街をにおわせていた物の正体は?

quartz

*第三話・赤眼の猫 2*






−ニオイ立ち込める店通り−

 店通りに来ると、ニオイは頂点だった。
「はは、すごいニオイだね……やっぱり」
 ルークは鼻を少し触る。
 リスベルは嗅いだことがないニオイだったのか、不思議そうな顔で鼻を動かす。

 その通りはとにかくもうニオイが充満していた。
 辿り着く前からしていたのだから、この場所のニオイといったら……。
 通りにいた多くの猫が、布などで口と鼻を覆っている。
 ここへきて強くなったニオイは、一日や二日、服に染みついたらとれなくなりそうな香りを、通りのあちこちから漂わせていた。
 時折吹く柔い風が、まんべんなく街へニオイを運んでいるかのように思われる。
 ルークはリスベルを連れ、店の一つに、近づいた。

「リスベル、コレだよ」
 ルークは店先に並ぶ物の1つを手に取り、リスベルに見せた。
 何かの球根のようなその形――リスベルはそれを受け取り手に取ると、自分の鼻に近づけた。
「ぐっぐふっ!?」
 強い刺激臭に頭をふらりとさせながら、
「コレ、コレは何ですか……すごく、すごく強いニオイがします」
 とリスベルは言った。

 すると空かさずのタイミングで、店の猫がやって来た。
「これは"ガーリック"って言って、料理にも使える、とってもおいしい食材よ。
毛並みのノミ予防にもなるの。
……でも、ほんの少しだけ入れるのが適切ね」
 店猫はそう言い、微笑んだ。

 辺りを見回しながらルークは呟く。
「それにしても、そこら中の店でガーリックが売ってる。
スフレって魚介類だけだと思ってたのに」
「近頃出るのよ」
 呟きは店猫に聞こえていたようだ。
「へっ?」
 ルークは店の猫へと視線を戻した。
「何が、ですか?」
 リスベルがそう聞くと、店の猫は片手でルークの肩をはたいて、仰々(ぎょうぎょう)しく言った。
「吸血鬼(ヴァンパイア)に決まっているじゃない」
「吸血鬼!?」
 二匹は我が耳を疑うように驚いた。

「そんなの本当にいるの?
こんな世の中だから、いてもおかしくはないと思うけど」
 ルークがそう言うと店猫は、
「ええ、そうね。
あなた達も買っておいた方がいいわ、ガーリック」
 と、とびきり大きなガーリックを勧めてきた。
「っでも、旅にガーリックなんて持ってたら」
 ルークは頭を横に振った。
 それでも引かない店猫に、ルークは両手と頭をぶんぶん振って勧誘を断る。
 そんな押し問答の隣で、大人しく商品を眺めていたリスベルが、
「コレは、何ですか?」
 と言って何かを指さした。
 問われて店猫は、
「そう……あぁ、コレもあるわよ」
 キビキビとした動きで、リスベルが指さす物を手に取った。
 それは、"小さな十字架"だった。
「お守りの十字架、この街にいるんだったら絶対持っておくべきものよ。
イージスのご加護で、吸血鬼に襲われないようになるお守り。
今なら100キャットにしてあげるわ。
もう暗くなってきているし、今日はこの街に泊まるのでしょ?」
「えっ……は、はい」
 ルークが怖(お)ず怖ずと頷くと、リスベルが少し不安げな顔で囁く。
「ルーク、どうします? 買っておいた方が、やはりいいのでしょうか」
 目を瞑って、うーんと悩んだあげく、ルークは言った。
「それ、下さい」
「まいどありっ」
 店の猫は威勢良く言った。

「つい、おされて買っちゃったような」
 小さく肩を落とすルークに、リスベルはお守りの小さな十字架を裏表ひっくり返しながら言う。
「念のために、です。
それで命が救われるなら、買ったに越した事はありません」
「……そうかな」
 ルークもそんな気がした。
 その時、二匹のすぐ後ろで、

 フェックシュン!

 突然、大きなくしゃみが聞こえた。
 思わず二匹は振り返る。
「っくそ、このガーリックのニオイ、気持ちが悪くなる」
 紫のマントの黒猫が、通り過ぎていった。
 その猫の大きな後ろ姿は、向こうの角を曲がるまで見えていた。

「ガーリックアレルギーなのかな」
 ルークが呟くと、隣のリスベルが小首を傾げた。



 ――その後、二匹は、
「何か食べに行かない? リスベル」
「いいですねっ」
 ルークの誘いに、リスベルは微笑む。
「じゃ、あのお店に行こうよ! "魚のオムレツ"が食べたいんだ」
 そう言って、ルークは前方に見える建物を指さした。


 可愛い感じの外作り、薄い黄色とオレンジ色が混ざり合う正方形をした建物。
 "当店オススメ魚のオムレツ。グゥサイズは一匹分"
 店の入り口には、そう書かれた看板があった。
 その店へと、ルーク達は立ち寄った。





−グゥ・スフレ一番の料理店−

 店内は、外と同じように薄い黄色とオレンジ色を基調とした感じだった。
 お昼時を過ぎた時間だったせいか、店に客はほんの数匹。
 二匹は空いていたテーブル席についた。
 注文するものは決まっていたので、メニュー表を見ず、ルークは注文を取りに来た猫に、
「魚のオムレツ、グゥグゥで」
 と言った。

「"グゥ"って何です? ルーク」
「この店はね、"グゥ"ってのが、量とか大きさを表してるんだって」
 メニュー表をまるで書物を扱うように見ているリスベルを見つめながら、ルークは続ける。
「一匹前、普通の注文はグゥサイズ。
別々に頼んでも良かったんだけど、何か、面白そうだったからグゥグゥサイズにしてみた」
「どんなものが出てくるのでしょう」
 ルーク達はわくわくしながら料理を待った。

 料理を待っている間、ルークはふと、斜め向かいに目を向けた。
 旅猫(クォーツ)なのか、2匹連れのちょっと変わった風貌の猫たち。
 こちらには背を向けた状態だったが、話声が微かに聞こえる。
 その内容からして、おそらく、商猫の雄猫と雌猫。


「――アシュリィー、俺は行くつもりだぜ。
お前は好きにすればいいさ、お前みたいな猫、誰だって世話してくれるだろうからな」
「私もついていくわ、同じところにいるなんて、飽き飽きするもの」
 雌猫は片頬に手を添える。
「何でついてくるんだ?
俺なんて闇商猫に……他にも旅するやつなんてあちこちいるだろうに」
「そうね、あなたの言うとおり。
"あそこの坊や"でもいいかもしれないわ」


「んっ」
 ルークは何か視線を感じた気がして、小さく身震いした。
 ちょうどその時、
「魚のオムレツ、グゥグゥです」
 店の猫が注文の品を持ってきた。
 出来たての、湯気立ち上る大きなオムレツ。
 ついついそのよだれ物に、ルークはすっかり気移りした。
「大きいっ!」
 魚のオムレツは大きな魚の姿をしていて――表面は、卵をたくさん使った生地で覆われている。
 店猫がすっとナイフでオムレツの真ん中に切り込みを入れると、中から溢れ出るように、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまうような美味しい湯気と半熟の卵がトロリと出た。
 ルークとリスベルは、顔を見合わせる。
「食べよっか」
「食べましょうっ」
 同時にナイフとフォークを手に取り、二匹はオムレツのにおいを嗅ぐ。
 そうして、ルークは嬉しそうにフォークで卵生地を突っついた。
 リスベルも嬉々(きき)として、フォークで――魚の目玉を突っついた。
「……リスベル、オムレツの方を食べなきゃ」
 ルーク達は楽しく食事を始めた。


 ルークがさっきまで気にしていた猫たちにも、軽食の食べ物と飲み物を出された。
「――好きにすればいい」
「あら、私があの坊やについていってもいいって言うの?」
「どうするかなんて、俺が口出しする問題じゃあない。
アシュリィーの好きなようにすりゃあいい。
それよりも、俺はお前が……何で俺なんて猫についてくるのか気になるわ」
「私が何であなたについていくかって?」
 雌猫はそう言って、チラリと雄猫に流し目をする。
「あぁ、俺なんて好かれない猫にだ。
ボサボサの毛並み、身なりもいいとは言えねぇこの男のどこに惹かれるかって事だよぉ」
「あら、私は"誰にも好かれないところ"に惹かれているの。
誰もあなたを好きにならないでしょ、そこに」
 雌猫はうっとりした顔で雄猫を見つめる。
「よくもまぁ、ズバズバとそう言う事が言えるわぁ」
「ふふ、私はきっと、誰よりもワッシュの事を知っているわ。
……お酒よりも、アップルジュースが好きな事もね」
「ブッ、ブフォ!?」
 雄猫はアップルジュースを噴きそうになった。
「昼間は酒を飲まないだけだぁ……妙な事を言うな」
 雄猫は呻くと、耳を頭にくっつけた。
「……ふふ。
トマトジュースが好きな猫でも現れたら、乗り替えるのかもしれないわね」

 雄猫の周りの空気が、何か滞った。

「あら、冗談よワッシュ」
「……な、何も気にしちゃあいねぇ」
 雄猫はそう言うと、グビッとアップルジュースを飲み干した。
「ふふっ」


「おいしかったね、それにしても大きなオムレツだった」
 ルークはグラスを手に取ると、水を飲んだ。
 ローブの上からお腹を叩いて、リスベルも言う。
「そうですね、お腹も満腹です。
一息つけましたし、ルーク、そろそろ行きましょうか」
「そうだね」

 ルーク達は、料理店を後にした。
 外へ出た頃にはもう日が傾いていた。
 まだ早い夕方だというのに、スフレの街は慌ただしく夜の支度をあちこちで始めている。
「ルーク、私たちも早く宿をとった方がいいですね」
 二匹は、街を少しばかりうろうろしながら宿屋を見つけた。
 一軒目は怖そうな海の男達が大勢並んでいたので、もう一軒目をあたり、後の方の宿を取った。





−宿屋の一室−

「ふぅ」
 ルークは旅服を椅子に掛けると、ベッドに倒れた。
「スフレは大きな街ですね。
それだけあって、この宿にはたくさんの部屋がありましたよ」
 リスベルはベッドに顔を埋めるルークに微笑んだ。
「いい部屋が空いてたからこの部屋にしてもらった、きっと眺めもいいと思うよ。
リスベル、窓の外を覗いてみたら?」
 ルークにそう言われ、リスベルは窓の側へと近づいた。

 キュキュッ ガラガラ

 部屋の窓からは家々の屋根がたくさん見えた。
 レンガ造りもあれば、木でできた家も並んでいる。
 特に目立つような大きな家はない。
 並んでいる家々は、どれも風見鶏などの屋根飾りが付いていたり、手書き模様に彩られた壁や柱があったりする。
 いい具合に並びあう多くの家。
 それに、不揃いに立つ煙突や店並び……。

「ルーク、海が見えますよ」
 リスベルは、街の終わりに見える大小様々な船が泊まる港の向こう――海の終わり――水平線へと消えていく太陽を見た。
「もう、夜ですね」

 
 太陽は消え、その明るさは月や星の光に変わろうとしていた。
 空に輝いていた一番星の横に、もう一つ二つ星が出る頃……ルーク達は、明日について語り合おうとしていた。


「これからどうします?」
 リスベルがそう切り出し、ルークはベッドから身体を起こした。
「どうしたらいいかな……竜石について知っていますか? って聞いて、普通の猫が何か知っているとも思えないし」
 ルークの悩み顔を見ながらリスベルは言う。
「そうですね。
でも、竜石を使う者は、"普通の猫なら持ち得ない力"を持っています」
「……ねぇ、リスベル。
俺、気になってたんだけど、竜石使いっていうのは、具体的どういう力を持っているの?」
 ルークがそう言うと、リスベルは腕を組む。
「実は、私にもよくわかないのです」
「えっ?」
 思わずそう声に出したルークに、リスベルは苦笑を見せ、話し出した。
「竜石使いになった者は、まず、石に宿る竜の力を得ることできると言われています。
その猫が持つ、潜在能力を引き上げることもできるそうです。
得る力というのは、竜石使いである猫の能力によって異なります」
「リスベルは、どういう力を得たの?」
 ルークがそう聞くと、リスベルは少し顔を微笑ませる。
「私の場合は、種族の者よりも多く魔法を使うことができます。
大抵の"ゲートキーパー"は……あ、我々魔法が使える猫のことなのですが……火を操るもの、水を操るもの、風を操るものなど、特定の魔力しか持ち合わせていません。
私は、その何(いず)れも扱うことができ、さらに竜石の竜の力で底上げした魔法を使うことができます」
「……リスベルって、すごいゲートキーパーだったんだ。
あ、でも何でゲートキーパーなんて言うの? 魔法使いって言えばいいのにさ」
 その質問にも、リスベルはさらりと答える。
「黒い竜は、“時空の扉”という扉の向こうに封印されていました。
その扉が開かれないよう、我々は入れ替わりその扉に魔力を注いでいたんです。
元は、ゲートキーパーとして与えられたものが魔力でしたので、私たちは自分たちのことを、魔法使いでなく、ゲートキーパーと言っていたのです」
「そうだったんだ、奥深いんだね」
 ルークは頷いた。

「ところでルーク、これからどうしていきましょうか」
 リスベルは身体をルークの方へ乗り出した。
「タルトではいい情報聞けなかったから、この大きなスフレの街で、たくさん竜石の情報を聞き出せたらいいんだけど。
……大きな街は、このまま南の方へ進むとたくさんあるんだ。
だいたい、この世界自体、西と東に分かれてるようなもので――大きな街は、西の大陸の南に集中してる。
俺たちはまだ東大陸にいるから、何れ、西の大陸へ行かなきゃいけないね」
 ルークは一息つくと、また口を開く。
「明日は街を回って、たくさん情報を仕入れようね。
きっと、旅猫に聞くといい。
いろんなところをまわっているし、彼らは情報豊かだよ。
……酒場にも行かなきゃね、恐いけど、やっぱり」
 リスベルはルークの顔を見て、微笑した。


 明日についての話に区切りがつき、二匹が雑談を始めていた頃だった。
 ふと、ルークは、
「ん?」
 何か耳に聞こえたような気がした。
 ルークが突然耳をあちこちに動かすのを見て、リスベルは、
「どうかしましたか? ルーク」
 小首を傾げ、不思議そうにする。
 それに構わず、ルークは耳に手を当てて言った。
「外から何か聞こえる」
「えっ?」
「耳を澄ましてみて」
 ルークに言われて、リスベルは目を閉じ、そして耳を澄ました。
 一時、ルークはテーブルの上に置かれているランプの火を見つめていた。
 室内を暖かい色に染める、その火が大きく揺らいだ――そのすぐ後のことだった。

 ……。

 微かだが、二匹の耳に何かが聞こえた。
「何か、叫んでいるような声」
「でしょ、何か聞こえる」
 そう言うが早いか、ルークは窓の側に駆け寄った。

 カーテンをそっと開ける。
 窓から見える外の様子は、夜が深まり、もちろんのこと真っ暗だった。
「……ルーク」
 リスベルが側へやって来た。
 二匹はカーテンの隙間から、静かに外の様子を探った。

 何者かの叫ぶ声は聞こえ続けていた。
 しかしどこからしているのか、どこにいるのかはわからない。
 ……ルークは少し窓を開けた。
 その後すぐ、窓が空いた直後――再び声が叫ばれる。

「待て、そこを動くな! やっと見つけたぞ、そこで待っていろ!」

 その声がはっきりと、ルーク達の耳に入った。
 ルークは声のする方を探す。
 心なし聞こえてきた声には、何か緊迫感を感じた。
「ルーク、あれ、あれでは?」
 リスベルが指をさした。


 外は暗くてよく見えなかった――が、街のあちこちに灯(とも)る小さな明かりに――ルークは、ぼんやりと浮かび上がる猫の姿を捉(とら)えた。
 暗闇の中、さらに影を落とす一匹と、それに対峙するもう一匹の猫。
 その二匹の姿は、家々の連なる屋根の上にあった。


「あそこだっ」
 思わず叫びそうになって、慌ててルークは声を潜める。
「でも、どうしてあんなところにいるんだろう」
 ルークはリスベルの方を振り返った。

「……あ、あれ、リスベル?」
 振り返った時、リスベルは何か準備を始めていた。
 勘が良くない者でも、想像がつくかもしれない――ルークはそうだった。
 ルークの場合、リスベルがローブに小瓶を詰め込む時点で、どこかへ行くというのが想像できた。
「リスベル、まさかどこかへ行く気なの!?」
「その通りです。
けれどどこかへ、ではなく、あの場所にです」
 自分のしようとしていることに微塵も疑問を感じていない風に、リスベルは言う。
 ルークは驚いた。
「どうして? 何で行くの? 危ないかもしれないよ?」
 ルークは全てに疑問を感じた。
「……意味のある第一歩です。
私は、何かニオウ場所、それに危険のあるところには何かあると確信しています」
 リスベルはベッドの枕を片手に持つと、窓をガラリと開け、その身を乗り出した。
「あぁ、危ないよリスベルっ」
 ルークがそう言ったのにも関わらず、リスベルはそのままの態勢で言って続ける。
「何もないところを探すより、何かあるところに行った方がきっと見つかります。
ルークはここにいてもいいですよ」
「……何がそう、リスベルをそうさせるの?」
 不思議と言うよりも、よく分からないといった顔つきでルークは問う。
 その問いに、リスベルはこちらを振り返りはせずに答えた。
「私は書物を読みました……それに、そう、こう書かれてあったのです。
"危険に進んで立ち向かえ、そうすれば危険が伴う。
危険には新たな発見がある、物事は自ら起こさねばならない"と」
 そう言ったかと思うと、リスベルは窓から外へと飛び出してしまった。
「リスベル!?」
 目をまん丸くしてルークは外を――窓下を見た。

「大丈夫ですよ、ルーク」
 笑顔でそう言って、リスベルは飛び降りる時の"クッション代わりに使った枕"を大きくルークに振った。

「ああ、ビックリした」
 息をハッと吐くと、ルークは呟く。
「……ほっとけるわけ、ないよね」
 ルークはベッドの枕に顔を向けた。

 目を瞑って、お尻には枕を敷いて――ルークは窓から飛び降りた。
「わ、わっ」
 トスンと、リスベルの横に軟着陸した。
 振り返ると、リスベルが緑色の目をまん丸くさせている。
「ルークも来てくれるのですか?」
「もちろん、リスベルが心配だからね」
 ルークはそう言いながら、枕を屋根の端っこに置いた。
「行こうか……リスベル、足もとに気をつけて」
 二匹の子猫は、そっと、足早に"声のする方"に向かった。





「――それに、俺はお前を……お前を許さないからな!」





 屋根から滑り落ちないよう、慎重に歩きながら、ルーク達はその場所へと辿り着いた。
 リスベルがそのまま、目の前の二匹に近づこうとしたのを――ルークは慌てて引き止め、
「ダメっ」
 と声は出さず、口だけそう動かした。
 ルーク達は、屋根と屋根との差の空いている部分――暗くてよくはわからなかったが、とにかく、近くにあった隠れるのには良い場所に、身を潜めた。

「よくも次々と、面白い事を言う猫だ。
それとも……ただ、聞き分けの悪い猫とでも言うべきか」

 ルークとリスベルは、そっと、屋根の隙間から顔を覗かせた。

「俺は、お前を殺す。
それが、俺が生きている意味だ」
 そう言った猫の顔が、街灯に照らされ――ルーク達の目に映った。
 その姿を見たルークは、声が出そうになり口を塞いだ。
「リック……!?」
 ルークとリスベルは、互いに顔を見合わせた。


「お前が何を言おうと、私には関係のない事。
お前が私をどう見ているかなどは知らぬ。
……だが言っておこう。
私にはお前が、今晩の食事にしか見えないことをな」

 話し声の主の一匹は、ルーク達が古岩の森で会い、タルトの街でも一緒だった猫――リックだった。
 そしてもう一匹の猫、それは灰色の毛並みをした背の高い雄猫だった。
 恐ろしいほど赤くて大きな目が、否応にも目につく。
 風貌は猫と変わらないのに、猫のようでそうでない雰囲気が漂っていた。

 灰色猫は真っ赤な眼でリックを見つめ、不適な笑みをした。
 リックは――後退りすべき足を、踏み出した。

 どう見ても、灰色の猫と対峙するリックは、危険に見えた。
 ただならぬ空気を漂わせる灰色の猫は、リックを見て舌なめずりしている。
 ルーク達の頭の中は、どうしてリックがここに!? というより、リックが危ない! でいっぱいだった。


「俺も、お前が矢の的にしか見えないぜ」
 リックは、灰色猫に向けていた矢に力を込めた――その時矢に何か現れた。
 うっすらとしていた何かが、次第に明らかになっていく……。


 リックのまわりには、風が巻き起こっていた。
 矢には動きまわる風色の竜の姿。
 その中に、風色の竜に交じり、一際目を引く緑色の竜が見える。
「あれは……」
 リスベルが小さく囁いた。
「あれは竜石の竜」
 その言葉に、ルークは目を見開き、息を呑んだ。

「消えろ!」
 低い声、ルーク達には見せたことのない顔つきでリックが叫ぶ。
 そして矢は、灰色猫に向けて――放たれた。
 暗闇を裂くように、緑色の輝きが突き進む。

 その時――それは一瞬の出来事だった。

 ルーク達の頭上を、微かに羽音のような音をさせ、“何か”が横切る。
 そうして何かは、リックと灰色猫の間へと静かに降り立った。
 灰色猫へとめがけて飛ぶ矢――それは、目標物よりも先に現れた何かへと飛ぶ。
 初め、現れた“何か”が猫だという事さえわからなかった。
 あっと息つく間もなく、その猫はリックの飛ばした矢を――掴み取った。
 その猫はリックの矢を掴むと、グシャリと握り潰してしまった。

「黒猫だ」
 ルークはやっと、その猫の姿を確認した。
 街灯に照らされているのにも関わらず、それが何なのか、本当に猫なのかさえ、さっきまで断言できなかった。
 それは、闇にとけ込んだような真っ黒な毛並みと――ほとんど黒に近い、夜の光を全て吸いとってしまうような紫色のマントに包まれていたせいだった。


「何だお前……誰だ一体」
 リックは目を丸くさせたまま、その猫をじっと見つめていた。
「貴様、何しに来た」
 さっきまでの表情とは打って変わり、灰色の猫の顔から笑みは消えていた。

 現れた黒猫は灰色猫の方へ振り向き、リックに背を向け言った。
「誰かは知らんが弓使いの子猫、今すぐここから立ち去れ」
「……立ち去れだって?」
 言われた言葉に、リックは耳をピンと立たせる。
「何言ってんだ、あんたこそ、何で邪魔するんだ!」
「邪魔だと?」
 黒猫は少し笑ったような顔をした。
 肩越しに振り返り、黒猫は言う。
「あぁ、お前の言うようにそうしてもよかろう。
だがな、子猫がズタズタに引き裂かれ、明日の朝大通りの樹に吊されれば、街の猫たちはさぞかしこの目の前の猫を怖がるだろう。
それを喜ぶこの猫の存在が、私は許せないのだ」
 黒猫の淡々とした口調に、リックは詰まりながらも言い返した。
「お、俺が、俺がそうなるとでも言うのかよ!」

 それを聞き、灰色猫と黒猫は、
「あぁ」
 と低い声を揃えて出した。
 二匹の鋭い眼光が向けられる――リックは黙り込んだ。

「そういう事だ」
 黒猫はそう言って、目の前に立つ灰色猫を睨みつけた。
「お前なら私を倒せるとでもいうのかな?
あの子猫の変わりに、お前が吊されるという場合だって考えられるが」
 灰色猫は意地悪く笑った。
「倒せるかどうかは私の天命次第。
だが私はお前に殺されはしない……死は自ら選ぶ」
 黒猫はここでフーッと息を吐き、声色を変えて背後に言う。
「子猫、わざわざコイツの怒りを買わせぬようにしてやったのだ。
早く立ち去らんか」

 けれどリックは寸とも動じなかった。
「俺は、俺は普通の猫じゃねぇ、それにただの弓使いじゃないんだ。
俺の矢がそいつの胸に突き刺されば、そいつは消え去る。
ずっとこの世から消したいそいつを探してたんだ。
……やっと、やっと見つけたんだ。
ここで仕留めなきゃ、またそいつを見つけるまで待たなきゃいけない。
そんな俺に、俺に待てって言うのかよ!」
 リックはそう叫ぶと、矢筒から素早く矢を取り、緑竜蠢くその矢を灰色猫めがけて放った。

 リックの矢裁き、それに矢のスピードは遅くはなかっただろう。
 むしろ先ほど放ったものよりもすごい勢いで飛んでいた。
 しかし矢が灰色猫の胸に刺さろうかという時――突如矢は、目標物を失った。
 灰色猫はサッと宙を舞い、矢は遠くの木に突き刺さった。
 矢が当たると確信していたリックは、何が何だかわからない顔をする。
 そんなリックの元へと、灰色猫は向かってきた。
「矢が私に刺さる前に、私に襲われるとは思わなかったのか?」
 リックがハッとした時にはもう遅かった――不適に微笑む顔がすぐそこにある。
 リックはもう、逃げる事さえ無理な状態だった。
 ……不意に、黒い影がリックの前方に現れる。
 いつの間にかリックの前に黒猫が立っていた。
 この行動は、リックは勿論、灰色猫も予想しなかったようだ。
 灰色猫の顔が曇る。
 黒猫は紫のマントから鋭い爪のある右手を出すと、リックに迫る灰色猫を、振り払った。

 バサッと音がしたかと思うと、灰色猫が吹き飛んだ。
 けれども空中で身体を捻(ひね)らせ、一つ向こう通りの建物屋根で素早く態勢を直す。
 灰色猫は眉間に深いシワを作ると、再び元の場所へと舞い降りた。


 ルークとリスベルは、それらの光景に目が釘付けだった。
 一瞬の動きだって目が離せない。
 ほとんど瞬きできぬまま、目の前ではことが進んでいる。
 灰色の猫から――二匹は黒猫とリックの方へと顔を向けた。


「助けてくれたのか? あんたは一体何者なんだ」
 リックがそう聞くと黒猫は、
「名乗ることはない」
 と青い右目をこちらに向けた。
 ……端から見ていたルーク達、そしてリックも今気づいた。
 黒猫は左目を眼帯で覆っている。

 リックが不思議そうに自分を見ているのに目を逸らし、黒猫は言う。
「助けたのは"聞き分けの悪い子猫"ではなく、"街の平和"だ。
あのような猫のやることを止めることができる者は、そうはいない。
この私でさえ、ヤツに大した事もできん。
だが私は、やれることはやるつもりだ」
 再び黒猫の目は、前方に現れた灰色猫を警戒した。

 灰色猫は黒猫、それにリックを恐ろしい眼で睨め付けていた。
「ふん……私はお前の存在が理解できん。
お前の父親と同じくらいにな」
 黒猫は変わらぬ口調で言い返す。
「そうだろう、それは誰にもわかるまい。
私は、父親(ヤツ)が悪事ではない事をしていたと思う。
だがそれは、猫から見ればの話だがな」

「一体、何の話をしてるんだ?」
 リックは首を傾ぎ、それらの話を聞いていた。
「……早く逃げろ」
 話を続ける合間、黒猫はリックに小さくそう繰り返す。

「まぁ、そのような事はどうでもいい」
 灰色猫は口を一度閉ざす。
 そして目を細め、裂けた傷のような微笑をこぼして言う。
「お前はその子猫を逃がそうなどと考えているようだが、お前のせいで全てがお終いだ。
せっかくの楽しみをまだやらずじまい、それに食事もまだだ。
猫ども、この意味をおわかりかな?」

「何だ?」
 リックが後ろで囁いたのを、
「さぁな……知りたくはない」
 黒猫はそう言い放ち、後方へは警告するように、
「変に動くな、そこにいろ」
 と肩越しに言った。

「お解りではないか」
 灰色猫はニタリと笑んだ。
 そしてその表情のまま、二匹へと襲いかかってきた。


 灰色猫が鋭い爪を突きつけ向かってくるのを、黒猫も同じく鋭い爪を構え応戦した。
 二匹は目にも止まらぬ速さで互い相手に挑みかかると、ものすごい勢いでぶつかり合う。
 足が地上、屋根の上にはほとんどなく――空中で戦っているような状態だ。


「なかなかやるな……だが、これはどうかな?」
 灰色猫は真っ赤な眼を恐ろしく見開き、口調を替えて言い放った。
「おとなしくなれ、小賢しい出来損ないめ」

 ……。

 灰色猫の拳が一瞬、不気味な光を放った。
 黒猫は腹にそれを受け――俊敏な動きを、止めた。






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