20060310(20060311一部加筆)
大変遅くなりましたが、第十話連載開始。
シュウカツでばたばたしておりました。久しぶりなので緊張しまっす。

quartz

*第十話・リスベルの秘密1*






 次の日の朝。
 まだ太陽が半分しか顔を出していない時分に、ルーク達は起きた。
 簡単な朝食を済ませると、身支度を整え、すでに昨晩揃えておいた荷物を背負った。
「お世話になりました、ありがとう」
 ルーク達はそう言って、エクレア・イーネの滞在期間、お世話になった宿屋に別れを告げた。
「良い旅を。イージスのご加護がありますように」
 宿主の言葉を背に外へ出ると、五匹はドライフィールドへと続く、通りへ向かって歩いた。
 辺りは日が昇りきっていないせいで、薄暗い。
 ……まだ今日という一日は始まったばかり。
 ちらほらと見かけた早起きの猫に出会うと、誰ともなく、どちらともなく、
「おはよう」
「良い一日を」
 と挨拶をかわした。

 朝の清々しい風に鼻を動かし、五匹は毛並みとヒゲをそよがせて進む。
「……朝のエクレアって、昼間とは大違い。不思議なくらい静かだな」
 リックがそう言い、寝ぼけ眼を擦(こす)った。
「でもこの時間帯、港の方は賑やかなんだよ。エクレアの朝は港から始まるんだ」
 ルークはそう答えながら、ちらりとリスベルを見やる。
 今朝のリスベルは、妙に張り切った様子をしていた。
 ローブからのぞく張り切り顔を、思わず、詮索するように見つめてしまう。
「ルークさん、見えてきましたよ」
 その声に、ルークは少しびっくりしたような顔をして振り返る。
 五匹の中でも一番先頭を歩いていたポルトルが前方を指さしていた。
「あれが、ドライフィールドへの入り口です」





−ドライフィールドの入り口−

 エクレア・イーネの街の南門を出ると、土の感触が変わった。
 街の中では舗装されていて気が付かなかったが、歩くと乾いた砂音がする。
 朝の澄んだ空気のせいで、ドライフィールドはその姿をはっきりと見せていた。

 日が昇れば砂が舞い出すといわれるその大地は、地面が波状に起伏しており、激しい凹凸(おうとつ)が見える。
 しかし一筋二筋、旅猫たちが通行するためか、うっすら道づいて見える場所もあった。
 ――初めてこの地を横断しようとした旅猫(クォーツ)は、一体どんな気持ちだったんだろう。
 ドライフィールドの険しい姿を見、ルークはそう考えずにはいられなかった。
 広大なドライフィールドには、枯れ草色をした、わずかに点在する植物の姿が見受けられた。
 見渡す限りでは、枯れ果てた大地を見ているようで、生気を感じさせるものはない。
 それに、まるで生き物が何もいないかのように、静かだ。

「いかにもこれから試練が待っています、って眺めだな」
 リックが不服そうな声音で呟いた。
「俺は胸騒ぎがするよ。ドライフィールドを渡るのは初めてだから」
「あれ、ルーク。ここを渡るのは初めてなのですか?」
 リスベルの言葉に、ルークは頷く。
「旅猫(クォーツ)たちから話で聞いたことはあったんだけれど、渡るのは初めてなんだ。
……ここを渡れることができれば、真の旅猫になれる。
昔、この一帯は大きくて深い森だったんだ。
イージスがすんでいると言われる"約束の森"だったという言い伝えもある。
イージスに認められた猫だけが、抜けることのできる森。
今も、形を変えてだけれど、認められた旅猫(クォーツ)だけが通り抜けられる場所なんだと思う」

 五匹は少しの間、だたじっとドライフィールド全体を見つめた。
 そして、再び視線をお互いへと戻した時、ロブスターが口を開いた。
「日が昇り出すと、気温はもっと上昇するだろう。
とはいえドライフィールドの夜は、夜を好む魔物でさえ震えるほどだと聞く」
 少しばかり、沈黙が続いた。
 誰もがこの先の不安にかられつつあった。
 その沈黙を破るかのように、元気良くルークは言う。
「リスベル、頼むよ」
 それに応えるかのように、
「はい。私の出番ですね」
 とリスベルは力強く頷いた。
 そうして、一歩一歩踏み締めるようにドライフィールドの方へ、歩いた。

 リスベルは、ルーク達のところから、何とか顔の表情が確認できるくらいのところで足を止めた。
 立ち止まるとこちらへ振り返り、ニコリと微笑んだ。

「あいつ、笑ってるぞ」
 気味が悪い、と言わんばかりの口調でそう言ったリックを、
「リック、こっちへ来て下さい!」
 と大声で呼び、リスベルは手招きをする。
「……はあ」
 小さくため息をついたリックは、何か言いたそうに、ルーク達三匹の方を振り返った。
「俺、絶対行かなきゃダメ?」
 不安を感じるのか、リックは嫌そうに口を尖らせる。
「今更何言ってやがるリック・ゴードン。
リスベルさんが待っているだろ。後には引けないぞ」
 ポルトルが窘(たしな)めるように言う。
 ルークはぎこちない笑顔を作り、リックに励ましの言葉を送った。
「頑張ってリック。リスベルを信じて」
「……わかった、行ってくるよ」
 リックは肩をすぼめて後ろを向くと、リスベルの方へ歩き始めた。

 ルークは、ぼそりと呟いた。
「リスベルはリックに魔法をかける気だ」
 リックの不安そうな顔、リスベルのやる気満々の顔、それらがなによりの証拠だ。
「……リスベルの魔法が失敗することはないと思うけれど」
 それでも何かを心配してしまう気持ちが、ルークの心と頭を行ったり来たりした。
 魔法というものに、親しみを感じないせいかもしれない。
 でも、
「リスベルを信じて、ってリックに言ったのに」
 俺が信じてなくてどうするんだ――と、ルークは自分に言い聞かせた。
 そうこうしているうちに、リックはリスベルの側まで辿り着いていた。
「私から半歩離れたところ、そうです、そこでいいです」
 真剣な顔つきで指示を出す――リスベルはいつもと言葉遣いが違った。
 必要最小限しか言わなかった。
 リックはそのことに、何か不吉なモノを感じていた。
「俺の勘って、当たるんだよな」
 言われた通りの場所で立ち止まり、リックは小さくそう嘆く。


 両手を前へ突き出したリスベルは、すぅーっと息を吸い、はぁーっと息を吐いた。
 リックは、リスベルの様子を落ちつきなく見つめる。
 ルークとロブスターとポルトルは、少し緊張した様子で二匹を見つめていた。


「はいっ、リック、目を瞑って」
 リスベルに言われるままに、リックは目を瞑る。
「マドゥ オズ ワールレ(変わる 魔法 合言葉)……」
 リスベルは呪文を唱え始めた。
 リックは、怖くて震えているのか、魔法のせいなのか、身体を小刻みに揺らし始める。
 ルークたちは息を呑んで見守った。

「フク ウォーズ(風の竜)!」

 リスベルはそう唱えると、サッと、リックの額に手を当てた。
 急に、ドライフィールドの乾いた砂土が舞いだした。
 緩(ゆる)い突風が、視界を悪くする。
「わっ……」
 ルークは旅服で顔を覆った。
 撫でつけるように、それでいて強く、荒い砂の粒子が猫たちに迫る。
 砂混じりの風は、通りすぎていく瞬間は長く感じたが――思いの外呆気なく、消えた。
 ……ルークは、額に手をかざしながら、リスベルとリックの姿を探した。
 まだ少し、細かな砂土や砂煙が舞って、視界は悪い。
「……」
 ルークは、自分の側に歩み寄ってきた黒猫の顔を見た。
 ロブスターは、しっかりと二匹の姿を捉えているようだった。
 真っ直ぐにその方向を見つめている。
 ルークは、ロブスターと同じ方向に顔を向けた。
 ポルトルも、無言で同じことをした。

 まだ残る砂埃に巻かれながら、リスベルがこちらを見て、ニコリとしているのが見えた。
「完璧ですっ」
 リスベルがそう言ったのと同時に、舞うものはなくなり――目の前一切のものが、目にしっかりと入った。
 視界は開けた。
 ルーク、ロブスター、ポルトルの三匹は、見上げる必要があった。
 リスベルの隣にいる、リックを見るために。
「一体、何なんですか」
 ポルトルがそう問うと、リスベルはニコリとして言う。
「見て、わかりませんか?」
 リスベルの隣、ルーク達の正面には大きな姿があった。

 白い毛と、とこどころに茶の混じった姿。左耳にピアス――特徴からリックだとわかるものの、その姿は猫ではない。
 顔は長く、額には角が二本。大きく広い背中には、隆々とした翼。
 シッポは、は虫類のようで、鱗とトゲトゲがついており鋭い。
 リックの旅服のなごりを思わせるものは、装飾や武具のようにその身体に付随している。
 猫の面影はほとんどない。翼のあるリザード、大きく獰猛なトカゲと言った方がまた近い。
 ……そう、リックは、竜(ドラゴン)になってしまったのだ。

「酔い止めの魔法じゃ、なかったんだ」
 ルークは呆気(あっけ)にとられていた。
 ポルトルは驚愕(きょうがく)のあまり、目を飛び出しそうなくらいに見開いている。
 ――リックが自分の姿に気づいたら。
 自分をこよなく愛しているリックの事だ。
 大暴れしてしまってもおかしくない。
『目ぇ、開けてもいいのか』
 辺りに響くくらいのリックの声がした。
 ルークのそんな心配を余所に、
「ええ、いいですとも」
 リスベルが軽い口調でそう答え、リックはゆっくりと目を開ける。

「どうか、リックが暴れませんように」
 ルークは小さくそう言い、願った。

 リックはいつもの、けれども大きくギョロッとした目になってしまった、青い目を見開いた。
『なっ……何だ?』
 リックは辺りをキョロキョロとする。
 ぽかんとした顔の竜頭が『何だか変だな』と呟きながら、四方八方へ動く。
「どうです皆さん。完璧でしょ?
これで、リックは乗り物酔いする必要もありませんし、私たちも、楽にドライフィールドを渡れるわけです」
 リスベルはニコニコとしてそう言った。
「……すげぇ、リスベルさん」
 驚愕から一変、ポルトルは感激している。その目は、リスベルを尊敬するかのごとく眼差しだ。
 ルークは小さく言った。
「ちょっとすごすぎて、怖いけれど……」
 そう言ったルークの顔を、リックが頭上から見つめている。
『俺、どうなった?
ルークたちゃあ、小さく見えるし、手がやけに大きいし……ん、んんん!?』
 リックはやっと、自分の姿に気づいたようだ。
 目を落としそうなほどに見開くと、自分の足や背中、腕を何度も何度も確認する。
『待てよ、どういうことだっ……!?』
 ロブスターが、リックに近づいた。
「お前は、リスベルの魔法で竜にされた。お前に乗ってドライフィールドを渡る。
精々、乗り心地くらい良くしてもらわんとな」
『何だって!? リスベルどういうつもりなんだっ。俺は酔い止めの魔法かけてもらうつもりだったんだぞっ。
お前が乗り心地の良い乗り物を、用意してくれるもんだと思って俺っ』
 リックが大きな翼をバタバタさせると、風圧に、危うくリスベルは吹き飛びそうになった。

「気ぃ遣えよリック・ゴードン、おめぇはでかい竜なんだから!」
 ポルトルはそう言いながら、飛んでいきそうだったリスベルの身体を支えた。
 リックは目を真ん丸くすると、急にショボンと肩を落として、
『わ、悪かったよ……』
 そう言って、頭を小さく上下した。

 ポルトルに支えられながら、リスベルはリックを見上げた。
「リックのために、私なりに一生懸命考えたのです。
ドライフィールドを歩いて渡るのは危険だと、皆さん仰っていましたし……。
そのためとはいえ、リック、ごめんなさい」
 リスベルが目を潤ませてそう言うと、リックは眉根を寄せた。
 そしてフンっと鼻をならすと、
『わかったよ。
でも、ちゃんと俺を"元のかっこいい姿"に戻してくれるって事は、忘れないでくれよ』
 と目をつり上げて言った。
「はいっ、もちろんです」
 リスベルの笑顔を見て、リック、ルークは、ホッとした顔をした。
 ……リックのホッとした顔は、少し笑えた。


『まっ、乗ってくれや』
 リックはそう言うと、頬杖をつき――気遣いで、よじ登れるように大きな翼を地面につけた。
 四匹は、竜姿のリックの背中へと乗り込む。
 ルークは足もとを確かめながら、呟く。
「なんか、リックに乗るって、変な感じ」
「リスベルさんの魔法の腕は最高ですけれど、リック・ゴードンは心配だなぁ」
 そう言ったポルトルを肩越しに見つけると、リックは口を尖らせた。
『ポルトル、おめぇ、何か変なもん踏んだ足で、乗り込んでねぇだろな。
俺の背中を汚すヤツはタダじゃおかねぇからな。飛行中でも振り落とすぞっ』
「踏んでねぇよ」
 ポルトルはムスっとした。
 そんなやりとりの向こうでは、黒猫が、リスベルが乗り込むのを手伝っていた。

 リックは、乗り込む四匹を肩越しに見やりながら、言う。
『ちゃんと、しっかり乗ってくれよ。落ちないようにな』
 乗り込み終え、リックの背中あたりにいたポルトルが言った。
「どこかに掴まって乗らないと、危なくないですかね」
「あっ……前の方に、小さな翼があるよ」
 ルークはそう言って指をさす。
 背骨に添うように、小さな翼がいくつかあった。
「皆があれに掴まるのは無理だろう」
 ロブスターがそう言うと、リスベルは言う。
「私に任せて下さい」
 その言葉にルークは少しゾッとした。
 けれどそんなことにはお構いなし。リスベルは右手をサッと出し、呪文を唱える。
「モク オズ ワールレ オクト リグ!
(現れし 魔法 合言葉 8つの翼!)」

 シュシュシュシュシュシュシュシュ

 奇怪な旋風(つむじかぜ)が起こった。
 そして旋風が吹き消えると、リックの背中には、新たに小さな8つの翼が生えていた。
「すっげぇ。翼が生えちゃいましたよ」
 ポルトルは目を輝かせた。
 それとは正反対に、リックはギョっとした顔をする。
『おい、変な物つけやがったな! ……んんあぁ、背中気持ち悪い』
 リックは急に背中をむずがゆそうに動かした。
 お陰でルーク達は、
「わ、リック。落ちちゃうよっ」
 地震で揺れる大地に立っているような、ぐらぐらして倒れてしまいそうな目に遭った。
「リック、動いてはダメですよっ。落ち着いてください」
 リスベルが宥(なだ)めるように言い、ポルトルも、
「お前が動くと、こっちまで動く羽目になるだろぅ!」
 半ば悲鳴のごとく叫ぶ。
 事態に気付いて、ようやく落ち着きを取り戻すと、
『す……すまなかったよ。俺は竜の姿に慣れてねぇんだ。
何かする時は、俺に心の準備くらいさせてくれよなぁ』
 そう言って、リックは手を額に当てた。

 ルーク達は、何とか乗り込み配置についた。
 前からポルトル、ルーク、リスベル、ロブスターの順番だ。
 皆、小さな翼に掴まって座った。
 リックが尋ねてくる。
『準備はいいか?』
「大丈夫。準備万端だよ。リック、出発して!」
 ルークがそう叫ぶと、リックは大きな翼を羽ばたかせ始めた。
『上手くいくかなぁ……俺、飛んだことないんだぜ』
 自分の翼がちゃんと動いているのか、リックは肩越しにこちらを向きながら羽ばたく。
 ポルトルが言う。
「翼の動きが、まちまちだぜ」
「リック、翼の動きを同じにしないと。上下の動きを合わせるんだ」
『おう……』
 リックは懸命に翼の動きを同じにした。
 そうなったのと同時。フワリと、少しばかり浮遊したのを感じる。
「今、浮きましたよ」
 リスベルが感嘆の声を上げる。
『それ、行くぜ。リック・ゴードン様にしっかり掴まってな』
 そう言うと、リックは大地を勢いよく蹴った。


 一瞬、身体が前のめりになる。
 そして後方へと身体を揺すぶられた。
 二三度ほど、前のめりと後ろのめりをする事になったが、次第に落ち着いて座れるようになってくる。
「ああ、痛い。舌噛(か)んじゃったよぉ」
 前方でポルトルの嘆(なげ)きが聞こえた。
 ルークは「大丈夫?」と苦笑すると、落ち着かなく辺りを見渡す。
 周囲の景色は、緩(ゆる)やかに落ちていくようだった。
 ……リックは飛翔(ひしょう)を続けていた。
 空が、雲が、太陽がすぐ頭の上にあるところまで舞い上がった。
 しばらくすると、リックは気持ちよさそうに、大きな翼を真っ直ぐに広げる。
 ルーク達は風に乗った。
「気持ちいい」
 目を閉じて、一つ大きな深呼吸をすると、ルークは地上を見下ろした。

 ずーっと、向こうの向こうの方まで、ドライフィールドは乾いた砂土色(すなつちいろ)一色。
 植物が群生している場所もあったが、枯れ草色をしているため、よくよく目を凝らさないと分からない。
 時々、ひょろりとした身体つきの、獣らしき姿が見えた。
 けれどすぐに巣穴へと入ってしまい、はっきりとは確認できなかった。
 ――地上から見たら、あんなに起伏が激しい難所続きなのに。
 空から見たドライフィールドは、どこまでも平坦な大地に見えた。
 ここからは、波打った地面の凹凸(おうとつ)は少しも感じない。

 日が昇り出し、眩しくなってきた太陽の光に、ルークは目を細めて言った。
「ドライフィールドって、広いね」
 空から見ていると、ドライフィールドの雄大さが、否応にも伝わり、感じた。
 すでにエクレア・イーネの街は見えなくなっており、辺りを見回していると、まるで世界が乾いた砂土色一色のようだ。
「ゼリー・ルーの街まで、結構ありますよルークさん。その間、何して過ごします?」
 ポルトルはそう言いながら、リックの背中に生える、短い毛を毟(むし)っていた。
『だ、誰だ俺の毛を引っこ抜いてやがるやつは。振り落とすぞっ』
 リックは身体を震わせるような仕草をする。
 そうして、肩越しにこちらを向くと、悪戯っぽく笑うポルトルを睨んだ。
「円形脱毛でも作ってやろうかと思ったんだよ、ついだつい。もうやめるよ、やめるってば」
『お前みたいな乗客がいると、俺は気が逸れて、飛ぶのが疎(おろそ)かになるんだ。
今度やったらドライフィールドの真ん中に落としてやるからな。
覚えていろよポルトル』
 リックは、威嚇するよう鋭い歯を見せつけると、歯ぎしりさせた。

 ルークは、後ろにいたリスベルの方を振り返った。
 リスベルは風の流れを一身に浴び、気持ちよさそうにしている。
「空の旅って、気持ちいいですね。上空の新鮮な空気だって、美味しいですし」
「背もたれがあれば、一眠りできそうだな」
 最後尾に座っていた黒猫が、独り言のように呟いた。
 ルークから見て、ロブスターは身体が大きいので、少し、今の体勢に無理があるように思えた。
 吹き流しのように動く、リックの尾付近に座っているのだ。座り心地は一番悪そうだ。
 リスベルが黒猫の方を振り返る。
「付けましょうか?」
 その言葉と同時に、
『ちょっと待てよリスベル。また俺の背中に何かつける気かぁ!?
これ以上変なもの付けないでくれよ。
そもそもおめぇは、もっと俺の気持ちを考慮しようとか考えてねぇだろ』
 リックは悲鳴じみた声をあげる。そして、たまったものじゃないと言いたげな顔をして、肩越しにこちらを見やった。
「冗談だ」
 ロブスターがぼそりと言う。
『ったく、悪い冗談だ。リスベルは真に受けやすいんだぜ……って』
 ギョッとした顔をして、急にリックは言葉を止める。
 ルークは目を丸くして、言った。
「……背もたれだ」
 空いた間。沈黙にも動じない様子で――というよりも気づかないリスベルは、黒猫の後ろにできた"背もたれ"を指さすと、
「どうぞっ、ロブスターさん。座り心地を確かめてみてください」
 自分のした気遣いに満足そうな微笑みを浮かべていた。
『聞いちゃいねぇ。俺の言ったことなんて、なんも聞いちゃいねぇ』
 そんな風に嘆くリックを、
「まぁまぁ、リック」
 ルークは苦笑しながらも、優しく宥(なだ)めた。





 それから、どれくらい飛んでいただろう。
 ルーク達はだんだんと、辺りの気温が上昇しているのを感じていた。
「暑くなってきましたね……」
 ポルトルは襟首をあけ、手団扇(てうちわ)で自身を扇いでいる。
『俺も、暑いぜ。リスベル、魔法でどうにかならないのか。
あそこでギラギラしている、太陽を消しちまうとかさぁ』
 そう言って、リックは目をショボショボさせた。
 ……リックの飛ぶ速度は、暑さのせいか、遅くなってきている。
 緩(ゆる)く生ぬるい風が、ルーク達の毛並みに心地悪く吹きつけていく。
「飛ぶことを疎(おろそ)かにするな。速く進めば、それだけ早くゼリー・ルーに着く」
 ロブスターが窘(たし)めるように言う。
『そう言われてもよぉ。リスベル、何とかならないのかぁ』
 リックは、ローブで顔を覆っている猫を、すがるように見つめた。
「生態系を壊すような魔法は禁じられています。
……できない事はありませんが、たくさんの魔力を要します。
イージスは、世界の平和を保つために、私たち種族に魔力を与えたのですから。
何か他に、良いアイデアが浮かんだら言って下さい。
私はこれでも食べながら、待っていますから」
 リスベルはそう言って、ローブから、何か容器に入ったモノを取り出した。

『何食うって?』
 リックは肩越しにジロジロと見た。
「チョコプリンですっ。私、エクレアの街で知り合ってから、プディングが大好きになりました」
 リスベルはそう言って、またローブに手を突っ込む。
 もぞもぞと手探りしながら、今度はストローを取り出した。
「……ストロー、何に使うの?」
 ルークがそう言って見ていると、リスベルは、チョコプリンにストローをさし、

 ずるずるずる

 音を立てて吸い始めた。
「すごい食べ方ですね」
 ポルトルが呆気にとられた顔をすると、リスベルはニコリとして答える。
「こうすればスプーンですくって、落としてしまう事がないのです。良い考えでしょっ」
 それを聞いてリックは、
『プディングってのはな、ちまちま食べるもんじゃねぇ。
丸ごと口に入れて、頬張りながら食うものなんだ。ストローでずるずるすするなんて。
それにしても……ひとりでうまそうに食いやがるなぁ』
 と不満そうに鼻を鳴らした。


 その時ふと、ルークは何か胸騒ぎを感じた。
 勢いよく、後ろを振り返る――後ろに座っていたリスベルが、きょとんとした顔をして、首を傾げた。
 ずーっと向こうの方で、何か、騒がしい気配がする。
「気のせいかな」
 ルークがそうぼやくと、平然を装っているように見えた黒猫が、口を開いた。
「……野鳥の群だ」
 次第に、後方で、黒い複数の点が見えてきた。
「こっちへ近づいてきますね」
 ポルトルはそう言って、少し心配そうな顔をする。
 ルーク達は沈黙し、後ろを警戒した。
 野鳥の群はどんどんルーク達に近づいてくる。
 茶色っぽい野鳥の群が――それだとはっきり確認できた頃には、やかましい鳴き声がすぐ後ろで聞こえた。
 ルーク達の方へ近づいてくるのに、そう時間はかからなかった。
 先を争うように、鳥たちが過ぎていく。
 ルーク達のすぐ側を、何百羽という野鳥が通り過ぎていく。
「すごい数の鳥」
 ルークは左右を見回し、次々と過ぎていく、野鳥の群を見つめていた。
 プディングをすするのを止め、
「何だか、慌てているみたいですね、鳥さん達」
 とリスベルが落ち着かない様子でそう言った。

 野鳥たちを気遣って、リックはのんびりと飛行していた。
 そのため、しばらくすると野鳥の群れはルーク達を追い抜いた。
 群は、やや西よりの方角へと、通り過ぎていった。
 ……それから間を置かず、
「また何か、こちらにやってきますよ」
 リスベルがそう言った。
 ルークはまた、後ろを振り返る。
 ずっと後方より、先ほどよりも速い動きで何かがやってくる。
 グワーグググと、野鳥よりも声高で響く声が聞こえる。
 けたたましく不気味な鳴き声だ。
 近づいてくる姿は、野鳥のそれよりも大きい。
 ――鳥よりもはるかに凶暴で、獰猛(どうもう)な生き物だ。
「な、何なんですかね」
 そう言ったポルトルは、少し震えている。
「……"ワイバーン"だろう。竜に似た魔物だ。
おそらく、さっきの野鳥の群を追っている」
 ロブスターはそう言うと、懐から"トマトピューレ"の小瓶を取り出し、ゆっくりと味わっていた。
「うまいな」
「何でそんなに落ちついているんですかロブスターさん!?」
 ポルトルは黒猫を「わからないっ」といった顔で見、頭を抱える。

 グワッグググと、再度威嚇するような声が聞こえた。
 青黒い筋張った翼が、どんどんと近づいていた。
 一度翼をはためかせるだけで、その飛行距離はぐんと差し迫ってくる。
 野鳥の群を追っているにしろ、ワイバーンがルーク達に何もしないという確信はなかった。
 ルークは叫ぶ。
「リック、スピードを上げて。後ろからワイバーンが迫ってくるんだ!」
『ふあぁあぁ、何だって?』
 リックは眠そうにしている。
「非常事態です。魔物が後ろにいるんですっ」
 リスベルがそう言うと、リックはやっと目を瞬(しばたた)かせた。
『し、しっかり掴まってろよ!』
 そう叫ぶがはやいか、リックは速度を加速させた。
 ルークは一瞬、何かに掴まり損ね、あやうく振り落とされそうになる。
 心臓が、飛び出そうなくらいに脈を打った。
 ワイバーンの鳴き声が、すぐそばで聞こえる。
 緊張の最中、ちらりと肩越しに振り返ると――そこに、寄り添うようにワイバーンの姿があった。
 小さな頭は、異様なほどに大きな口が占めている。
 身体はほとんど肉がなく、骨と皮だけのようにも見えた。
 目は鋭く切れ長で、充血している。そんなワイバーンの黄色い目が、一瞬ルークと合った。
 恐ろしくなって、慌ててルークは前方を向く。
「追いつかれているぞ」
 いつもと変わらぬ口調で、黒猫が指摘するように言う。
『アイツ速いな、くそぅ』
 リックは再び翼に力を込めると、力強く羽ばたいた。
 懸命に加速を続ける。
 乗っているルーク達は、振り落とされないようにと、ただただ必死に掴まっていた。
 話すこともままならない。口を開けると、再び口を閉めるのが大変だったのだ。
 着ている衣服などがバタバタと風に吹かれ、吹き飛びそうなのを押さえることにも精一杯だった。

 しばらくすると、ワイバーンの声が遠ざかっていった。
 リックのスピードについていけなかったのか、それとも、違う獲物を見つけたのかは定かではなかったが――ルーク達から離れていった。

「行ってしまったようですね」
 リスベルがふぅとため息をついた。
 飛ぶ速度を緩(ゆる)めながら、リックも盛大に鼻から息を吐く。
『もう追って来ないようだな。びっくりしたぜ、全くよぉ』
「何とか、乗り切れたね」
 ルークがそう言うと、ローブのフードを被り直しながら、リスベルが言った。
「リックを竜にして、正解でした。
すぐに風の乗り方を覚えてしまいましたもの。
……変身して一日も経たないうちに、飛び方や速度の上げ方を覚えてしまうなんて、びっくりですよ」
『俺は竜石使い。風を操る竜石使いだ。伊達(だて)にやってないぜ』
 リックは誇らしげに胸を反らす。
「おいおい、気を付けろよ。一々格好つけなくていいんだ」
「落ちちゃうよリック」
 ポルトルとルークの苦情を聞いて『リアクションし辛いぜ』とリックはつまらなさそうに口を尖らせた。

「みんな怪我しなくて良かった」
 ルークがそう言うと、急にポルトルが首を傾げた。
「それにしても、あのワイバーン。本当に俺たちを狙っていたんですかね」
「言われてみれば確かに。私たちのすぐ隣について飛んでいましたけれど……鳴き声を上げていただけのようにも感じます」
 そう言ったリスベルは、ふと黒猫を見やった。
「ロブスターさんはどう思われます?」
 ルーク、そしてリスベルも、揃って黒猫の方を向いた。
 黒猫は、さっきまでの騒動が嘘のように、一糸乱れぬ姿だった。
 背もたれに悠々と座り、空の遠くの方を見つめながら、黒猫は言う。
「ワイバーンは己よりも大きな生き物を狙ったりはしない。
添うてきたのは、自身の身体の対比をはかろうとしてだろう」
「なるほど……」
 ポルトル、そしてルークとリスベルの三匹はふむふむと頷いた。
 ところが一匹、
『ちょ、ちょっと待てよロブスター』
 リックが声を荒げて言う。
『ということはだ。
お前はあのワイバーンが、俺たちを襲うわけないって、分かってたって事だよな』
 リックの言葉に、黒猫が少し驚いたように見えた。
 けれども次の瞬間には、いつもの表情だった。
「そういう風に解釈もできるな。珍しく頭が働いているじゃないか、リック・ゴードン」
 黒猫が低い声でそう言うと『俺の必死の努力は何だったんだよ!』とリックは喚(わめ)いた。

『俺は無駄な努力が一番嫌いなんだ。
腹ごなしの運動ならまだしも、俺は必死だったんだぜ。死ぬほど頑張ってたんだぞっ』

 うるさく愚痴を続けるリックに、黒猫はトマトピューレを口にしながら、呟くように言った。
「少しはゼリー・ルーへの旅路を急げただろう。
あの街の名物は"熱い水"。混浴の風呂があるらしいぞ」
「……混浴!?」
 リスベルが飛び上がらんばかりに毛並みを逆立てた。
「何でリスベルさんが一番反応しているんですか」
 ポルトルが不思議そうにローブの猫を見る。
 ルークも思わず首を傾げた。
 そんな最中、すっかり機嫌を直したリックが、笑顔で号令をかける。
『そうと聞けば旅路も急がなきゃな。うひひっ。
いざゼリー・ルーの街へ! お前らしっかり掴まっていろよ』


 リックは竜を真似たのか、猫らしからぬ奇声を発し、大きく一つ翼を羽ばたかせた。
 グンと前方へ、押し出されるようにしてルーク達は進む。
 風が再びルーク達に纏(まと)い、旅路を促してくれた。


 ルークは、素知らぬ顔をして、遠くの方を見やっている黒猫の方を向いた。
 そうして、必死にローブを身体に巻き付けつつも嬉しそうに笑うリスベルを見――喧嘩口調ながらも楽しそうに会話するリックとポルトルを見た。
 ――苛酷なドライフィールドの旅、だったはずだけど。
 仲間たちの様子を見ているうちに、この旅への不安な気持ちが、一掃されていくようだった。
「……ルーク」
 急に背中を突かれて、ルークは後ろを振り返る。
 リスベルが、緑色の目で伺(うかが)うようにこちらを見ていた。
「ルークが求めていたドライフィールドの旅と、違ってしまったかもしれませんね。
物足りなくて、残念ですか?」
 思わぬ質問に、ルークは驚いてしまう。
「そ、そんなことないよ」
「だと良いのですけれど」
 そう言って微笑むと、リスベルはどこか遠くの方を見渡した。
 そして、囁くように言う。

「いつの時代も、旅猫(クォーツ)が求めるはイージスの森」

 その口調には、何か懐かしいような、吟遊詩猫の節回しのような響きがあった。
 リスベルはそれ以上言葉を紡(つむ)ぐことはせず、どこか遠くを見つめ続けている。
 ふと、リスベルの眼差しが、その横顔が――なぜだか急に、何かを探し憂(うれ)いでいる風に見えた。
 ――誰かに、よく似ている気がする。
 ルークの知る誰かもよく、こんな顔をしていた気がする。
 不意にルークの中に、何かを問いかけたい気持ちが溢れ出てきた。
「……ねぇ。リスベル」
 そう言うと、リスベルはゆっくりとこちらを向き、微笑みを浮かべた。
 いつものように、思わずルークも微笑み返してしまう。
「何ですか、ルーク……?」
 そう問われて、はたとルークは気付く。
 リスベルへ何を問いかけようとしたのか、わからなくなっていた。









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