から余るほどの大きい衣服を纏っていたにも関わらず、 左目にしていた眼帯は、ぴったりと、少しの隙間もないくらいにされていた。 それには秘密があった。 黒猫は、猫と吸血鬼の親から生まれた。 そして、どちらも併せ持っていた。 右はハッキリとした青い目をしていた……でも左目はそうではなく、父親譲りの真っ赤な眼だった。 そのせいで黒猫は、一生左目を、太陽の光にさらす事はできなかった……そのせいだった。 「腹、減ったな」 黒猫は1ヶ月近く、飲まず食わずの日々を過ごしていた。 それなのに生き続けていたのは、吸血鬼の血を引いていたということ。 それに、黒猫が、計り知れない探求心を持っていたせいなのかもしれない。 まだ見ぬ、知らぬことを求めて……黒猫はこの地にやって来たのだろう。 ザッ……ザッ……ザッ…… 飲まず食わずとは思えない素早い動きで――黒猫は、また1つまた1つと、木々を移っていった。 ……ザッ 黒猫は突然移るのを止めた。 「あれは」 霞む目に何かを見た。 ザッ……ザッザッ それから数本木々を移ると、黒猫は再び正面を向き、掠れた声で呟く。 「街……あれは街だ、街が見える」 ザッザッ…ザッ……ザッザッ さっきよりも早いスピードで――黒猫は街に向かって、次々と木々を移り進んでいった。 −街外れの森− 黒猫は街を見下ろせる場所、高台にそびえる木々の1本に身を潜めた。 辺りは囀りが聞こえるぐらいで静かだった。 光がどこからも差し込み、森の足もとにまで暖かい光が降り注ぐ。 黒猫は研ぎ澄まし、 「……」 その並外れた洞察力を持つ耳と右目で、街の様子をそこから探った。 …… 「猫は少々、街の中央には、教会、か」 聴き取るのも難しい声でそうぼやき、黒猫はどことなく警戒した面持ちで教会を見る。 ガサガサガサ 「!?」 物音がし、黒猫はサッと地上を見る。 ……空腹で注意が散漫になっていたのか、側に何かがいたことに、今まで少しも気づいていなかった。 「素敵な色をしているわ」 地上には、知らぬうちに一匹の猫がいた。 薄茶色の毛に、耳の辺りと手の先が赤茶の毛をした、女の子のようだ。 女の子は黒猫がいるのに気づくことなく、どんどんと、黒猫のいる木に近づいてくる。 驚きつつも、 「……」 黒猫はそこで息を潜めた。 「"虹色キノコ"に似てる、美味しいかしら」 女の子はそう言うと、木の根元に生えるキノコを採り始めた。 ちょうど黒猫のいる木の真下だ。 黒猫は気づかれぬよう、 「……」 息を潜め続けた。 「これだけあれば"キノコいっぱいトロトロスープ"が作れるわ。 出来たてのトロ〜トロスープってば、大きくざく切りしたキノコの歯ごたえに、きっとみんなうねり声をあげちゃうはず。 ……ジューシィな鳥肉を入れるのもいいわね。 ジュジューって網目模様に焼いてっ、切るときにはジュワ〜って……あぁ、考えただけでも」 そう言って、女の子は不適な笑みを浮かべ、口を押さえた。 黒猫も口を押さえ、 「っ……」 込み上げてくるものを抑えた。 女の子の大きな独り言は、黒猫をまるで挑発するように聞こえてくる。 しかもそれはしばらく続いた。 「ふぅ、たくさん取れた。 そろそろ戻ろうかな」 そう大きな独り言を言うと、女の子はキノコを採り終えた様子で、立ち上がる。 「……」 黒猫はそれを聞き、やっとか、と少し気を……抜いた時だった。 ググウウゥゥゥ 高いお腹の鳴る音、 「!?」 黒猫はしまった、と咄嗟に腹を押さえるが、もう遅いのはわかる。 「私? お昼はしっかり食べたはずだけど」 女の子が首を傾げて、その場に立ち尽くしていた時だった。 …… それは強い風が吹く直前。 何かカサッと葉が小さく音を立てた。 ……ザザーッ 強い風が、辺りに散らばっていた木の葉を巻き上げるようにさらっていった。 女の子は少し身を縮めた。 そして、風が通りすぎ、女の子が顔を上げたときだった。 背中にトンと何かが当たった。 思わぬ衝撃に、女の子は何だろうと振り返ろうとした、が、 「!?」 振り返ることができない。 ……今になって、気づいた。 何かが自分の首を掴んでいるのだ。 「……っ」 何が起きたのか、女の子にはさっぱりわからなかった。 声を出そうにも、低い呻き声すら出ない。 ……後ろには何か不気味な気配を感じる。 女の子はどうにかしなければと、少しだけ、動くだけ顔を傾けた。 「!?」 見知らぬ黒猫が、首と腕をがっちりと掴んでいた。 女の子はただただポカンとする……今の状況が突然すぎて把握できない。 けれども勇気を振り絞り、一体何なのだと、女の子が言おうと――するよりも早く、黒猫が口を開いた。 「娘、俺は吸血鬼(ヴァンパイア)だ」 「……」 女の子はその掠れ声に、何も言えなくなる。 そして今置かれている状況も、やっと飲み込めた。 黒猫は女の子の顔のすぐ側にまで顔を近づけ、さっきと同じ、掠れた声で言う。 「俺は腹ぺこだ……わかるだろう」 「……」 女の子はまさか!? なんて顔をし、思わず目を瞑って、黒猫の続ける言葉を聞く。 「キノコスープ」 「……キノコ、スープ?」 女の子は思わずそう口走った。 「……」 それに少し慌てた黒猫は、ドスの利いた声で女の子に言う。 「俺は腹が減っている! 食わせんと血を吸うぞ! おとなしく従えば、何も危害は加えてやらん……どうだ」 …… 少し沈黙が続いた。 女の子の顔は、まさにわからないっといった顔だ。 でも何とか返事をしなければ、と女の子は思っていた。 そして、黒猫の言った言葉をもう一度頭の中で反芻(はんすう)させ、 「キノコスープが、食べたい、の?」 と言った、言ったかと思うと、黒猫の手を力任せに振り払い、振り返った。 ……思ったよりもすんなりと手は解けたことに少し驚いたが、それよりも、今は黒猫の言った言葉で女の子の頭はいっぱいだった。 「……」 今度は黒猫が驚いて動けなくなる。 「……」 「……」 2匹は向き合った。 『そんなに恐そうな猫じゃ……』 『なんて猫だ』 そんなこと、なんてことを心底に思いながら、2匹の猫は互いに無言で見つめ合った。 ……沈黙が続いた。 何を思ったのか、それともただその間を埋めたかったのか、 「あ……私はサリア・ベス」 女の子は突然そう言った。 少し間を空け、 「俺は……ロブスター・ハウントだ」 黒猫はどことなく照れた様子でそう小さく言った。 女の子はそれに、少しだけ口元を緩めた。 それから再び、2匹は……また、黙りこくってしまった。 「……」 サリアはロブスターの顔やら身なりを、しげしげと眺め始めた。 何だか、もう恐れている様子もない。 むしろ今は、ロブスターの方がオドオドしている。 そのうち、 「……」 じっと自分を見つめ続けるロブスターと目が合った。 ロブスターはスッと……サリアから目を逸らし、 「早く、食わせろ」 とぼそり。 サリアはそのロブスターの様子に、何やら少し笑った。 笑ったかと思うと、 「いいよ、私についてきてっ」 と言った。 その言葉に、ロブスターはポカンとした。 「お腹が、減っているんでしょ? 食べさせてあげるから、私についてきて」 サリアはそう言うと、少し照れくさそうにロブスターを手招きした。 そして足取りよく、サリアは高台から下りだした。 黒猫も後れて、 「……」 その後を思い出したように慌てて追い出した。 高台を勢いよく下ると、そこにはのどかな街へと続く道。 まるでこの辺りの場所だけ、時間が緩やかになったのではないか…… そんなことを思わせるような、風光明媚(ふうこうめいび)なところ。 街へと向かう2匹の小さな姿を、森と、晴れた空が優しく見つめていた。 −焼きつきし追憶の街− 「よぉサリア、何だか浮かれてるな。 お客かい? 珍しいねぇ」 街に入るとすぐ、1匹の街猫がそう声をかけてきた。 「"キノコいっぱいトロトロスープ"を作るの、よかったら」 サリアがそれから何か言おうとする前に、 「お、おっと……野暮を思い出した。 サリア、それじゃあなぁ」 何か慌てた様子で、その街猫は去っていってしまった。 「残念ね、せっかく一緒にどう? って聞こうと思ったのに……」 サリアはロブスターの顔をチラリと見ると、 「家はこっち」 とロブスターの腕を引っ張った。 −サリアの家− 「どうぞ入って……気を遣う事ないわ。 私にスープを作って欲しいって言ってくれるんだもん」 サリアは何だか嬉しそうに、どんどんと部屋の奥へと入っていく。 最早、ロブスターよりも行動の権力を握っている。 「……」 ロブスターは家の中を見回しながら……嬉しそうなサリアの後ろを無言で続いた。 木で造られた、いい薫りのする家だった。 部屋のあちこちには、きれいに花が咲いている草花など、観賞用の植物が見受けられる。 階段の向こう側に見えた部屋には―― 「こっちだよ、そっちは違う部屋」 サリアが引き戻しに来た。 引っ張られ、何が見えたのだろうと気になるまま…… 長方形の大きなテーブルのある部屋へと連れて行かれた。 「そこに座ってて」 サリアはそう言うと、採ってきたキノコを大事そうにカゴから取り出し、何やら準備を始めた。 「……」 ロブスターは言われるまま椅子に座った。 「えっと、アレはどこだったっけ……あったあった。 すぐにできるからっ! そこにちゃんと座って待っていてね」 そう言いながらエプロンを着用すると、サリアは側を横切り、台所へと向かっていった。 ザクッザクザクザク コトコトコトコトコ 調理の音が、忙しく聞こえ始めた。 「……」 不慣れな様子で、ロブスターはおとなしく座っていた。 テーブルの端の、口の開いた"バナナチップス"の袋をチラリと見たが、 「……」 見なかった事にした。 「……」 早くできないかと、ロブスターは静かに待った。 ゴトッゴトゴトッゴトゴトゴト シュシュシュシュシュ ロブスターが34回目にバナナチップスを見た時だった。 「できたわ、おいしいキノコスープ!」 サリアが大きな鍋を持ち現れた。 グツグツグツグツグツ 鍋は煮えたぎっていた。 もう少し冷ましてから出してくれた方がありがたいとロブスターは心の中で思った。 テーブルに置かれた鍋の中身は、何だか、スープというよりも……シチューように具だくさんで濃厚そうだった。 でも今はそんな事、ロブスターにとってはどうでもよかった。 「キノコいっぱい、鳥肉も入れて……味付けは、秘密っ」 サリアはそう言いながら、ロブスターに大きな器いっぱいのスープを差し出した。 コトッ 「たくさんあるからいっぱい食べてね」 そうサリアが言った時には、すでにロブスターはスープに手を出していた。 ……空腹はもう、頂点に達していたのだ。 「ハグハグッ」 眼を充血させスープをかきこんで食べるロブスターを見つめ、サリアは不安げに、 「……どう? おいしい?」 と聞いた。 ロブスターはスープを全て飲み干すと、 「お代わり」 と器をサリアに向けた。 一瞬、サリアはキョトンとした。 でもロブスターが催促するように器を振るので、 「あ、はいっ」 思いもしなかった、といった様子で器を受け取り――サリアは嬉しそうに、スープのお代わりを注いだ。 「嬉しいわ、こんなにおいしそうに食べてくれた猫を見るのは初めてっ」 顔を少し赤らめ、サリアは何だか嬉しそうにロブスターを見つめていた。 ロブスターはガツガツと、それから数度お代わりを言った。 そんな時だった。 キュウウウ……バッタン 家の戸が開く音がした。 「サリア、いるのか?」 そんな声がし、 「ちょっと見てくる」 そう言い残すと、サリアは声のする方へ駆けていった。 |
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